ふとレオヴァルトの脳裏を少年の明瞭な声がかすめた。
声変わりしたばかりの、溌剌とした響きをはらむ声だ。
──いつまでも放浪してる場合じゃないでしょう。
《弱き者を救いたい》っていうご意志は立派だと思いますけど、レオヴァルト様が弱者にばっかりかまってるから良い縁談が遠のくんですよ? 二十五歳なんてもういい
大人顔負けの生意気を言うケイツビーは、まだ幼さとあどけなさの残る十六歳。帯剣の儀を終え近衛騎士認定を受けたばかりだ。
剣技も体術もまだ未熟で、教えてやりたいことが山ほどある。
──無駄口を叩くな、ケイツビー。レオヴァルト様が
レオヴァルトよりも齢十ほど年嵩なものの、ザナンザは有能な護衛騎士だ。
貴族出身の彼は結界を張れるほどの魔力を持つ。レオヴァルトの巡業をサポートするには充分すぎるほどの実力を見せてくれていた。
そして──幼い頃からレオヴァルトのそばで従者として育ち、三人の中でも誰よりレオヴァルトの意思を汲んでくれていた、ゲオルク。
あの日も愛馬の背に揺られながら、秋風になびく麦穂のようにおおらかに
──答えは俺が教えてやろう……『薫風は吹かぬ』だ。
レオヴァルト様に結婚のご意思はない。妻にかまっている時間と労力があるなら、放浪しながらも弱者を救いたいと仰るのが、我らが仕えるレオヴァルト様だからな!
豪快な彼の声がすぐそばで聞こえたような気がして、レオヴァルトは寂しげに微笑んだ。
「その通りだゲオルク……だが私がその意思を折る日が来るなんてな。おまえが聞いたら、情けない主君だと微笑うだろう」
ユフィリアというあの聖女は、傷ついた者を救う特別な能力を神から授かりながら、気乗りがしないだのの理由で求める者たちの治療を拒むと言う。
「どれほど私が欲しいと望んでも得られぬ治癒の力だ、なのに──」
レオヴァルトの秀麗な面輪が嫌悪に歪んだ。
「聖女という立場でありながら、そんな傲慢が許されていいはずがなかろう……!」
レイモンド卿の脅しに屈する気はない。だが従者の命の手綱を握られているのは確たる事実だ。
──そなたの稀なる魔力とその美貌、気に入った。
手段は選ばぬ、聖女ユフィリアを手なづけ夫となれ。交わりの効果でグラシアの強大化が叶えば、そなたの仲間二人を解放する。神の
依然として彼らの
──そなたほどの優れた術者なら教会に張った結界を破るなど
レオヴァルトは苦々しげに眉を顰め、奥歯を噛みしめる。
手のひらを額に当てて伸びきった前髪を乱暴に掻き上げた。そのまま腕を伸ばし、真新しい騎士服をつかんで握りしめる。
「打開策を見つける……必ず。だから少しだけ耐えてくれ、ケイツビー、ザナンザ……!」
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まばゆい朝日が満ちる回廊は、いつになく色めきだっていた。
欠伸を必死でこらえながら歩くユフィリアを、前方を行く聖女や騎士たちが振り返りながら見ている。
──朝から鬱陶しいんですけど。
彼女たちが何らかの意図を持った視線を向けてくるのには慣れ果てている。だが今朝のそれは、いつもの揶揄いを含んだものとは少し違って見えた。
揶揄いどころか、言うならば──そう、羨望。
「……な、わけないか」
自慢にもならないが、蔑みの視線や暴言を吐かれこそすれ、
──そういえばあの黒騎士、あれから見てないわ。いっそこのまま消滅しちゃえばいいのに。
昨日の朝、レオヴァルトが待ち伏せしていた支柱が近づく。まさかと思い、何気に視線を向けたユフィリアは……ギョッと目を見張り、立ち止まった。
──………ん?!
大木の腹のような円錐形の柱に背を預け、腕を組んだ《黒騎士》が佇んでいる。
それは確かにあの黒騎士、レオヴァルト。しかしその風貌は昨日までとは明らかに異なっていた。