第八話 石門の戦い(一)

公孫瓚こうそんさんといえば、後にこの北方の地の群雄として名をせる人物。白馬のみで構成された白馬義従はくばぎじゅうという騎馬隊を率いて活躍する。

 しかし、彼が今率いている部隊を見ると、白馬はまばらで、多様な毛色の馬が加わっている。どうやら白馬義従はくばぎじゅうを結成するのはまだ先の未来のことらしい。


 僕らは公孫瓚こうそんさん軍と合流し、ここからは軍の主導権は鄒靖すうせいから公孫瓚こうそんさんへと移った。


 公孫瓚こうそんさんは僕らにこれまでとこれからを語り聞かせてくれる。


「私は総司令官の中郎将ちゅうろうしょう孟益もうえき殿と共にここ幽州ゆうしゅう張純ちょうじゅんらに占領された都市を攻略して回っていた。


 敵が本拠地としていた薊城けいじょうは既に孟中郎将もうちゅうろうしょうが落とした。


 それにより行き場を失った張純ちょうじゅん張挙ちょうきょらは烏桓うがんの本拠地である柳城りゅうじょうを目指して退却した。


 そして、彼らはその西南にある石門山せきもんざんに布陣した。

 我らはこれよりその石門山せきもんざんを攻める!」


 僕らの次の行き先が決まった。


 僕らは公孫瓚こうそんさんと共に幽州ゆうしゅう遼西郡りょうせいぐん(現在の遼寧省朝陽市辺り)にある石門山せきもんざんという山へと向かった。


 石門山せきもんざん辿たどり着いた僕の前に敵陣の姿が飛び込んでくる。


「あれが石門山せきもんざんの敵陣か!」


 それは連なる険阻けんそな山であった。その山腹、台地になって開けている場所に防柵が築かれ、旗指はたさし物が無数に並んでいる。そんな場所が無数に中腹にあり、山をぐるりと要塞ようさいになったような様相になっていた。


 その各所にいくつもの敵影が見える。恐らく合わせれば何万もの軍勢になるのだろう。これまでの戦いとは違う大規模なものとなることを予見させた。


 公孫瓚こうそんさんは既に情報を得ているようで、あれが張純ちょうじゅんの陣、それが烏桓うがんの王の陣と、指差しながら細かに説明していく。


「山はご覧の有り様だ。


 乱の首謀者・張純ちょうじゅん張挙ちょうきょ、それに烏桓うがんの王・丘力居きゅうりききょら、主だった者たちがこの山に集結している。


 これは長期戦を覚悟せねばならぬかもしれんな」


 白馬の騎将・公孫瓚こうそんさんは重く渋い声でそう告げてきた。それに劉備りゅうびが応じる。


「ああ、公孫瓚こうそんさんの兄貴の言う通りだろう。


 山の上にいる連中を下から攻めるのは不利だ。


 幸い木々がよく茂っているから、ここは隠れて裏に回り、奇襲を仕掛けるべきじゃないか。


 何だったら俺たちの軍がやるぜ」


 しかし、劉備りゅうびの提案に、公孫瓚こうそんさんは声以上に渋い顔つきになった。


「いや、劉備りゅうびよ、悪くはない策だがそれは難しい。


 気づかれないように動くなら兵数は限られる。確かにお前の軍の兵数なら見つからずに移動できるかもしれない。


 だが、この山には敵兵の主力が集結している。わずかな兵で攻めてもビクともせんだろう。


 お前たちが攻めても返り討ちに合うだけだろう」


 公孫瓚こうそんさん劉備りゅうびの会話を聞くに、どうやらすぐには攻められそうにない。


 劉備りゅうびの策が却下されるのは無理もない。何万人もの兵士がひしめいているのだろうあの山を相手に、百人ばかしの劉備りゅうび軍ができる仕事はあまりにも少なすぎる。

 ここは何千人と部下がいる公孫瓚こうそんさん鄒靖すうせいに任せて、指示が下るまで待っておこう。


「仕方ない。


 今は来たるべき戦いの準備に時間を使おう」


 この辺りは自然が多い。僕は茂みの中に分け入り、丈夫そうなつたを切り取り、陣所へと持ち帰った。


 そのつたで足先が入るくらいの小さな輪を二つ作ると、その輪をさらにつたで結び、愛馬・彗星すいせいくらくくりつけ、左右かららした。


「出来た!


