第39話 ソフィアは微笑む

「なっ!何が起きたんです?」


最初に言葉をもらしたのはシエラであった。


「姉さんが邪術を消し去った…」


ミルトンは口元を抑えている姉を見ていた。


「違うわ。この人と繋がっていた邪術とのリンクを解いたの」


ソフィアはせき込みながら答えた。暴れていた男の体に刻まれていた無数の根は枯れていき布団の上に願い人形の残骸が姿を現した。


「うっ…」

「父さん!」


目を覚ました男の元に娘たちが駆け寄る。

「あなた…」


抱き着く美しい妻と筋肉隆々の男性の抱擁はなんとも絵になる。

なんだかものすごく昔の映画のワンシーンみたいだわ。

思わずウットリしてしまう。


「妻帯者がご趣味だったとは意外です」


背後からシエラのドスの聞いた声が聞こえてきて背筋が凍る。


「妙な事は考えていないわよ!失礼ね」

「本当ですか?」

「本当よ」


まあ、確かにいい体はしてるけれど…。

それを言ったら警部さんの方が…。


首都で出会った美しい男の顔が駆け抜けて思わず赤面する。


冗談じゃない。これじゃあ、欲求不満な女丸出しじゃない。

確かにそっち方面はご無沙汰だけど…。


「妙な夢を見ていた」


男のつぶやきに欲まみれな思考は消えていった。


「妙な夢ですか?」

「お客様でしたか。失礼した」

「いえ、構いません」

「このお姉さん達が父さんを救ってくれたんだよ」

「救う?」

「貴方は邪術の闇にとらわれていたのです」

「俺が?それはマズイ。闇に堕ちたなんて知られたら何をされるか…。もう、お店も出せない」

「ごめんなさい。私が願い人形なんてあげたから」


少女の声には絶望が含まれている。


「ダメ!」


突如動き出した願い人形は少女にターゲットを絞ったようだ。

不気味に首を動かして宙を舞う。

そこにナイフを投げたのはシエラであった。

人形は再び動きを止め、今度こそ静かになった。


ソフィアは少女に笑いかけた。

「自分を責めては貴女の心が死んでしまうわ。マゴスの脅威はどこにでも潜んでいる。この人形もその一つでしかないの」

「でも、私のせいで父さんは…」


ソフィアは優しく首を振る。


「お父様だって、お店を開けるわよ。そもそも闇に堕ちているなら正気に戻るわけないもの。こうして抱きしめてもくれないわ」


厳密には聖女の力をもってすれば、闇に堕ちた者も浄化できる。マニエルならね。

私がこの男性を救い出せたのは邪術とのリンクが不完全で、彼自身が闇に堕ちたわけではないから…。


「だから、貴方も卑下することはない。この件は私たちの胸に収めておきます。誰にも知られはしないでしょう」

「それは!報告義務が…」


ミルトンが余計な事を言う前にその足、思いっきり蹴り飛ばした。


「イテッ!」


恨めしそうな視線を感じつつも無視する。


「ありがとうございます。お名前をうかがっても…」

「知らない方がいいでしょう。お互いのために」

「わかりました」

「最後に見た夢というのを教えていただけます?」

「女性が囁く夢だ。何と言っていたかは分からなかったがその女性の姿が奇妙だったから記憶に残っている」

「奇妙?」

「全身黒づくめでなおかつフードで顔を隠していた。だが、一瞬見えたその素顔は真っ白な仮面をつけていた。俺は怖くて動けなかった。まあ、ただの夢だろうが…」

「そうですか。ありがとうございます。ゆっくり休んでください」


ソフィアは頭を下げ、感謝を述べる家族たちをねぎらい、部屋を後にした。


古い廊下を歩くたびにメキメキと不穏な音が鳴り響く。


「真っ黒な服に真っ白な仮面…」


レイジーナの容姿と一致する。


「おいっ!」

「何考えているんだ!」

「何って?」


怒りの形相で掴みかかる勢いのミルトン。


そんなに蹴り飛ばした足が痛いのかしら?


思わず微笑みかえせば服を掴む弟の腕は緩んだ。


「闇に堕ちた者を報告するのは”魔法を扱う者“の務めだ」

「あら、その法律がちゃんと機能しているなんて驚きだわ」


首都じゃあ、邪力を帯びた者達であふれかえっているっていうのに。


「ここは首都じゃない!」

「一緒でしょう?それに私、魔力低いし…。義務を果たす義理はないと思うのよね」

「屁理屈こねるな。仮にも聖女の一族…」

「なら、あの家族を引き裂く覚悟があるのね?ミルトンには…」

「うっ!」

「あの人は正気を取り戻した。邪力の気配すら感じなかった。そんな人を突き出すのが聖女の一族なの?なら、私は願い下げよ。聖女になれなくてよかったと本気で思う」


言い放って階段を降りようとした。


「分かったよ。姉さんに従う」

「ありがとう」

「でも願い人形はどうするんだ?すべて回収しないと…」

「ものすごい数になりますよ。人気なんですから」


シエラは心配そうに言った。


確かにゲーム内でも10000万を越す人形が出回っていた。エピソード内ではマニエルの聖女の力で、すべての人形の邪力を無効化したけれど、私にそんな芸当は無理。だとすると…。やる事は一つね。


「だったら元を叩きましょう」

「元って?」

「決まってるでしょう。レイジーナを捕まえるの」

「焼き鳥屋の店主が言っていた人形作家ですか?」

「そうよ。シエラ」

「ですが彼女が邪術を扱う者なら巧妙に隠れてるはずです。見つけられるとは…」

「そうだ。あれだけの人形をばら撒く奴なら単独というのは考えづらい」

「魔法を扱う者としては弱気な物言いね」

「何が言いたいんだ?」

「マゴスを信仰する者の影がちらついているのよ。それこそ野放しにはできないんじゃなくって?」

「確かにそうだが…」

「心配しないで。多分、彼女は単独行動…」

「なんでそんな事、姉さんに分かるんだよ」

「さあ?どうしてかしらね」


ソフィアは不敵に笑ったのであった。