三人で乾杯したはいいものの、結城さんがいるのは少し気まずい。
空港で月見里さんから渡された、結城さんの手作りクッキーを受け取らなかったことを聞いているだろうか。
ビールをごくごくと飲み干すと、結城さんが伺うように僕を見ていたので、居心地まで悪い。
しかしそんな重い空気を破るように、川辺主任が、たくさん食えよ、と僕の前に注文した料理をどかどか置いていく。
とりあえず目の前にあった枝豆に手を付けていると、川辺主任がいつもの元気なテンションを抑えて話し掛けて来た。
「なあ、お前ら何かあったの?」
「それ、それですよ。月見里チーフも心ここにあらず、なんですけど?」
心配そうな顔をして聞いて来る結城さんには、君がそれを聞いてくるのかと呆れる。
「別に何もないです。元から何もないですよ」
「何もないって松岡……」
「絶対何かありましたよね? だって、土曜はすっごい幸せそうな顔して、月見里さんクッキー作ってたんですよ。それが今日はお葬式みたいな顔してました……。あれは絶対何かあったはずです。ですよね、松岡さん?」
「松岡お前、月見里に何かしたのか?」
「え、待って? 月見里さんがクッキーを? え、どういう事?」
僕の言葉に結城さんが更に訝しい顔をする。
「土曜日ウチに来たんですよ月見里さん。それで一緒にクッキー作って、それから私の家にあったものだけど、ラッピングも松岡さんの事を想って選んでました。クッキーも最初は一緒に焼いたんですけどね、やっぱり自分で作りたいって言って、材料を計る所から全て一人で作ってました。相手を想って作ってるのがよく分かるくらい幸せそうな顔してたんです。……もしかして貰ってないんですか?」
「…………」
何も言えなかった。
「あれ、おかしいな……。てっきり松岡さんにあげるんだと思ったんだけどな?」
あのクッキーの砕けた感触が手によみがえる。
あれは、結城さんの手作りじゃなくて、月見里さんが僕のために作ったもの?
それと同時に友梨の声がよみがえる。
――あと克服もね。
手作りがダメな僕の克服に、手作りクッキー?
安易すぎるけど、そんな安直な考えが月見里さんらしい気もする。
だけど、そのクッキーは台無しにしてしまった。
それにあの時、ついかっとなって、酷い事まで言ったような気がする。
どうしよう。
「なんか、心当たりあるのか?」
川辺主任の問いに、はい、とは声が出ず、首を縦に下ろした。
「人間同士、喧嘩する事もあれば間違う事もある。大事なのはその後だろ。な?」
「でも、ダメなんです」
そうだ。僕がクッキーについていくら謝ろうと翻らない事がある。
「月見里さんの元カレが帰って来たんですよ。だから……」
「諦めるの?」
「仕方ないじゃないですか。月見里さんは五年も待っていたのに、……川辺主任も知ってるでしょ」
「お前の気持ちってそんなもんだったのか?」
そうですよ、と言ってしまいたいのに、それを認めたくなくて、言葉が胸につっかえる。
「松岡さん、格好悪いですよ。月見里さんが可哀相です」
「結城さんに何が分かるんですか」
「分かりません! でも月見里さんは本当に元カレを選んだんですか? ちゃんと聞いたんですか? フラレたんですか?」
何故か僕より泣きそうな顔をした結城さんがワインを一気に飲み干した。
「川辺主任、赤、おかわり!」
「ええ!? あ、はい、赤ね、赤!」
「も〜う」
そして赤ワインが届くまで結城さんはむくれていた。
「お前、ホントにフラレたの?」
フラレたか、フラレてないか……
いや、そもそも、付き合ってさえいない。
告白もしていない。
OKももらえていない。
スタートすらしていない。
だけど、確かに告白しようと思っていた。
玉砕覚悟で、告白しようと。
実際には、告白する前に玉砕したようなものなのだが。
それでもやっぱり伝えたい。
迷惑かもしれないけど、想いを伝えよう。
彩葉が大好きだ、って言いたい。
もう一度『彩葉』って名前で呼びたい。優しい笑顔で『歩くん』と呼ばれたい。あの温かい手を繋ぎたい。この腕に強く抱き締めたい。
そのためには、
「諦めません」
僕の精一杯の宣言を、二人は満足そうな顔をして聞いてくれていた。
「結城ちゃん、大丈夫? 飲み過ぎだよ、ほら帰るよ」
ワインを水のように飲んだ結城さんの目が半分座っている。
「松岡、結城ちゃん頼む。先に外の風に当たらせてやってくれ。俺は会計が済んだらすぐに行くから」
「分かりました。じゃあ結城さん、外に出ましょう」
「松岡はん! もう格好悪いれすよっ!」
「はいはい、分かりました。そうですね」
「聞いてるんれすか? らめれすよ、ちゃんと頑張ってくらはいね」
「はい、頑張ります」
軽く受け流しながら、結城さんは酔ったら絡むので、あまり近付かないほうが良い、と今後のために脳内にメモを残しておく。きっと会社の飲み会で役立つはずだ。
外に出るが八月の夜の風は生ぬるく、というより昼間の蒸し暑さが残っているのか、汗が出てシャツが服に張り付く。
そんな不快感が高まる中、酔った結城さんが立ったまま寝ようとしていた。
「ちょっと結城さん、起きて」
「…………」
こんな所で勘弁してくれと思いながら、倒れないようにと支えるが、自分の汗か結城さんの汗か分からない不快感を感じて眉を顰めた。
ああ、無理だムリムリ。これ以上ムリ! 川辺主任早く来てくれと眉を寄せながら願う。
そんな時だった。
道路を挟んで向かいの歩道を歩く月見里さんと例の元カレを見たのは。
そして、その月見里さんと、
視線が交わる。