 簡易あぶみの完成だ!」


劉星りゅうせい、そりゃなんだ?」


 その工作の様子を見て、劉備りゅうびが不思議そうに尋ねてくる。


「これはあぶみという馬に乗る時に足を乗せる足場だよ。


 さすがにあぶみも無しで馬に乗るのは無理があると思ってね。簡単だけど作ってみたんだ」


「変なもん作ってんな」


 あぶみは馬に乗る時に足を乗せるもので、現代での乗馬には必需品だ。


 しかし、どうやらこの時代にはまだあぶみはないらしい。僕が読んだ三国志の漫画には確かあったと思うんだが、いつ頃に出来るものなのだろうか?


 未来の道具を先取りして作ってしまうことに抵抗がないわけではないのだけど、あぶみもない状態で馬に乗るのは厳しい。前回の一騎打ちでも馬の体当たりで簡単に姿勢を崩してしまった。

 今後もあのような戦いがあるなら、ぜひとも作っておかねばならない。


 僕はつたあぶみに足をかけ、馬に乗ろうとしたが、『ブチッ』という音を立てて、つたが切れてしまった。


「ああ、切れちゃったか。


 やっぱりこれに体重を預けるのは無理か」


「そりゃそうだろうな」


 劉備りゅうびは冷ややかな目でそう答えた。


「様子を見に来てみれば、何をやっとるんだ、お前たちは?」


 そこにやってきたのは、白馬の騎将・公孫瓚こうそんさんであった。長期戦になったおかげで、この人にも暇が出来たようだ。馬具のことならこの人に聞けば何かわかるかもしれないと思い、僕は事の顛末てんまつを伝えた。


公孫瓚こうそんさん様、実は斯々然々かくかくしかじかで、あぶみというものを作っているのです」


 公孫瓚こうそんさんは何か思い当たることがあったようで、何やら語って聞かせてくれた。


「それはあぶみというのか。


 昔、革で出来たそういうくつ掛けを見たことがある。名家の子弟が馬の乗り降りに使っておった」


「え、あぶみが既にあるんですか!」


 僕は公孫瓚こうそんさんの言葉に驚いた。どうやらあぶみの原型は既にあるようだ。なるほど、それが将来的に金属製のあぶみへと進化していくのだろう。


「なるほど、革で作るんですね。


 革の強度で馬上でも体を支えることができますか?」


 僕の質問に、公孫瓚こうそんさんは渋い顔して答えた。


「走行中にも使う気か?


 あれにそこまでの強度はないはずだぞ。あくまでも乗り降りする時の補助具だ。


 馬に乗ったら、その補助具からは足を外して使ったりせん」


 あぶみの役割は大きく二つある。一つは乗り降りに使う補助具。もう一つは騎乗中に体を安定させる。この二つだ。

 どうやら、革のあぶみは前者の乗り降りの補助具としての役目しかないようだ。


「うーん、革では強度に問題があるようですね。


 やはり金属で作らないと」


「金属か。そこまでして必要なものなのか」


 公孫瓚こうそんさんあぶみの必要性に懐疑かいぎ的だ。既に無い状態でも彼らは上手く馬に乗れているのだから、それも当然の言葉なのかもしれない。


劉星りゅうせいよ、金属製のはすぐには作れねぇけどよ、木製のはどうだい?」


 そう言いながら、猫背の男が僕の前までやってきて、木を削って作った二つの輪っかを渡してくれた。


「え、いただけるんですか、ありがとうございます!


 えーと……」


 確かこの人は前に僕が信用できるのかと劉備りゅうびに尋ねていた人だな。

 だが、名前がまだわからない。


「自己紹介がまだだったな。


 おりゃぁ、簡雍かんようという者だ。


 同じ大将の配下だ。そうかしこまらなくていいぜ」


 簡雍かんよう。少しマイナーな人物だが、聞き覚えがある。確か劉備りゅうびに古くからつかえる文官だったはず。


 歳は劉備りゅうびとそう変わらないのだろうが、少し老けて見える。身長は猫背のために低く見えるが、伸ばしてもそんなに高くは無さそうだ。四角い顔に無精髭ぶしょうひげやしている。あまり清潔感は無いが、どこか顔に愛嬌がある。


