赤ずきんは葉巻から漂う甘い香りに目を細めた。
折り畳み式のイスに腰掛け、釣りをしている狼の横顔を見つめる。
穏やかな川に左半身を向け、釣り竿を銜える狼。
足元は白く、胴体にいくにつれ茶と灰の毛が混じる。
「お茶会が懐かしく感じるなぁ」
狼は呆れたように鼻息を出す。
「今日も串焼きかな、それとも頑張ってムニエルにしようかな」
話せないのをいいことに、呑気に喋る。
川の先に続いている町には、広い農場と風車が目立つ。
「あそこの人達、狼さんを見ただけで威嚇射撃してきたね。私も入らせてもらえなかったや」
『……』
赤ずきんはさほど気にせず、次の町や村はどこにあるか、何日かかるか、頭の中で考え込む。
「ねぇねぇお姉ちゃん!」
慌てた幼い声が下の方から聞こえ、赤ずきんはそっと顔を下ろす。
7才ほどの少年が真剣な眼差しを送っていた。
ズボンに玩具の銃を突っ込んで、封筒を持っている。
「いつの間に、全然気付かなかったや」
狼は釣り竿を引っ張り戻し、砂利の上に転がした。
『オレもだ、ニオイがしなかった。魚の釣りすぎか?』
狼は何度も空気を嗅ぐ。
「君は町の子?」
質問に、少年は笑顔で頷いた。
「うん、ボク、レオ! お姉さんにおねがいがあって」
レオと名乗った少年は封筒を見せる。
封筒は黄色にくすむ。
「それは何?」
「写真! お父さんにこの写真をわたしにいきたいから、いっしょに来て!」
ちらりと横目で覗くようにお互いを見た。
葉巻の先に軽く息を吹きかけて消した後、専用のシガーボックスに入れて、斜め掛けカバンにしまう。
ボルトアクションライフルを背負い、ホルスターには45口径のダブルアクションリボルバー。
準備が整い、レオを見下ろす。
「レオ、よく町から抜け出せたね」
「うん! でもお母さんこわいんだよ、バレたらおしりたたかれるどころか、ごはん抜きだもん」
「なるほど、相当の覚悟があるとみた。それで、どこまでついて行けばいい?」
レオは封筒を大事に抱えて近くの森を指した。木々が密集している場所は川に囲まれている。小さな橋を渡った先から道なき草むらで、中央に古い砦が見えた。
「いつもあの岩の上にいるよ! あそこで狩りをしているんだ」
「なるほど、狩人」
橋を渡り、よたよた歩く狼を先頭にして、レオが真ん中に、赤ずきんは後方を歩く。
「うん、かりうどのなかでも一番じょーずなんだって」
父について自慢するレオに、赤ずきんは目を細める。
「凄いね。上手ってことは、たくさん人食い狼さんを仕留めたわけだ」
狼は何も言わず、前を進み続けた。
「うん。だから、お母さんオオカミをうっちゃった。子どもがいたのに」
寂し気に俯くレオ。
「そっか」
「ひとりぼっち、かわいそうでひろったけど、にげちゃったんだ」
草が激しく擦れるような音が聴こえ、レオは思わずしゃがみ込んだ。
『ニオイがする、近くにいるな』
「明るいのに活発だね。ちょっと撃つよ、うるさいから耳塞いでて」
リボルバーを抜き、空に向けて一発、破裂音を響かせた。空に飛び立つ鳥の騒がしい鳴き声と羽の音。草の擦れる音は遠のいていく。
両耳に指を入れたレオは、ゆっくり離して辺りを見回す。
「な、なにをしたの?」
「人食い狼さん達は大きい音が苦手だから、音を聞いて逃げるか、飛び出してくる」
「そうなの? すごい……お姉ちゃんはなんでもできるね!」
「ふふ、褒めても何も出ないよ」
『……おい、赤ずきん』
先頭にいる狼は声を落とした。
「どうかした?」
『森の様子がおかしい……異様な空気がする』
上を向けば、木々の隙間から覗ける森の砦。屋上から太陽に反射して光るなにかが赤ずきんの視界に映る。
目を凝らせば、それはスコープに反射した光だった。
「あぁ、さっき撃っちゃったから怪しまれたかな」
ライフル銃を手にレバーを倒し、レオを木に隠す。
「レオ、狼さんと一緒にいてね。頼んだよ」
頼まれた狼は、分かった、と低く返事をした。
「でも、お父さんが」
「まぁまぁ、まずは誤解をとかなきゃ、それからだよ封筒を渡すのは」
赤ずきんは木に隠れながら、砦に接近。
「こんにちは! 実はレオから依頼されて貴方に封筒を届けにきました!!」
木の陰から砦に向かって叫んだよく通る声に、
