バンドの演奏がピタリと止まり、波が引くように会場の騒音も静まっていく。
衣擦れの音とヒールの靴音だけが、潮騒とともにビーチに響き渡った。
観客たちは皆、吸い付けられたようにステージに立つキュッリッキに見入っていた。
胸元や細い二の腕を大きく覆う飾りは、銀と青のビーズで幾何学模様に編まれ、そこから柔らかな半透明の薄布が、幾重にも裾に広がってほっそりした身体を包み込んでいる。
裾のあたりが淡い青色になっていて、水と白い泡を彷彿とさせるドレスだ。
そよ風に薄布が揺れると、陽の光に透けて身体の線があらわになり、ほんのりと淡く肌の色も透ける。
49人までの艶かしい美しさの競演のあとに、神秘的で清楚な美が登場して、会場は感動の渦に落とし込まれている状況だった。
陽の光を弾いて金色に煌く髪の毛と、日焼けとは無縁の真っ白な肌。儚げでいて美しい顔は、戸惑いを浮かべて目の前の観客に向けられていた。
静まり返る中、キュッリッキがステージの所定の位置に立つと、静寂を突き破るように大歓声が沸き起こった。
これまで顔よりも、その艶かしいボディに魅了されていた人々は、キュッリッキの登場によりなんのコンテストかを思い出す。
「どお? メルヴィン」
ルーファスがニヤニヤとメルヴィンに感想を求めると、メルヴィンは惚けた様にキュッリッキに釘付けとなっている。
「言葉で聞くまでもないか」
ルーファスの苦笑に、タルコットとギャリーはにっこりと笑った。
毎日見ているはずのキュッリッキの顔、そして姿。しかし今ステージにいる彼女は、絵画から抜け出た女神か妖精のように見えるのだ。
「綺麗です、本当に…」
頬を赤らめつつ、メルヴィンは心酔するように呟いた。
「フフンッ、愚民どもめ。リッキーの美しさに魂から魅入られたか」
ポロシャツにスラックス姿のベルトルドは、尊大なドヤ顔で鼻を鳴らす。さすがに軍服は着ていない。リュリュもアルカネットも、似たりよったりのラフな格好だ。
「ちょっと前まで股間がバーニングしてたくせに。よく言うわネ、まったく」
「男としてアタリマエの反応だろう。首から下の裸体に等しいエロティックな艶姿は、実に眼福だった」
「なかなかに神々しいというか、神秘的な雰囲気ですねキュッリッキ嬢。これまでの49人のエロイ姿が霞む勢いを醸し出していますよ」
「無垢なまでに、本当に透明感のある美しさです。魅入られないほうがどうかしているというものです」
シ・アティウスの率直な感想に、アルカネットが深々と同意する。
「さすがは召喚士様、ってところかしら?」
「おおっと、あまりの神秘的な美しさに仕事忘れちゃったよ~! さあキュッリッキちゃん、キミの特技をここでご披露しちゃってえー!!」
「そうだった!」
司会者に促され、キュッリッキはハッとなる。メルヴィンはどこにいるのかと探すことに夢中になっていたのだ。
「えっと、では、得意な歌を歌いまーーーっす!」
そう元気よく大声で宣言し、キュッリッキは司会者のマイクをひったくった。
「ちょっ! ヤバイぞ」
観客席にいるハドリーが、慌てて両手で耳を塞ぐ。
「ヤダあの子、マイク持っちゃった」
ステージの裏で、ファニーは両手で耳を塞いだ。
「アタシの十八番、『恋のドキドキハリケーンラブ』いっきまーす!」
キュッリッキは大きく息を吸い込み、そして。
「あ~~~たしの~~~~この~~あふれるううう想いわあああああ」
握り拳で歌いだした瞬間、ビーチにいるすべての人々がずっこけた。
「ふむ……、まるで超音波のような声質ですね。普段小鳥のような愛らしい声が、どうやったらあんなに酷い歌声に変わるんだろう? 一般的な音痴の領域を遥かに超越しているようだ」
シ・アティウスは冷静かつ、興味深そうに酷評を述べた。当然耳は塞いでいる。
「美少女イコール美声といった、勝手な思い込みを覆すほどの勢いですね」
隙間から
「全くだわねえ。――ちょっとぉ、ベル、アル、大丈夫なのン?」
沈黙してしまったベルトルドとアルカネットの頬を交互にペチペチ叩きながら、リュリュはヤレヤレと頭を振る。リュリュは仮眠用の耳栓で防御をしているので、
現実を手放した2人は、魂が抜け去ったように目を真ん丸くして、口はぽかんと開けたまま肩を落としている。その目に愛するキュッリッキは映っているのだろうか?
