111話:ケレヴィルの新所長

「さっさと服を着て出て行け、ガブリエッラ。そろそろ来客がある」


 ズボンのベルトを締め直しながら、シ・アティウスは感情の伺えない声で言った。

 ガブリエッラは美しい脚を立てて、デスクの上に仰向けに寝そべっていた。秘めやかな部分を隠そうともせず、色っぽいラインを描く腰をゆったりと揺り動かす。そうするだけで、いまだ身体の奥に燻る甘美な快感が、ゆるゆると下肢を痺れさせていた。

 もう少し余韻を味わっていたかったが、あまり粘っていても放り出されかねない。そのへんシ・アティウスは容赦がないのだ。

 仕方なくガブリエッラは身を起こすと、床に散らかる自らの衣服をつまみ上げ、ベージュ色の下着に足を通した。


「まだ、物足りないわ。だいぶご無沙汰だったし…」

「そのうちにな」

「なるべく早いうちにお願いね? 新所長様」


 下着の上に白衣だけを羽織ると、ガブリエッラは魅惑的なウィンクを残して、颯爽と部屋を出ていった。




 誰だか一発で判るほど、ドアが開く前から喚くような声が聞こえてきている。そしてノックもせずにドアが開くと、喚き声とともに、ベルトルド、アルカネット、リュリュの3人が入ってきた。

 喚いていたのはベルトルドで、騒々しさこの上ない。床を踏み鳴らして、ぷんすか怒っている。


「全くあのクソジジイ、この俺にトイレ掃除を命じやがって、どういう了見だ! ったく!!」

「あーたがブロムストランド共和国の首都を、壊滅させたのがバレたからデショ」

「トイレ掃除ですんで、よかったじゃありませんか」


 温泉旅行から帰ってすぐ宰相府へ出仕したベルトルドは、デスクに落ち着く前に皇王からの呼び出しを受けた。

 急いでグローイ宮殿の謁見の間に入ると、挨拶もなしに第一声が、


「ばっかもーーーーーーーん!!!」


 そう謁見の間に轟く大声で、皇王から怒鳴られたのだ。一緒に来ていたリュリュは、思わず首をすくめてしまった。


「全くお前は加減というものをしないからケシカラン! 我が国に敵対していない国の首都を吹っ飛ばしてどういうつもりじゃ!!」


 玉座から身を乗り出して、唾を飛ばしながら皇王は怒鳴った。めったにない剣幕である。

 一瞬ベルトルドは何のことかと、不思議そうに首をかしげた。

 まるで気づいていないベルトルドに、リュリュがそっと告げる。

 ライオン傭兵団に舞い込んだ王女の護衛仕事の件、そして、キュッリッキが突然会議室に乗り込んできてベルトルドを連れ出した件。それによってもたらされた、ブロムストランド共和国の悲劇。

 温泉旅行で留守にしていた数日の間に、余すことなく全て、皇王に報告されていたようだ。


「………んーっと、結果オーライ?」


 きょとーんとした表情を浮かべ、両手を上げて降参する。

 まるで反省の色なし、悪いことをしたという自覚なし、少しも謝ろうという気のないベルトルドの態度。

 普段ベルトルドに、能無しボケジジイなどと面と向かって言われているが、気にもしていないので好きなように言わせていた。が、今回ばかりは本気で怒っていた。何故なら、外交問題どころではないからである。

 いきなり国を飛び出し、首相ごと首都を吹っ飛ばしたというではないか。

 首都にいたブロムストランド共和国の人々の証言から、たった一人の超能力サイ使いに攻撃されたことはすぐに判明した。

 短時間で首都を吹っ飛ばせる超能力サイ使いなど、そうはいない。

 世界中の人々が真っ先に思い浮かべるのは、ハワドウレ皇国の副宰相だ。ベルトルドの超能力サイの実力は、周知の事実である。何せ、歴史的にも類を見ないOverランクの持ち主だ。

 しかし、何故ハワドウレ皇国の副宰相が宣言もなく、単独で他国の首都を吹き飛ばしたのだろうか。人々は激しい疑問をそこに投げかける。

 また戦争が始まるのではないかと、世界中の人々が不安に陥るのだ。先月モナルダ大陸で戦争が起きたばかりで、今度はウエケラ大陸かと。

 あずかり知らなかった事とはいえ、これ以上不穏な噂を広めるわけにはいかない。

 皇王の勅命で、この一件のもみ消し処理に、いま大勢の外交官やら報道官たちが脱兎の如く走り回っていた。

 世界中に知れ渡る前に、水際で食い止めるのだ。


「お前みたいな大馬鹿者は、反省しながら宮殿の全トイレの掃除でもしちょれ!」


 かくしてベルトルドは一週間にわたり、仕事が終わってからグローイ宮殿の全トイレ掃除を命じられたのだった。


「あの宮殿にトイレがいくつあると思っているんだ!! 自慢だが俺は掃除なんかしたこともないしトイレなんて掃除したことないんだ! それが仕事終わって一人でできるわけなかろう? 過労死させる気かっ」