「レオだとぉ……嘘をつくな!! なにが狙いだ、金か、弾か、食料か!?」
男は警戒して叫び返してきた。
同時に爆裂音を響かせて赤ずきんが隠れている木を抉る。皮が捲れ、木片が散らばる。
「あーもう……血の気多すぎでしょ。どうしよう、このまま近づいても銃撃戦かな」
足元に落ちている掌サイズの石を掴み、前方へ投げる。
容赦のない爆裂音と同時に石が砕け、破片が土を抉り飛び散ってしまう。
「うわ、なんていう精度」
『おい、こら、レオ!!』
狼の焦る声と茂みを揺らす音が聴こえてきた。
レオは言うことを聞かず、前に飛び出してしまう。
追いかける狼に、顔を青ざめた。
「ダメ!!」
その合図に、前脚を踏ん張ったが間に合わず、鼻先から地面に転んでしまう。
反射して光るものが狼とレオに向いた。赤ずきんは砦にいる狩人に狙いをつけて発砲。二重に爆裂音が響き、赤ずきんは軽く舌打ち。
顔を強張らせ真っ先に狼のもとに駆け寄る。
狼は首をぶるぶる振り、ふらつきながら起き上がった。
怪我はなく、赤ずきんは大きく安堵の息を吐き、抱き寄せる。
『オレは大丈夫だ……レオが』
横を見ればレオが力なく横たわっている。
出血も、怪我をしている様子もなかった。
「どういうこと?」
『分からん……とにかく狩人に会おう』
落ちた玩具の銃と黄ばんだ封筒を抱え、レオを狼の背中に乗せる。
砦の屋上には深い呼吸を繰り返し、出血した腹を押さえる狩人がいた。
スコープが付いたライフル銃が側に落ちている。
険しい表情で赤ずきんを睨む。
「狼さん、ここで待っていて」
階段の途中で止めさせる。
「なんだ……クソ、女なんかに……」
「すぐに止血します」
「近寄るな!」
シングルアクションリボルバーを握り、撃鉄を起こす。
引き金に指を添える。
「分かりました」
「一体、何の用だ」
「レオに、頼まれたんです。封筒を渡してほしいと」
黄ばんだ封筒を見せると、狩人は悲し気に首を振った。
「この封筒と玩具の銃は……確かにレオの、宝物だ。だがレオはもう2年前に死んだ。人食い狼に喰われてな」
「えっ?」
思わず目を丸くする。
「はぁ、迎えに、きたのか……俺にはやるべきことが」
「やるべきこと?」
「人食い狼の駆除……お前も、銃を持っているのに、何故、狼なんかと」
「彼は、私の大切な相棒です」
「ははっ、レオと同じことを……その相棒に、喰われたのにな」
悔しさを嚙み千切り、呟いた狩人。
「だとしても相棒を撃てません、レオもきっとそうだったでしょう」
「狼に……大切な、人を、奪われた……」
狩人は首を横に振り、リボルバーの引き金に力を加えた。
「レオ……あぁ」
砦を中心に、叩きつける破裂音が響いた。
一瞬体を跳ね、そのあとは、だらん、と落ちる。
『赤ずきん!』
隠れていた狼は砦に上がって、慌てて足元へ。
「……レオが、消えた」
狼の背中には誰も乗っていない。
『どういうことだ、何が起こったんだ?』
赤ずきんは無言になり、狼を抱きしめる。
突然のことに驚いた狼は、左目の琥珀を大きくさせた。
『ど、どどど、どうした?』
赤ずきんは答えず、胴体や耳、顎の下を撫でて、閉ざした右目に口づけをする。
立ち上がった赤ずきんは、ふぅ、と呼吸を整える。
「さぁ行こう……狼さん」
砦の近くに土を掘り、狩人の遺体を埋め、そこにライフル銃を突き刺す。
ドッグタグを銃身に掛け、墓標代わりとした。
暗くなる時間、赤ずきんは折り畳み式のイスに腰掛ける。
金属製の箱に枝を入れ、マッチで火をつけた。
鉄板を乗せ、釣った川魚を焼く。焼けるのを待つ狼。
黄ばんだ封筒を開けると、写真が入っていた。
狩人と、レオと女性。レオの胸には怯えた小さな狼が抱えられている。
玩具の銃と一緒に火の中へ放り投げた。
写真と封筒は一瞬にして黒く染まり、灰となって跡形もなくなる。
玩具の銃は枝と共にゆっくり火を揺らす。
赤ずきんは乾いた血で汚れた手紙をカバンから取る。白い部分は僅かで、辛うじて読める文字を追いかけた。
『悲しいのか?』
「そうかも……でも平気」
手紙をカバンに戻して、微笑んだ。
「魚、美味しく焼けるといいね、狼さん」
狼は黙って、魚の焼き加減を見守り続けた。