「あらあら、小娘ったら、気持ちよさそうに歌っちゃってるわねえ。ホラ、ベルもアルも、ちゃんと応援したげなさいよ」
キュッリッキのことだというのに無反応である。よほどショックなのだろう。――音痴過ぎて。
「それにしても小娘の特技、っていうか無自覚な特技?って、歌うことだったのねン」
垂れ目を瞑ると、リュリュは困ったように苦笑した。
ステージ前のライオン傭兵団全員も、同じように驚愕の目をステージ上に注ぎまくっていた。
「あ…アレが、お嬢の特技なのか!?」
ギャリーは恐怖を満面にたたえ、両手でしっかり耳を塞いでいる。普段あんなに可愛い声で囀っているのに、ドコから出しているんだと慄くほど酷い
「ねえねえ、カモメが海に墜落してるんだけど~?」
ルーファスは両人差し指で耳の穴を塞ぎ、海に次々と墜落していくカモメたちを痛ましそうに見つめていた。飛ぶ鳥も落とす
「
真紅の口紅を塗った大きな唇をへの字に曲げて、マリオンは頭を激しく振った。
「魔法も降参です」
シビルは耳をパタッと閉じながら薄く笑う。
会場中、昏倒したり呻き声をあげる猛者たちでいっぱいになり、
しかしステージの上では、気持ちよさそうにご機嫌なまでの顔で、握り拳全開でキュッリッキは熱唱している。振り付けも惜しまずノリノリだ。
神秘的な美で観客たちを魅了した直後に、この世のものとは思えない音痴を超越したキュッリッキの歌を、誰も止めることができなかった。
(この先、どうやって歌わせないようにするかが悩みどころですかね…)
彼岸のような薄い表情を浮かべ、メルヴィンはステージ上のキュッリッキを見つめていた。
歌が好きだということは、これまで聞いたことがなかった。
付き合いだしてまだ短いし、全てを根掘り葉掘り聞き出したこともない。ゆっくりお互いの事が判ればいい、そう思っていたから。
美しい顔は元気ハツラツな笑みを浮かべ、生き生きと輝いている。光の粒子が舞い散るような錯覚さえ見えるのだ。しかし、この世のものとは思えない声で歌っているのである。
100年の恋もいっぺんに覚める、などと生易しいレベルではない。覚めるのではなく、吹き飛ばすような豪快さなのだ。
(でも、とっても楽しそうです)
不幸な生い立ちのキュッリッキが、歌が好きだということは、とても良いことなのだろう。楽しめる何かを持っていてくれたことは嬉しい。
が、
「それでも、歌は封印がいいと思います…」
メルヴィンはゲッソリと溜息を吐きだした。
5分31秒の『恋のドキドキハリケーンラブ』を歌いきったキュッリッキは、息を弾ませながら目の前の観客たちを見る。
歌い終われば、割れんばかりの拍手喝采が飛んでくるとばかり思っていた。それなのに、拍手どころか歓声もない。目の前の人々が何故かひっくり返っている様を見て、不思議そうに首をかしげた。
「ふにゅ~?」
苦しそうな呻き声が万延していて、キュッリッキは目を瞬かせる。歌に夢中で気づかない間に、何かあったのだろうか。
気持ちよく熱唱したというのに、観客の態度に不満を感じ愛らしい顔をしかめる。
「なんか、ツマンナイ反応かもー」
片方の頬をぷっくりと膨らませ、近くで呆気にとられている司会者にマイクを付き出した。
「はい、返す」
「ハッ」
マイクを返されて、司会者は意識を取り戻した。あまりの音痴に、意識が別の世界へぶっとんでいたのだ。
「な、なかなかエキサイティングな歌だったネ! キュッリッキちゃんありがとう!」
追い出されるようにステージの奥を示され、キュッリッキは膨れっ面のままステージの奥へと姿を消した。
「とてつもない音痴を披露しちゃってさ、キューリちゃん優勝逃すってコトあるかも~?」
ルーファスが恐る恐る言うと、カーティスは苦笑いしながら首を横に振る。
「特技を披露するのは観客を盛り上げるための演出で、美人を競う点数には含まれていないようですよ」
