第九話 石門の戦い(二)

 白馬の大将・公孫瓚こうそんさんは我ら劉備りゅうび軍の陣所に急報を告げに現れた。


烏桓うがん貪至王たんしおうなる者が種人しゅじん(同部族)を率いて我らに寝返りたいと願い出てきた。


 にらみ合いがいたずらに続くばかりの状況であったが、それを一変させる好機が向こうよりやってきたぞ!」


 公孫瓚こうそんさんは彫りの深い映画俳優のような顔立ちの二枚目だ。そんな顔した彼に、低く渋い声色で伝えられると重要情報もより一層重く感じられる。


 炭火の上にかぶせたかごに寄りかかって暖をとっていた男たちは、この急報に皆、黙りこくってすぐには反応しなかった。

 かごの隙間からほのかにれ出る火の明かりが、彼らの一抹いちまつの不安な顔を浮かび上がらせていた。


 この公孫瓚こうそんさんがもたらした急報は事態を一変させるほどのものだ。


 僕らはこの白馬の大将・公孫瓚こうそんさんの指揮の下、反乱の首謀者・張純ちょうじゅん張挙ちょうきょ烏桓うがん族のもる石門山せきもんざんの目の前まで進軍して来た。

 しかし、堅固な要塞ようさいと化した石門山せきもんざんを攻める手立てが見つからず、戦いは長期化するかと思われた。


 それが、ここにきて敵の寝返りだ。状況が一変するほどの特大ニュースだ。


 しかし、彼らがその一報に手放しで喜べないのもわかる。


「その貪至王たんしおうってのは誰なんですかい?」「そんな奴信じていんすか?」「それで勝てるんすか?」


 そんな言葉が兵士たちの間でささやかれていた。


 そもそも彼らは貪至王を知らないのだ。今回の戦う相手で有名な烏桓族といえば丘力居きゅうりききょという人物だ。貪至王たんしおうという人物は聞いたことがなかった。


貪至王たんしおう遼東属国りょうとうぞくこく(現在の遼寧省りょうねいしょう錦州市きんしゅうし辺り)を拠点にし、数千の兵を率いる烏桓の王だ」


 公孫瓚こうそんさんはそう語って聞かせる。


 この寝返りを約束してくれた貪至王たんしおうは王と言っても烏桓うがん全体の王ではない。あくまで一集落の王だ。

 王と名乗るだけあって勢力は小さくはないだろう。

 だが、石門山せきもんざんもる烏桓うがん丘力居きゅうりききょを始め数万もいる。その内の数千を率いる貪至王たんしおうの勢力が一人寝返ったところで、この戦争に勝てるだろうか?

 言うなれば武将が一人寝返るぐらいの話だろう。


 その不安のために、彼らはどうにも気乗りがしないようであった。






公孫瓚こうそんさんは好機到来と思っているようだが、果たしてこの内応、上手くいくんだろうか?)


 僕も皆と同じく、そんな疑問を胸に抱いていた。すると、それを見越したように僕らの大将・劉備りゅうび公孫瓚こうそんさんの前に進み出た。


「それで、公孫瓚こうそんさんの兄貴は俺たちに何をさせようって言うんだい?


 まさか、大将自らがそんな報告をしに俺の陣所に来ないだろ?」


 劉備りゅうびも当然、疑問に思っているようだ。しかし、彼の表情は不安とは無縁といったもので、まるで軽口でも叩くかのように、それでいて公孫瓚こうそんさんの作戦も予期していたかのように尋ねた。


