「悠介。おまえさんの今の状態を一言で表した言葉がある」太陽はしたり顔でそう言った。「そいつは幼稚園児からじいさんばあさんまで誰もが知っている簡単な日本語だ。いいか、心して聞けよ。それはずばり、
“コイ”というその響きにくすぐったさを感じ、俺はすぐに言い返す。
「そ、そんなんじゃない。俺はただ『あなたと強い絆で結ばれている運命の女性がいる、もう出会っている』と占い師が言うから、ちょっと意識してクラスの女子を見るようになって、そのうち高瀬優里のことがなんだか気になるようになって、だんだん彼女の一つ一つの動作や表情から目が離せなくなって、彼女のことを考えるだけで胸が熱くなって……ただ、ただそれだけのことだ」
太陽はぷっと吹き出して、隣から俺の脇を小突いた。
「それを恋って言うんだよ!」
高瀬との屋上でのコンタクトから一夜明けた朝、俺は道中でばったり会った太陽と一緒に登校していた。濁りのないすっきりした空気がとても気持ちいい、春の朝である。
「きっかけはどうあれさ、悠介は高瀬さんに惚れちまったんだって」太陽は声を張って言う。「変な意地張らないで、認めちゃえって。『俺は高瀬に恋してんだー!』って」
「おい、大声で言うことじゃないだろ!」
俺は慌てて周囲を見やる。さいわい生徒の姿はまばらだった。
「だいたいな」と俺は気を取り直して言った。「おまえは面白おかしくしたいのかもしれないけど、こっちは真剣なんだ。なんせ俺の未来がかかってるんだ。占いを鵜呑みにしすぎだと言われればそれまでだけど、ここまで当たっているとなれば、もう信じないなんていう選択肢は俺にはない。誰だってそうであるように、俺も将来の幸せを願っている。そのためには運命の人、つまり“未来の君”と手を取り合って生きていくことが重要なんだ」
隣で太陽は肩をすくめる。「なんかずいぶんドライに聞こえるけど、それじゃあ高瀬さんのこと、好きじゃないのか?」
「え?」
「高瀬さんに誰かが告白して、付き合い始めたとして、悠介は何とも思わないか?」
それを想像すると、胸がぎゅっと鷲づかみされたように痛んだ。彼女が誰かと交際している姿なんて、考えられない。考えたくない。
「な、なんでそんなことを聞くんだよ?」
「いやな、悠介の口ぶりからすると、幸せのためなら――相手が“未来の君”なら――そこに気持ちがなくたって別にかまわないようにもとれるからさ」
「いや、そんなことはないけど……」
どうやら俺は土俵際まで追い詰められてしまったようだ。もうさすがに認めざるを得ないだろう。高瀬へのこの想いは、そしてこの一ヶ月俺を苦しめてきた熱病の正体は、恋であると。
最悪の中学時代を経て強烈な人間不信となり、人に恋をするなんて感情は長らく凍りついていたのだが、高瀬の存在が分厚い氷を溶かしてしまったらしい。
「わかったよ」と俺は開き直って言った。「認めるよ。認めりゃいいんだろ。好きだよ。俺は高瀬優里に恋してるよ」
「ははっ。最初から素直にそう言えばよいのだよ、神沢君」太陽は冷やかすように腕を肩に乗せてくる。「ダチとしておまえさんの恋を応援しようじゃないか。なんでも相談に乗ってやる」
「それじゃさっそく乗ってくれ」俺は腕を払いのける。「太陽、おまえの意見を聞きたいんだ」
「お、なんだい?」
「きのう高瀬はあることを変えたくて俺たちの仲間になりたいって言った。そのあることってなんだと問われて、彼女は『未来』と答えた。それはなぜだと思う?」
太陽は真剣な顔つきで考えた。
「オレも高瀬さんとまともに話したのはきのうが初めてだったし、思い当たる節はないけど、推測するにたとえばオレみたいに
「高瀬の家って、なんかやってるのか?」
「はぁ!? 悠介、それ本気で言ってるのか?」
「そんなに驚くことじゃないだろ」
「いやいや、驚くっつーの。1年H組の生徒なら――いや、うちの高校の生徒なら常識だ、常識」
「顔の広いおまえと違って俺は交友関係がないから、そういう情報が入ってこないんだ」
「それにしたって、だよ」太陽は呆れたように言って、道路の向こう側を指さした。「ちょうど見えた。ほれ、
そこにはとあるスーパーマーケットがあった。看板には「Takaseya」とある。
「え? タカセヤじゃないか。それがどうした……」俺はようやくピンときた。「そうか!
「そう」太陽はぱちんと指を鳴らす。「タカセヤのお嬢さんよ、彼女。父上が代表取締役社長だ」
タカセヤは市内に九店舗を展開するスーパーマーケットチェーンだ。この地域でスーパーといえばなんといってもこのタカセヤで、年配の人たちは親しみと敬意を込めて「タカセヤさん」なんて呼んでいたりする。
最近は市内にもライバル店が増えたので以前ほどの圧倒的存在感はないが、それでもタカセヤといえば市内では知らない人はいないほど、不動の地位を獲得している有名店である。
中学一年生の時から自炊しなければならない環境にあったせいで、高校一年生にしてすっかりこの街のスーパー事情に詳しくなってしまった。
「社長令嬢なのか、あの子」
俺は思わず嘆息する。
「どうした、ため息なんかついて」
「イヤミに聞こえたらすまん、太陽。なんだか医者の子とか社長の子とか、今更ながらうちの高校の生徒は生まれの良い子ばっかりだなと思ってさ。1年C組にはたしか市長の娘までいるんだろ? なんだか無性に肩身が狭く感じてな」
俺のように父親が放火犯だなんていう生徒は、鳴桜の歴史を紐解いてもそうそういないだろう。
「まぁなんだ。
大病院の御曹司は自嘲気味に笑うと、おほんと咳払いを一つして、話を本筋に戻した。
「高瀬さんが未来を変えたい理由。それはやっぱりタカセヤのご令嬢ってところに関係があるんだと思うぞ。そいつがどんなもんなのかは、本人に聞いてみないとわかんないけどな」
俺はきのう屋上で高瀬に言われたことを思い出していた。
「神沢君。きみと一緒にいると、なんだか未来を変えられるような気がするの」と彼女はたしかに言った。
変えてやるよ、と俺は心で固く誓った。いや、占い師の言葉に従うならこっちの方がいいかもしれない。一緒に変えていこう。俺の未来も、そして君の未来も。