「お~、じゃあ温泉は大丈夫だね」
「ええ。きっと、顔と歌声のギャップのインパクトは、最高だったと思います」
いまだに耳がキンキンしていて、カーティスは口の端をひきつらせた。
「あのペチャパイめ! 俺様の鼓膜が破れるところだったぞ! 大メーワクだ!!」
ヴァルトは眉を寄せて、腕を組んで吠えている。
「カラオケには絶対連れて行けねーな。《豪快屋》のカラオケコーナー撤去してもらったほうがよくね」
「キューリ連れて行く時は、あらかじめ言っておいたほうがいいだろうね…」
キュッリッキが大好きなザカリーも、妹のように思っているタルコットも、さすがにあの歌声だけは受け入れられないようだった。
彼女の意外な音痴を知ったライオン傭兵団は、酷評をぼやきながら結果発表の時間を待っていた。
その他会場の人々もどうにか起き上がり、徐々に明るい賑わいを取り戻している。そして、誰が優勝かを予測して盛り上がっていた。
「おう、バカタレども」
不味い料理でも口にしたような表情を浮かべたベルトルドを先頭に、アルカネット、リュリュ、シ・アティウスが、ライオン傭兵団のいる観客席に合流した。
「おや、ベルトルド卿にみなさん、お揃いで」
来るんじゃねーよ、と顔に書いて、カーティスが笑顔で応じる。ライオン傭兵団の面々も、同様な表情で出迎えた。
「リッキーの優勝する姿を、こっちで見ようと思ってな」
気にしていないベルトルドは、フンッと鼻を鳴らす。
「あの
能面のような
「阿呆、どんなに永久封印したくなるような超酷いクソ音痴でも、それを乗り越えるほどの美人なんだぞリッキーは。優勝以外ありえん」
「……褒めてるんだか貶してるんだか謎ですね」
「最大級で褒めている!」
「きっと悪い夢でも見たのですよ…。集団幻覚、いえ、集団幻聴です」
疲労困憊の表情で、アルカネットが切なげに呟いた。
「あーたも遠まわしに酷いこと言ってるわねン」
リュリュにツッコまれ、アルカネットは情けない顔で口をへの字に曲げた。
そこへドラムの賑やかな音が鳴り響き、会場中がステージに注目する。いよいよ結果発表だ。
生演奏が再び会場を盛り上げ、タキシード姿の司会者が結果発表開始をアナウンスする。そして参加者の美女たちが、1番から順にステージ上へ戻ってきた。
1番はライオン傭兵団のマーゴットであり、最後をつとめる50番はキュッリッキだ。
広いステージに美女全員が並び、会場が再びヒートアップする。
「ふふん、やはり俺のリッキーが一番の美女だな! 他の女どもは首から下なら入賞するだろうが」
「色気でカバーできるはずもない顔で、よくもぬけぬけと参加できたものです。ちなみに、私のリッキーさんですよ」
ベルトルドとアルカネットは横目で視線を飛ばし合う。その間に割って入り、リュリュは大仰に嘆息した。
「ハイハイ、全くバカ親たちなんだから。それにベル、エロイ身体見て股間がバーニングしないようにネ」
「リッキーだけを見てるからダイジョウブだ!」
そう言いつつ、ベルトルドは居並ぶ艶かしいボディに、チラチラと好色の視線を向けていた。鼻の下が若干伸びている。それを見て、リュリュは呆れたように肩をすくめた。
「さあ! まずは3位からの発表だよー!」
美女たちの前に陣取り、司会者が高らかに片手を挙げる。
ドドドドドッとドラムが鳴り、会場中が息を呑む。
「エントリーナンバー34番、《悠々快適傭兵団》のエルマちゃんだよー! おめでとう!!」
赤髪の巻き毛美女が、両手を上げて会場に喜びをアピールする。裸体と区別がつかないまでのマイクロビキニ姿で、インパクトは強烈だ。一歩一歩前に出る都度、揺れるおっぱいと際どい股間に、男たちの視線が集中した。
「マリオンとタメ張れるくらいケバイな、エルマちゃん」
「えー? あたしのほうがぁ、美人よぉ~?」
「ないわ」
「ひっどぉーい」
ザカリーの言いように、マリオンが嘘泣きで応じる。