 この世界の劉備りゅうびは表情こそ温和そうで、人当たりがよく思える。

 だが、無神経で図々しくて、本当に『三国志』に出てくるあの仁徳の人・劉備りゅうびなのかと何度も疑問に思っていた。

 しかし、きもの太さと頭の回転の早さ、さすが、一軍の大将といったところで、頼りになる。


 劉備りゅうびの返答に、僕よりも付き合いの長い公孫瓚こうそんさんも予測していたかのようで、満足した態度で答えた。


「さすが、劉備りゅうびだ。話が早くて助かる。


 お前たちには敵の背後を突いてもらいたい」


 その公孫瓚こうそんさんが提示した作戦に、劉備りゅうびは重ねて尋ねる。


「敵が内応を約束したのに、さらに俺たちで背後を攻めるんですかい?」


「そうだ。この度の内応は千載一遇せんざいいちぐうの好機だ。


 しかし、この好機を活かせず、敵を倒せなければ、これほどの好機はもうないだろう。必ず、次の一戦で敵を倒さねばならぬ。


 だが、内応者が一部隊だけでは弱い。敵の集中攻撃を浴びれば簡単に倒されてしまう。


 それはお前も感じていることだろう」


 その公孫瓚こうそんさんの言葉に、劉備りゅうびひらめいたような顔つきで答える。


「なるほど、見えてきましたよ。


 だから、俺たちに背後を攻めさせ、敵の攻撃を分散させたいってことですね」


「ああ、そういうことだ。


 我らが正面から総攻撃を仕掛けても勝てない。内応者が一人だけでも弱い。背後に奇襲を仕掛けても決め手に欠ける。


 ならばこの全てを同時に実行しようというわけだ。


 お前たちにはこれから石門山せきもんざんの裏に回ってもらいたい。


 そして、内応者の貪至王たんしおうと同時に敵の背後を攻めてほしい」


「わかりました。


 それなら、我らは敵軍にふんしましょう。まるで内応者が複数いるかのように見せかければ、より勝率は上がるんじゃないですか?」


「なるほど、それは良い策だ。


 では、お前たちは敵軍を装い、内応者と連携して敵軍の背後を脅かしてくれ。

 それを見計らって我らも正面より総攻撃を仕掛ける。


 敵の表にはこの反乱の張純ちょうじゅん丘力居きゅうりききょらが布陣しているのに対して、裏には張挙ちょうきょの陣がある。


 張挙ちょうきょは反乱当初、皇帝を名乗った人物だ。しかし、反乱が起きてからは張純ちょうじゅん烏桓うがんらに比べて活動がとぼしく、情報が少ない。気をつけろ」


「お任せを!


 しかし、天子を称した張挙ちょうきょが裏にはいるんですか。


 ならば、そいつを捕らえれば大手柄ということになりますな」


 劉備りゅうびがニタリと笑う。あまり英雄にはしてほしくない顔つきだ。

 だが、見慣れているのか、公孫瓚こうそんさんも何食わぬ顔で答える。


「ああ、張挙ちょうきょを捕らえれば戦功は最上級だ。


 十分な恩賞を得られるだろう。


 お前も相応の出世が出来るだろう。気張っていけよ」


「へへ、やる気が出てきたな。


 よし、野郎ども、戦の準備だ!


 莫大な恩賞の首が俺たちを待っているぞ!」


 この劉備の言葉で、劉備軍の兵士たちはようやく湧き上がった。

 劉備のおかげで、この戦いの勝率と自分たちの役割が見えた。また、一攫千金という目標も出来た。


 劉備りゅうび軍の兵士たちから「ヨッシャ」とか「やるぞ」といった気合にあふれた言葉が口々に飛び出していった。


 彼らにこうもやる気を起こさせるとは、さすが大将といったところだ。


 く言う僕も気のはやる思いであった。

 あぶみを作った時に、もしこの世界に特許があれば、僕は大金持ちになれたのにと残念に思っていたが、まさか、大金持ちルートがまだ残っていたなんて。

 劉備りゅうび軍の中で馬に乗っているのは僕と劉備りゅうびの二人だけだ。だが、劉備りゅうびには全体の指揮という仕事がある。僕が張挙ちょうきょを捕らえる可能性は大いにある。

 そう考えたら自然と気合が入っていった。


「お、劉星りゅうせい、ニヤけてんぞ。


 馬ばかりの奴だと思っていたが、やっぱりお前も金が欲しいか」


 そう言って声をかけてきたのは前にあぶみを作ってくれた簡雍かんようであった。


「そりゃそうだよ。


 金があれば馬が買えるからね!」


「結局、馬かよ!」


 簡雍かんようが漫画みたいにズッコケている。

 しかし、この世界であまり欲しい物も今のところ無いしなぁ。


 ただ、心残りなのは、彼に作ってもらった鐙の一件だ。僕としてはあの木製のあぶみの試走をもう少しやっておきたかった。


あぶみをもう少し試したかったな。木製の簡単な作りだから強度ももっと確認しておきたかったし……。


 いかんいかん!