 少し前までは僕の加入に批判的であったが、先の戦いで少しは認めてくれたということだろうか。あの一騎打ちで悪感情が少しでもやわらいだのであれば、危険をおかして戦った意味があるというものだ。


 これからも劉備りゅうび軍でやっていくのなら、この簡雍かんようだけではない。他のメンバーとも仲良くやっていきたいところだ。


 そこへ劉備りゅうびが横から来て補足の言葉をくれた。


簡雍かんようは手先が器用でな。


 簡単な物なら作ったり、直したりできるんだよ」


「うちは金がねぇからな。


 自分でやってるうちに色々出来るようになったんだよ。


 木は金属より頑丈じゃぁねえから、ずっとは使えねぇだろうが、一回の戦い分くらいは保つだろ。くくりつける紐も革のこいつを使えよ」


 ちょっと毒づきながらも簡雍かんようは僕に革紐を渡してくれた。


「ありがとう。早速使ってみるよ」


 僕は木製のあぶみを革紐をくくりつけ、彗星すいせいくらにつけてらした。見た目は電車のり革を馬の左右に付けている図のようでもある。

 だが、絵的には申し分ない完成度だ。


「さて、問題は強度か」


 僕はあぶみに左足をかけ、体重を乗せた。最中に『ビッ』という嫌な音が聞こえたが、無事に馬に乗ることが出来た。

 僕は右足もあぶみに入れた。前までの足を大きく折り畳み、馬体を挟む乗り方に比べれば随分、楽な姿勢になった。


「これだよ、これ。


 よし、走ってみよう」


 僕は愛馬・彗星すいせいを走らせ、周辺を軽く回ってみた。今までの正座みたいな姿勢からは考えられないほどの快適さだ。やはり、馬にはあぶみが必要だ。


「おう、戻ってきたか。


 どうだったよ、劉星りゅうせい?」


「ようやく馴染みの乗り方ができたよ。


 ありがとう、簡雍かんよう


 小さな輪っかではあるが、これだけで随分乗りやすくなった。簡雍かんようには感謝してもしきれない。


「そりゃ良かったが、所詮しょせんは木の輪っかだ。


 いつまでつかはわからんぞ」


 簡雍かんようの言う通りそこが問題だ。やはり、金属製のあぶみが欲しいところだ。

 その事に対して劉備りゅうび簡雍かんように尋ね出した。


簡雍かんよう、村のならお前さん使えたろ。


 あれで金属のあぶみ作れんか?」


 劉備りゅうびの問に簡雍かんようは目をすがめながら答えた。


「ありゃ、折れたとか曲がったとかの簡単な補修をするためのだ。


 一から作るなら、ちゃんと職人に頼まなきゃ駄目だろうな」


「そうか、無理か。


 まあ、馴染みの商人がいるから村に帰ったら紹介してもらおう」


 どうやらあてはあるようだ。劉備りゅうびの村に連れて行ってもらったら、ぜひ、金属製のあぶみを作ろう。


 その一連の様子を見て、公孫瓚こうそんさんが再び僕に尋ねてきた。


「しかし、劉星りゅうせいよ。


 そのあぶみというのはそんなに良いのか?」


「ええ、公孫瓚こうそんさん様。


 体が安定しますし、馬上で戦うならば必須の道具ですよ」


「馬上で必須とあらば騎馬隊の指揮官としては興味が湧くな。参考にさせてもらって良いか」


「ええ、存分に参考にしてください」


 もしかしてあぶみの特許が取れたら大金持ちになるんじゃないかとの考えがよぎったが、時代的にそれは叶いそうにない。金持ちルートは難しそうだ。


 ここに長期で滞陣たいじんするのなら、それまでの間はこのあぶみに慣れるまで練習しようかとなどと考えていた。


 だが、決戦の日は予想より早く来てしまった。


「敵の烏桓うがん人の中に我らに寝返ると願い出て来た者が現れた。


 これ以上の好機はない。


 これより我らは全軍を挙げて石門山せきもんざんを攻略する!」


 そう公孫瓚こうそんさんは宣言した。


 突如、決戦の火蓋が切られてしまったのであった。


《続く》