前に出ていたエルマは、審査員からトロフィーを受け取ると、観客たちに投げキッスをしながら後ろに下がった。
「お次は2位、エントリーナンバー45番、《トリカブト傭兵団》のファニーちゃん! おめでとう!!」
おめでとおおっ! と観客席の一部からドスの効いた歓声が沸き起こった。ファニーの親衛隊たちだ。
「おお、アイツ2位を取れたかあ」
髭をザリザリ摩りながら、ハドリーは笑顔を浮かべた。
「さっすがファニーちゃん、優勝は無理だったけど大健闘じゃない」
「ええ、リッキーがいますしね、優勝は難しいですって。――2位でも賞金はそこそこ良かったと思いますよ」
ルーファスに笑顔を向け、ハドリーはステージ上から手を振るファニーに手を振り返した。
「さあ! 今年の優勝者の発表だよー!」
ざわ、ざわっと、会場がざわつく。
低く、そして徐々に高まっていくドラムの音に、観客たちの熱い視線が司会者に集まる。
「それでは発表! 今年の優勝者はっ! エントリーナンバー50番!《ライオン傭兵団》のキュッリッキちゃん! おめでとうー!!」
大歓声がビーチを震わせた。
「おっしゃあ!」
ベルトルドとライオン傭兵団のみんなが、握り拳で咆哮する。
「判っていた事とは言え、改めて嬉しいものですね」
にこやかなアルカネットに、リュリュも笑顔で頷く。
「セクシーコンテストではなく、美人コンテストですからね」
シ・アティウスも笑みを口元に浮かべた。
ステージ上では、可愛らしい笑顔を浮かべたキュッリッキが、重たそうなトロフィーと、チケットを模した大きなボードを受け取っている。
さすがに2つは持てないので、トロフィーは両手で抱え、ボードは足元に置いて観客たちに笑顔を向けていた。
やがてコンテストの終了を告げる音楽が盛大に演奏され、上位入賞者の3人はその場で観客たちに手を振り、落選した美女たちはステージをぐるりと一周して、奥へと消えていった。
「みんな~、アタシ優勝したよ」
重そうに両手でトロフィーを抱えながら、キュッリッキが仲間たちの待つ観客席に小走りに駆けてきた。
「きゃっ」
「おっと」
ドレスの裾を踏んづけて、前のめりに倒れそうになったキュッリッキを、ベルトルドが優しく受け止める。
「ふぅ…、ありがとうベルトルドさん」
「気をつけるんだぞ」
笑顔のベルトルドに、キュッリッキはいたずらっ子のような苦笑を返した。
「おめでとうございます、リッキー」
ベルトルドの背後からメルヴィンが姿を現し、キュッリッキははちきれそうな笑顔を向けた。
「メルヴィン!」
ベルトルドの腕からするっと抜け出し、軽やかにメルヴィンの胸に飛びついた。重いトロフィーは、砂浜にポイッと投げ捨てている。
キュッリッキにとってそれが優勝の証であっても、メルヴィンと比べたらゴミ同然なのだ。
眉を痙攣させ忌々しそうにメルヴィンを睨みながら、ベルトルドはトロフィーを拾い上げると、そばにいたガエルに押し付けた。
「お前が持っていけ」
「……押っ忍」
「よし、リッキーの優勝祝いをするぞ!」
両手を腰にあて吠えるように言うベルトルドに、皆の視線が集中した。
「ドコでやるんっすか? 今日はイララクス中の飲み屋は満員ですぜ」
世界中から傭兵たちが集まり、一般の観客も多く、特にハーツイーズ街は大混雑だ。カフェやレストランの類は毛頭にないギャリーが、眉を寄せ怪訝そうに言うと、
「ビーチでやる」
そう言って、ドヤ顔のベルトルドは西の方を指さした。
「あっちの方に用意してある。どうせお前らのことだ、ドコにも予約は入れてないだろうしな」
「そうでしょうね。それにリッキーさんが優勝することは間違いないことだったので、あらかじめ祝賀会の用意をしてあります」
アルカネットが朗らかに補足する。キュッリッキが負けることなど寸分も疑っていない、自信たっぷりな2人の成せる技だ。
「祝賀会?」