 これから戦争が始まるんだ。気持ちを切り替えていかないと!)


 そこからの劉備りゅうび軍の行動は早かった。何しろ一攫千金いっかくせんきんのチャンスなのだから、皆の目の色が違う。


 僕らが出陣の準備をしていると、劉備りゅうびは僕に黄色い布切れを手渡してきた。


劉星りゅうせい、今回の俺たちは敵の黄巾賊こうきんぞくが我らに寝返ったという設定でいく。


 黄巾賊こうきんぞくに化ける用の頭巾ずきんだ。かぶっておけ」


 ゴワゴワしてやたら編み目の荒い小さな布切れだ。それが申し訳程度に薄っすら黄色で染められている。


「かぶるって言ったって、そんな大きな布じゃないぞ」


「ちゃんとした頭巾ずきんを用意できれば良かったんだがな。急遽きゅうきょ、百人分を用意しなきゃならんから、そんな端切はぎれみたいなのしか準備できんかった。


 まあ、パッと見て黄色い布が頭についてるように見えればそれでいい」


 やむなく頭に巻いてみたが、三角巾のように頭をおおうにはまだ不足で、ユーレイが頭につける三角の布のようになってしまった。


「おお、前に巻くのはいいな。


 後ろに巻いても目立たんし、わざとらしく目立たせるくらいでちょうどいいだろう」


 ちなみにこの時代は頭に頭巾ずきんや帽子、かんむりなど何かしらかぶっておくのがマナーであったようだ。


 僕は詳しくはよくわからないので、転生時に身に着けていた頭巾をそのまま愛用している。どうも頭巾ずきんというのは庶民のかぶるものらしいが、今の僕の立場ならちょうど良いだろう。


 さらに劉備りゅうびは僕に一枚の小さな板切れを渡してきた。


「これを馬にふくませておけ」


「この板はなんだい?」


 カマボコ板を少し大きくしたような小さな板切れだ。僕はよくわからずに劉備りゅうびに尋ねた。


「お前、あんだけ馬のこと知っててばいを知らんのか。


 これは馬に声を出させないように口に噛ませておくものだ。


 これから敵に攻め込むまで見つかるわけにはいかないからな」


 なるほど、馬にくわえさせて、咄嗟とっさに声を上げさせないための板か。


「しかし、こんなのを彗星すいせいくわえさせるなんて可哀想だな」


「何を言ってるんだ。


 誰が馬だけに噛ませるといった」


「え?」


「人間も噛むんだよ」


 こうして僕と愛馬・彗星すいせいは口に板をくわえて、劉備の奇襲作戦に加わった。


 まさか、自分までこんな板をくわえることになるとは思わなかったが、今回の作戦は敵陣に到着するまで見つかるわけには行かない。どんなに気をつけていても、予期せぬ事態に直面すれば咄嗟とっさに声を上げることはある。ましてや馬はなおさら気をつけるのは難しい。そう考えるとこの装備もむ無しなのだろう。


 僕ら劉備りゅうび軍は、敵に見つからぬようにと、えて道なき道を突き進んだ。雪を踏みしめ、枯れ木を切り、沼に板を渡して敵の後背を目指す。


「うう、寒い、これが十一月の温度かよ。


 彗星すいせい、お前は本当に聞き分けの良い馬だな。もう少しの辛抱だ。頑張ってくれ」


 時期は十一月、日本だと秋の終わり、冬の初めの印象だが、気温は真冬のように寒い。綿入りの防寒着なんて上等なものはないので、薄手のころもを重ね着して震えながらの行軍となった。


 しかし、虫がいないのは幸いだった。馬は虫を嫌う。この悪路に加えて虫害まであったら、彗星すいせいのストレスは相当なものだったろう。その点だけは寒さに感謝するできるところだ。


 艱難辛苦を乗り越えて、僕らは敵がもる石門山せきもんざんふもとまでやってきた。


 先頭にいた大将・劉備りゅうびは自らの口のばいを外して、僕らの方へと振り返る。


「さあ、お前たち。


 いよいよ作戦開始だ!」


 ついに決戦開始だ。

 僕は緊張と興奮、強い二つの感情に包まれていた。


 しかし、この戦いで宿命的な出会いが待っていようとは、この時の僕は予想だにしていなかった。


《続く》