「死ねばいいんですよ」

「ガルル」


 殺伐とした声で言うアルカネットに噛み付きそうな顔で睨むと、ベルトルドはフンッと鼻息を吐き出した。


「俺は絶対トイレ掃除なんかしてやんないもんっ!」


 ベルトルドはツーンと拗ねた表情で、明後日の方向へ顔を向ける。


「なーに子供みたいな拗ね方してンのよ。――さて、時間も押してるし本題に移るわ。言うのが遅れちゃったケド、温泉旅行前にライオンの連中の仕事に首突っ込んで、面白いモノを見つけてきたの。召喚〈才能〉スキル持ちの王女サマよ」

「ほほう」


 それまで黙って会話を聞いていたシ・アティウスは、表情を動かすことなくメガネを押し上げた。リュリュは手にしていた書類をシ・アティウスに渡す。


「アレコレ理屈をつけて、即日アルカネットがハーメンリンナに連れてきたわ。今はマーニ宮殿にご滞在中」


 マーニ宮殿は貴族たちが暮らす東区に在る。外国からの賓客などをもてなし、滞在してもらうための宮殿だ。

 シ・アティウスは書類に目を通しながら、デスクにしまっていたファイルを取り出しクリップに挟んだ。


「これでキュッリッキ嬢を除く召喚〈才能〉スキルを持つ召喚士が、全部で15名揃ったわけですね。トゥーリ族やアイオン族の召喚士を連れてくるのは難しいでしょうし、この15名を使いましょうか」

「そうだな」


 顔をシ・アティウスに向けたベルトルドは、腕を組んで意味ありげな笑みを浮かべる。


「十分とは言えませんが、結果は確実に出せるでしょう。明日にでも全員ここに揃えて、キュッリッキ嬢にも対面していただく」


 ベルトルドとアルカネットは頷き、リュリュはフンッと顎を引いた。


「ところでシ・アティウス」

「なんでしょうか」

「新所長になって、早速女を連れ込んではげんでいたようだな。さっきそこで色っぽい女とすれ違ったぞ。ありゃ下着の上に服を着ないで、白衣を着ていた」


 嫌味ったらしくベルトルドが言うと、シ・アティウスは無表情のまま小さく肩をすくめた。すれ違っただけの割には、微妙に具体的である。


「あなたから譲っていただいたこの部屋は、密会するのにちょうどいいですね。わざわざ官舎や倉庫で急いでやる必要がない」

「能面エロづらのくせに、やることはしっかりやってるんだな。さすがエロイ顔だ」


 なぜか大真面目に納得している。


「デスクワークは結構溜まりやすいもので」

「誰かさんは年がら年中、頭の中が桃色天国ですものねン」

「五月蝿いオカマ!」


 やれやれ、とベルトルドとリュリュを見やり、シ・アティウスは小さく息をついた。

 温泉旅行から帰ってきたその日に、アルケラ研究機関ケレヴィルの所長職をベルトルドから譲渡され引き継いだ。ユリハルシラ滞在中にシ・アティウス自身が要求したことだが、ベルトルドの行動は早かった。

 表向きの理由は、「軍総帥職も兼任する身で、ケレヴィルの所長職まで身体的に辛い」というものだ。実際初夏には、激務が続いて過労で倒れたこともある。

 副宰相という肩書きではあるが、実際この国を動かしているのはベルトルドなのだ。健康を理由に持ち出されては、任命した皇王も首を縦に振るしかない。

 しかし真の理由は、シ・アティウスにケレヴィルの全権を渡すことで、ベルトルドが秘密裏に進める計画を実行しやすくするためだ。

 シ・アティウスはケレヴィルの全てを把握しており、ケレヴィルで抑えているあらゆる情報やシステムを、自在に使いこなせた。また、知識量も豊富であり、ベルトルドの仲間でもある。ケレヴィルの所長職はうってつけなのだ。


「どうしました、アルカネット?」


 黙って難しい顔をしているアルカネットに声をかけると、アルカネットは小さく首を横に振った。


「なんでもありません。彼らのくだらない会話に、呆れていただけですよ」


 そして、ため息混じりにチラッと、ベルトルドとリュリュを一瞥する。


「失敬な!」

「ベルがおバカなのよっ!」

「………五十歩百歩ですね」

「お前がエラソーに言うなエロ助!!」


 ベルトルドはツッコミ混ざったシ・アティウスを怒鳴りつける。

 これには、シ・アティウスもアルカネットも、呆れたため息をついただけだった。