嬉しそうに興味を示したキュッリッキに、ベルトルドはにっこりと微笑む。
「バーベキューを中心に、リッキーの好きなお菓子や、色々な料理も用意してあるぞ。酒も飲み放題だ」
これにはライオン傭兵団も身を乗り出し反応した。酒の飲み放題なら大歓迎である。
「わあ~、じゃあ、ファニーとハドリーも一緒に行っていい?」
「ああ、リッキーの友人だからな、連れてくるといい」
「わーい、ありがとう」
ずっと蚊帳の外だったファニーとハドリーに、キュッリッキは無邪気に笑いかけた。
「一緒に行こっ」
「い、いいのかな、あたしたち部外者なのに…」
ファニーとハドリーは、おっかなびっくりな体で顔を見合わせる。お偉い筆頭のベルトルドもいるし、いくらキュッリッキと友達でも遠慮してしまう。
「ベルトルドさんがイイって言ってるから、行こーよー。久しぶりに会えたんだし」
キュッリッキは2人の手を握り、ぐいっと引っ張った。
新しい仲間たちができても友達なのだ。一緒にいたいし話したいことも山ほどある。以前よりも、こうして会えなくなってしまった。
キュッリッキの気持ちを察し、2人は小さく頷いた。
「なら、お邪魔しちゃおっかな」
「ご相伴にあずかります」
ファニーとハドリーは、ベルトルドにぺこりと頭を下げた。
「よし、ついてこい!」
ベルトルドを先頭に、ぞろぞろと西へ向けて皆歩き始めた。
喧騒が去り、波の音が耳に心地よく響く頃、鼻先を香ばしい匂いが掠め始めた。
「くんか、くんか……肉の焼ける匂い!」
頭の後ろで両手を組み、退屈そうに歩いていたヴァルトがクワッと吠えた。
「俺様の肉~~~~!!」
そして勢いよく走り出す。
「相変わらず一直線な子ネ。綺麗な顔なのに、ホントもったいないわあ」
金髪を振り乱し駆けていく後ろ姿を見つめ、肩をすくめたリュリュは至極残念そうに呟く。
顔と中身が一致しない、今に始まったことではない。
「オレも腹減った~」
「ボクも!」
ヴァルトにつられたように、ライオン傭兵団も駆け足になる。
「俺も腹減っていたんだ。仕事終わってすぐこちらへ来たからな」
お腹のあたりを摩りながら、ベルトルドも足を速めた。
「そうねン」
「うおっ」
目の前の光景に、ハドリーはギョッと目を剥いて一歩退く。
濃紺色の軍服姿の人垣がずらりと円陣を組んで並び、その中心には使用人と思しき人々が肉を焼いたりしているのだ。
リゾートなビーチに、まるで不釣合いな軍人と使用人たち。
「あ、そっか…」
チラッと視線を前に向け、後ろ姿も偉そうなベルトルドを見る。
ハワドウレ皇国でも、皇王以上に最重要人物とされる副宰相がいるのだ。見えないところにも、きっと警備目的で軍人たちが配置されているのだろう。それに、召喚士であるキュッリッキもいるのだ。
ふむふむと自己完結して、ハドリーは小さく頷いた。
「お疲れ様です閣下! そして、優勝おめでとうございますお嬢様」
陣から一歩外れて、四角い顔をした軍人が、ビシッと背筋を伸ばして敬礼を向けてきた。
「ご苦労アルヴァー大佐、暫く警備しっかり頼む」
「ありがとう、アルヴァーさん」
「ハッ! お任せ下さい。皆様はごゆるりとお過ごしくださいませ」
「アルヴァーさん、久しぶり~」
ライオン傭兵団は口々にアルヴァーに挨拶をして、円の中へと入っていく。ヴァルトはすでに肉にかぶりついていた。
「乾杯前に食うな馬鹿者!」
ベルトルドの拳骨が、ヴァルトの脳天に炸裂する。
「ふごっ」
「グラスを持って来い」
控えている使用人たちにベルトルドが促すと、品の良いグラスをトレイに載せたメイドたちが、グラスを皆に配り始めた。
「おお、シャンパン……」
ファニーは眉を寄せて小さく呟く。そしてライオン傭兵団の顔をチラチラ見ると、皆違和感なくグラスを手にしていた。
ビーチで乾杯なら、ビールじゃないのだろうかと思ってしまう。
「住む世界が違うからな…」
