時刻はついに午前一時をまわった。
依然として激しい雨は降り続いており、救助が来そうな気配も感じられない。
外で雨ざらしになるよりは断然ましとはいえ、やはり洞窟の中も寒いことに変わりはなかった。
気力体力がじわじわと消耗していく中、俺たちは互いに励ましの言葉を掛け合いながら寒さと空腹と、さらには新たに加わった眠気と、闘っていた。
高瀬もあくびを繰り返したりラフな体勢を取ったりと、さすがに緊張の糸が途切れてきた様子だった。無理もない。サバイバルなど経験したこともない名家の御令嬢にとって、この状況は悪夢以外の何物でもないはずだ。
いずれにしても、高瀬だけは何があってもここから生きて帰さねばならない。心から愛してやまないという、俺たちが生まれ育ったあの街へと。
この窮状から脱出する良い手立てが何かないか、過去に見たいくつかの映画の中から今の状況に似たようなシーンを思い浮かべていると、しばらく物思いに
「私、一度も恋せずに死んじゃうのかな」
空腹も寒さも睡魔もどこかへ吹き飛ぶような台詞に、俺は耳を疑った。
「どどど」ろれつが回らない。「どうした急に!?」
「ほら、お昼に川でごみ拾いをしている時に恋の話になったでしょ。そのことを思い出して今ちょっと考えてたんだ」
「高瀬は、恋、したことないんだ?」
「……うん」
ほっとしたのも束の間、つまりそれは、現在進行形で誰にも好意を抱いていないということでもあるわけで、少しだけしょんぼりしてしまう。
「神沢君はさ、どう思う? 卒業後に結婚することが決まってる私が、高校生活の中で恋なんかしていいと思う? そんなこと、許されると思う?」
これはなかなか難しい質問である。最も良いのは、相手を俺に限って恋をしてくれることであるが、まさかそれを口にするわけにはいかない。
そもそもが恋なんて意図してするものじゃない。気がつけば落ちているものだろう。その点は柏木と同じ見解だが、もし三年後の結婚が
「高瀬はしてみたいのか、恋?」
考える材料と時間が欲しい俺は、質問に質問で返すことしかできない。
彼女は言った。
「今日一日、葉山君に恋する末永さんをそばで見ていたけれど、なんだかちょっと羨ましくなっちゃったんだ。葉山君に関することなら、ちょっとしたことでもはしゃいだり落ち込んだり。末永さん、すごく活き活きしていて、目なんかずっと輝いてた。聞けば晴香も好きな人いるって言うし。みんな恋してるんだなあって思うと、私も一度くらい、してみても悪くはないのかな……ってね」
恥ずかしそうに頬を赤らめているのが、緑の光が支配する中でもわかる。
それを聞いて俺は自分にとっても高瀬にとってもよりベターと思える回答を用意した。
「いいんじゃないか? 柏木が推奨していたような
それは高瀬に対する助言というよりもむしろ、悩める自分に言い聞かせるような物言いだったが、彼女はくすくす笑った。
「そっか。神沢君らしいね、その言い方」
俺も笑った。しかし次の高瀬の言葉で、途端に顔は引きつった。
「神沢君も、恋、してるんでしょ?」
「はい!? 俺、高瀬にそんなこと言ったっけ!?」
「言ってはいないけど、昼間の晴香のあの言い方って、なんだか神沢君に好きな人がいるのを確信しているみたいだったから」
あいつならそれを確信しているどころか、その人の名前も掴んでいるが。
高瀬はどういうわけかいつになく
「あ、それにさ、占いで言われた運命の人――“未来の君”だっけ。その人のことも気になってるんだよね? もしかして神沢君、二股かけてるの?」
きわどい質問の連続に慌てふためくが、とりあえずすべきことは二股の否定だ。
「いやいやいや」ぶるんぶるんと、大きく頭を振った。「俺にそんな器用なことできないって。占われた運命の人と思しき人がそのまま……その、えっと……好きな人、だよ」
「へぇ。どんな人なの? 興味あるな」
「あのさ高瀬。この話題には、なんでそんなに前のめりなの?」
「なんか神沢君って、恋とかしなそうだから。そんな神沢君が好きになる女の子って、どんな人なんだろうって思って」
その人は今俺の前で|
なにはともあれ、はぐらかせそうにもないので俺は、高瀬に対しそれが高瀬だと悟られないように高瀬のことを紹介するという、えらくややこしいことをする羽目になる。頭で適切な言葉を探す。
「とてもきれいな人だよ。容姿も性格も雰囲気も。色で
高瀬の眉がぴくんと反応したのを見逃さなかった。これ以上はまずい。
「とにかく、この人と一緒ならどんなに幸せだろうって、心から思える素敵な人だよ」
「やっぱりそれは、晴香じゃ、ないんだ?」
「……うん」
「でも運命を感じるってことは、けっこう
もうどうにでもなれ、と俺は腹をくくった。
「……うん」
「そう、なんだ……」
壁一面のヒカリゴケも足が生えて逃げ出すような気まずい空気が流れる。
「そろそろまた外の様子を見てくるよ」
俺はそう言い、そそくさと立ち上がった。とてもではないが、このムードに耐えられそうにない。