この洞窟を離れられない理由があるならば、まずはそれを何とかするしかない。
「何か理由がおありですか? バイロン城は城塞なので、王城のような華やかさはありませんが、滞在中、ご不便がないように最善を尽くします。ここから少し距離はありますが……お疲れであれば、いますぐ体力の回復もいたしますから──」
指先から光の魔力を放出しようとしたシルヴィアを、
「これ以上、無理をしてはいけない」
エルディオンが止めた。
伏せられた金の瞳が、悲しげに揺れ動く。
「マクシム・バイロン閣下が築城したバイロン城は、俺の憧れの城です。王城などとは比べものにならない。どんなに疲れていても、あの城塞を目の前にしたら駆けだしてしまうでしょう」
「それでしたら、なぜ……」
「俺や第一騎士団と関われば……貴女にも、レグルス辺境領にも、多大な迷惑がかかる。俺たちを入城させたことが軍部に知られたら、まず間違いなく、バイロン家にとって良くないことが起きるでしょう」
下唇噛み締め、苦悶の表情を浮かべるエルディオンが、何を懸念しているのか、シルヴィアには手に取るようにわかった。
王都の軍部に知られるということは、自叙伝に『あの女』と綴られていた天敵・側妃ヘレネの耳に入ることを意味する。
現国王と亡き王妃モリアーナの間に生まれた第一王子の死を、だれよりも願う側妃が、これを見過ごすはずがなかった。
エルディオン率いる第一騎士団を支援したらどうなるか、その見せしめとしてバイロン家が報復されるのは目に見えていた。
しかし、それであれば、なおのこと引けない。
なにせ、子孫シルヴィアが転生させられた理由。
それはいわば、『打倒・側妃ヘレネ』なのだから。
目的を達成できなかった場合のペナルティまで、こちらには課せられている。
誤字脱字だらけだった『本家・自叙伝』の余白
ひっそりと隠すように小さく綴られていた
* * * * *
エルディオン・プロキリアの救済に失敗したとき、
バイロン家は滅亡する
* * * * *
どこまで本気かはわからない。
それだけに余計恐い、というのが本音だ。
祖先シルヴィアの性格からして、やるといったら必ずやりそうな気がしてならなかった。
万が一、現世に戻れたとき、戻る家がなかったら、どうしたらいいのか。それ以上の絶望はないと思った。
バイロン家の行く末のためにも、何がなんでも目的を達成しなければならない子孫シルヴィアは、このために秋からじっくりと対策を立て、戦略を練り上げてきたのだ。
エルディオン率いる第一騎士団をバイロン城に迎え入れたことで、側妃ヘレネから睨まれることは、当然、織り込み済みである。ここは、是が非でも説得しなければならない。
「御言葉ですが、エルディオン殿下。ヘレネ妃殿下よりもわたしが怖いのは、父マクシムです。国境を死守してくださった第一騎士団の皆さまをバイロン城にお連れしなかったと知れば、領主代行として失格だと、わたくしは父にしこたま怒られます」
「……しこたま? そんなはずはないでしょう。閣下が令嬢を溺愛されているのは有名で、ほとんど王都にいない俺でも知っている……」
「いいえっ! それなら殿下もご存知のように、父は根っからの軍人気質です。レグルス領内に傷を負った騎士、兵士がいたら、敵、味方関係なく、ひとまず介抱せよと、幼いころより申しつけられております」
ここで、わずかにエルディオンの口元が弛んだ。
「それは……なんというか、とても閣下らしいですね」
「そうなんです。そんな父の耳に、負傷した第一騎士団を城に迎え入れることなく放逐した──なんて一報が入れば、わたくしへの信頼は失墜するでしょう」
「そんなことは……」
「いいえっ! 重ねがさね恐縮ではございますが、父マクシムのことは、殿下よりも娘であるわたくしの方が存じております。ここはどうか、わたくしを助けると思って、ひとまずバイロン城にお越しください。殿下ならびに第一騎士団の皆様に、お願い申し上げます」
「しかし……」
ゆらぎはじめた騎士団を前に、シルヴィアはここぞとばかりに口調を強くした。
「皆様! この洞窟が、そんなにいいとおっしゃるなら、わたくしもここで一夜を明かしましょう! そうと決まれば、まずは火熾しからですね。体力のない皆様に代わって、わたくしが薪を集めてまいります! さあ、おどきになって!」
これには、全員が青ざめた。
洞窟の入口に向かうシルヴィアを、これまでにない慌てぶりで追いすがってきた。
「お待ちください!」
「そんなこと、バイロン嬢にさせられません!」
「こんな洞窟で夜を明かすなんて、絶対にいけません!」
騎士としては当然の言い分だが、シルヴィアも譲らない。
「ここはレグルス辺境領です。領主代行のわたくしが、どこで何をしようが、残念ながら、だれにも止められないのです!」
制止を振り切り、ずんずんと入口へ向かった。
こっちは、家門の滅亡がかかっているんだから。
「バイロン嬢、外は危険です!」
「御令嬢に何かあったら、俺たちはどうしたら……」
騎士たちが、心の底から気遣ってくれるのは大変ありがたいけれども、
「皆様には、皆様のご事情がおありのように、わたくしにも譲れないことがあるのです!」
強気なシルヴィアに、ようやくエルディオンが折れた。
「わかりました、わかりましたから! どうか、我々をバイロン城にお連れください!」