髭面をファニーの耳元に寄せて、ハドリーがうんざりと囁く。
「ホントよね。コレもきっと、飲んだこともない最高級品にチガイナイわ」
「では、世界一美しい俺のリッキーの優勝と、リッキーの友達の2位入賞を祝して」
「誰があなたのですって? 私のリッキーさんでしょう」
「音頭をいちいち混ぜ返すな馬鹿者」
「こういうことは、ハッキリとさせなければいけませんからね」
ベルトルドとアルカネットが、キュッリッキの所有権を争い始め、乾杯が中断される。
「もお、また始まっちゃった。――2人はほっといて乾杯しちゃお! アタシとファニーの入賞のお祝い、かんぱーい!」
「乾杯!」
「おめでとう!」
キュッリッキが仕切り直し、乾杯してしまった。いつものことなので、まともに相手をしてもしょうがないと判っている。
夕刻目前のビーチに、グラスの涼やかな音色が響いた。
「さあ皆様、こちらにお酒をご用意していますよ」
真っ白なテーブルクロスのかかった台には、幾種もの酒類の瓶やグラスが並び、台の下には樽も置いてある。
ベルトルド邸の執事代理をしているセヴェリが、にこやかに台を示す。
「何飲もっかな~」
「オレ白ワイン飲みたい」
「こちらはお肉やお野菜を串で焼いてますよ」
メイドのアリサが焼けたての肉を盛った皿を掲げている。
皆、思い思い散って飲食を始めた。
その様子を寂しそうに見つめ、ベルトルドとアルカネットは顔を見合わせると、肩を落としてため息をついた。
両手で掴んだグラスの中身には、琥珀色の液体が揺蕩っている。濃い目のウイスキーを睨みつけながら、マーゴットは憤然と呟いた。
「納得いかないわ。どうせあの人たちが、キューリを優勝させるように審査員を買収したのよ」
あの人たち、とはベルトルドとアルカネットのことである。
「副宰相の地位にあるんだから、そのくらい簡単なんだし、キューリの優勝は反則なのよ」
隣に座るカーティスは、うんざりしたように長々と息を吐き出した。
毎年の恒例行事のようなものなので、さすがに慣れてしまった。しかし、慣れているからといって、いい加減にして欲しい気持ちのほうが特大である。
美人コンテストに出場したマーゴットは、今年も入賞することなくビリで終わった。
自分の容姿に絶対の自信を持っているため、優勝しなかったことに納得していないのだ。そして、キュッリッキやファニーは、自分と比べれば容姿も格段に劣ると思い込んでいる。2人の、とくにキュッリッキの優勝は、ベルトルドらが審査員を買収して勝ち取ったものだと確信していた。
当然それはマーゴットの思い込みであり、ベルトルドたちは何もしていない。キュッリッキもファニーも、自力で勝ち取ったものだ。
「もう終わったことだから、そのくらいにしておこう」
「イヤよ! あとで不服申し立てをしてくるわ!」
「ちょっとあんた、いい加減にしなさいよね!」
そこへ、ファニーが可愛い顔をムスッと歪め、マーゴットの前に立つ。
「どういう育ち方をしたら、そんな思い込みの激しいブスになるのかしら? 聞いてても見てても苦しすぎるんだから、ドブスだって気づきなさいよ」
「なんですって!」
スチール椅子を蹴倒すようにして立ち上がると、マーゴットはファニーに向かって険しい顔を向けた。
「醜女とまでは言わないけど、並以下程度の顔で美人コンテストに出場しようとか、どういうおめでたい頭してるのか毎年不思議でしょうがなかったのよね。鏡マトモに見たことあるの? あんたの親はよほどの能天気かバカ親だったのね」
「フンッ! 精液まみれの臭い穢らわしい売女の分際で、偉そうに言わないでちょうだい! うちは由緒正しい資産家なのよ。お父様たちを馬鹿にするなんて許せないわ。貧乏人が生意気なのよ!」
「相手してくれる物好きな男がいてくれて、よかったじゃないブス! 貧乏でスミマセンね~。親のすね齧って、カレシのおこぼれで甘い汁啜ってるような能無しに、貧乏人とか言われると腹しか立たないわね」
