揺れる馬車の中。
ケイオスのとなりに座ったエルディオンは、車窓に映るシルヴィアの横顔をチラチラと見ていた。
──綺麗だ。
王族、貴族に限らず、エルディオンがこれまで目にした女性の中で、シルヴィア・バイロンは最も美しい人だった。
宝石のように輝く碧眼と艶やかな金髪。
柔らかなそうな白い肌と薄紅色の頬。
形のよい唇は、笑うとさらに魅力的で、彼女の笑顔につられてしまい、気を抜くと頬が緩みっぱなしになってしまう。
母上が亡くなってから、こんなことは久しくなかったのに──
今朝、賊軍の奇襲を受け、防戦するさなか。
脇腹に敵の一撃を受けたあとの記憶はひどく曖昧で、レグルス辺境領に逃れたあたりで、意識が途切れた。
疲れ果てていた。
もう指一本すら動かせないほど身体は重く、混濁する意識のなか、自分が生きているのか、死んでいるのか、それすら判らない。
このまま死ねるなら──それもいいかと、正直思った。
命令されるがまま戦いに赴き、ここ数年、自分が何者であるかを忘れてしまう日々を過ごしてきた。
母上の死の真相を突き止めるまでは、決して死ねない。
そう強く決意したのに、いつしか心は、身体よりも先に疲れ切っていた。血を流して命を奪い合う日々の残酷さに、感情が失われていく。目的を見失っていった。
俺は、何のために血を流すのか。
国のため、国民のために戦っているのか。
そうであるならば、この先には何がある?
数日後を想像しても、数年後を思い描いても、何も浮かばない。黒く塗りつぶされた絵をみせられているようだった。
幸せだった幼き日々。緑あふれる庭園で描かれた母と自分の肖像画を、エルディオンは思い出した。
明るい陽射しのなかで過ごす穏やかな日々は、もう二度と訪れない。この先につづくのは、死に場所を求めて彷徨いつづける日々だ。
苦しみつづけて生きる意味とはなんだ?
自問すればするほど、生きることへの執着が失われていく。
この先にあるのが死であり絶望ならば、もう待つ必要なない。いっそ、自分から、黒く塗りつぶされた未来を手放せばいい──
生きることを放棄しようとしたときだった。
強烈な光が浴びせられる。あまりに眩しすぎる光に抗うことができずに、吸い込まれていく感覚だった。
光のなか、声が聞こえた。
「エルディオン・プロキリア、生きなさい! ここで、死んではいけない! 負けないで、貴方は誰よりも強いから、もっと輝けるから!」
俺の名を呼ぶ、キミはだれ?
強烈な光に呼び醒まされたとき。
視界いっぱいに広がった輝く太陽のような金の髪と、澄み切った青空のような碧眼。このうえなく、美しい色彩を持つ『キミ』がいた。
ああ、絶望の中で見つけた美しい『キミ』を、ずっと見ていたい。
笑えるほどあっさりと、まだ死にたくないと思った。
「……俺、生きているのか」
「はい、殿下は生きています」
美しい『キミ』がそう云って
「わたくしのことは『シルヴィア』か、愛称の『シア』と呼んでいただいて構いません」
〖 シルヴィア 〗
聖なる森の乙女に由来するその名は、彼女にふさわしかった。
いつか自分のことも愛称で呼んで欲しいと願いながら「シア」と呼ぶ許しを得たことに高鳴る胸を押さえつけ、慎重に彼女の手を引いて森を抜ける。
いいようのない幸福感に包まれ、このまま森を彷徨いつづけたい──と、まで思った。
馬車に乗り込んだとき、汚れにまみれたケイオスの顔を見て、現実に戻された気がした。
きっと俺は、それ以上に汚い。血と汗と埃にまみれている。
馬車に揺られる間。
薄汚れた自分の手を見て溜息を吐き、車窓に映るシアをチラリと見て、うっとりする。
それを何度も繰り返しているうちに、憧れのバイロン城へと到着した。