酒と肉を手にし、遠巻きに2人の様子を見ながら、ベルトルドは面白そうな毒舌合戦が始まったとニヤニヤしていた。
「マーゴットの酷い思い込みも、これで治るんじゃないか?」
「親からしてみたら、自分の娘は可愛いものでしょうから、可愛い、美しい、などと言われて育ったのでしょうね」
ヤレヤレ、とアルカネットは鼻先で笑う。
「付き合うなら見た目、結婚するなら中身、って言うじゃないか。だが、どう考えてもどちらも当てはまらない気がするんだが。カーティスのモノ好きも極まったな」
「好みも人それぞれでしょう。――私には関係のないことです」
「まあな」
「いつもよりファニー怖いよう」
メルヴィンの腕にしがみついて、キュッリッキは2人の様子を恐々と見つめていた。
「マーゴットさんも、いつになくエキサイトしてますねえ…」
マーゴットが美人コンテストで落選するのは毎年のことで、終わればああして不満を吐き出している。しかし今回は部外者に煽られて、いつもより感情が昂ぶっているようだ。今にも殴り合いが始まりそうな雰囲気が漂っていた。
「なんつーか、ファニーが怒るもの無理はナイんすけどね」
モゴモゴと肉を頬張りながら、ハドリーは肩をすくめる。
「出場できる参加者の数って毎年限りがあるんですけど、あのマーゴットって人が参加できているのって、ライオン傭兵団の名前が大きいからなんだと思います。じゃなきゃ、申し訳ないけど書類審査で落選してるでしょうし」
「そうですね。ライオンの名は今では大きいですから」
メルヴィンが苦笑気味に応じる。
「参加していた殆どの傭兵団は、弱小から中くらいのレベルです。こういうコンテストって、傭兵団の名前を売るチャンスでもあるんですよ。だから、大物傭兵団は殆ど参加してません」
真顔になったハドリーの横顔を見つめ、彼が何を言わんとしているかメルヴィンは察して頷いた。
大きな戦争が今では殆どない。先月モナルダ大陸で大きな規模の戦争が起こったが、終戦が早すぎて傭兵たちは活躍も何もできなかっただろう。
名を売るチャンスが少ないため、どんな形であれ、各傭兵団にとって名を売るチャンスなのだ。
「オレもファニーもフリーだけど、それなりの苦労はしてますから。まあ、それで色々と思うこともあるってわけで」
苦笑するハドリーに、メルヴィンは真摯な眼差しを向けた。
「そっか、ファニー、ストレス溜まってるんだね!」
神妙な顔をしたキュッリッキは、納得顔で大きく頷く。
「うーん、まあ、溜まってるっちゃあ溜まってるだろうなあ」
言いたいことが『ストレス』という一言で片付けられてしまい、何だかとっても寂しい気持ちになるハドリーだった。
もっともキュッリッキ自身も、幼い頃からずっと沢山の苦労を強いられてきた身である。今はとても恵まれた環境に身を置いているが、それはキュッリッキ自身が努力を積み重ねてきた上に成り立っているのだから。
「そだ、ハドリーとファニーも、温泉旅行一緒に行こうよ! ストレス解消になるし」
「えっ?」
「ベルトルドさーん」
「どうしたー? リッキー」
「あのね、ハドリーとファニーも、温泉一緒に行ってもいいよね~?」
「ああ、宿泊人数に限りはないみたいだからかまわんぞ」
「やったあ」
「え、あの、ちょっと、えっ」
「行くわ温泉!!」
それまでマーゴットと舌戦していたファニーが、握り拳で応じる。
「わーい! みんなでストレス解消しに行こー!」
「おっ、ファニーちゃんも一緒なの~? やったー!」
「一生の思い出になるわね! ケウルーレの温泉っ」
すでにマーゴットなど眼中にないファニーは、ライオンの皆と盛り上がっている。
「イヤなこと全部温泉でスッキリしてきちゃお。ね、ハドリー」
そう言って屈託なく笑うキュッリッキに、ハドリーは「そうだな」とにっこり笑いかけた。