7月30日 大人とクソガキ、そして思春期

 暑い。

 今日は絶対に外に出たくない。出ない。出ないぞ。


「星ちゃん、ちょっとお使い頼まれてくれる?」

「やだ」


 階下から響いた母親の声に、即答で返事をする。

 すると、彼女がトタトタと階段を上って来る音が聞こえた。


「無理じゃなくてやだって何よ?」


 開けっ放しの扉の先で、母親が苦言を漏らす。

 私は机をかじりつきながら、振り返りもせずに帰す。


「できるけどやりたくないからやだ」

「なんて正直で純粋な答え」

「人間にはストレートに欲望を叶えたい時があるから」

「普段からそれくらい素直だったらいいんだけど」


 母親がため息をついたのが聞こえる。情に訴えるつもりなら効かないよ。

 今日はテコでも動かないから。


「合宿でたくさん勉強してきたんだから、ちょっとくらいお休みしたっていいじゃないの」

「受験生の親の発言としてどうかと思うけど……それに、休みなら昨日たっぷりとったから」

「ああ、心炉ちゃんと遊んでたんでしょう? お人形さんみたいで可愛い子よね。お母さんもしっかりした方だったし、またウチに呼びなさいな」

「そんな、小中学生じゃないんだから」

「そんな事言わないで。星ちゃんったら、高校になったらめったに友達呼ばなくなっちゃったから、お母さんのお母さん甲斐がないわ」

「その、口癖みたいに言うお母さん甲斐って何さ……」


 要するに世話を焼きたいってことだったら、こっちの方から願い下げだよ。

 年頃の娘に過干渉はノーサンキューです。


「はあ……自由参加の合宿費用、出してあげたんだけどなあ」

「う……」


 情に訴えるだけじゃなくって絡め手で来たか。

 流石にそっちの手段は少々効く。


「お塾のことも前向きに検討してるんだけどなあ」

「……わかった、わかったよ。リスト頂戴」

「うん、よろしい。じゃあ、これよろしくね」


 そうなることが分かっていたのか、既に用意されていた買い物メモを手渡される。

 この用意周到さ、やっぱり血筋か……どうせなら攻める側じゃなくて、受ける側のセンスも培って遺伝して欲しかった。

 掛け算の話じゃなくって、ごく一般的な処世術として。


 炎天下に放り出された私は、せめて遠出はしまいと、家から一番近いスーパーを目指す。

 こぢんまりとしていて品ぞろえは悪いけど、とりあえず一通りは揃う。

 そんなコンビニエンスなスーパー。もとは八百屋だったのか、やたら野菜の品揃えと鮮度だけは良いようだけど、食材の良し悪しは残念ながらよくわからない。

 あと、今日のお使いに野菜はない。


 だけどこう、普段外に出たくない生活を送っていると、逆に外に出なきゃいけないときに、色んな用事を済ませておこうと思ったりもする。

 というよりも、その方がお得感あるというか、むしろただ用事だけ済まして帰るのは損した気分になるというか、要するに機会の限定化に伴う行動の効率化というか。

 要するに天邪鬼なんだ。

 人に対しても、自分自身に対しても。


 スーパーからちょっとルートを外れて川沿いを歩く。

 比較的上流に近いこの辺りの川辺は、川幅のわりに水も澄んでいて底も浅く、夏休み中は水浴びに来た家族連れで賑わう。

 海が遠い内陸だから、この辺りで水浴びと言えばもっぱらプールか川が主流だ。

 今日も何組かの家族、はたまた友達同士のグループが、橋げたの下にテントを張ってアウトドアに興じている。


 私も小学生くらいの時は、家族でよく来たっけ。

 家族だけじゃなく、子供会とか、通っていた道場の行事でも。

 あれくらいの時は、何でも矢面に立ちたがったな。

 自分が世界の中心で、物語の主人公みたいな気がして、何をするにも「私が、私が」で。

 大人も子供も、みんな対等な存在のような気がして。

 同じくらいナメくさってたりもして。


 要するにクソガキだけど、それは誰もが通った道だろう。

 そこから礼儀を学んで、自己評価を学んで、身の程を知って。

 そうやってひとは大人になる。

 それは同時に自分の限界を自分で定めるということだと私は思う。


 でも世の中にはクソガキのまま年だけ取れる人種がいて。

 中でも「自分が、自分が」だけで世界を渡って行ける人間が一定数いて。

 その一定数が、世の中的には成功ってやつを手に入れる。

 彼彼女たちのことを天才と呼ぶか、ラッキーと呼ぶか、努力の人と呼ぶかは人それぞれだけど、きっと根っこは同じだと思う。

 みんな、自分の成功を信じている。


 川沿いの古本屋でしばらく参考書コーナーを物色する。

 この辺りは学生街も近いので、彼らの使っていた優良な参考書や問題集が役目を終えて棚に陳列されていることがある。

 古本屋には、その街の特色が出る――というのは誰から聞いた言葉だったかな。

 なるほどなと思うし、それから古本屋を見る目が変わった。

 もし理系に進んでいたなら、『古本屋から見る地理学』なんてテーマで研究をしてみるもの面白かったかもしれない。

 いや、生活に関係することだし、どっちかと言ったら社会学の範疇かな。

 だとしたら、学部はどこになるんだろう。

 人文学部の一部?


 ぶっちゃけ法学よりよっぽど興味を魅かれるけれど、一度始めた戦いだから、後に引くつもりはない。

 私なりのクソガキ理論に則った、成功へのプロセスだから。

 いくつか使えそうな参考書を購入して店を後にする。

 参考書として怖ろしいほどの完成度を誇るアネノートだけど、それでも穴はある。

 例えばアレは理系だったから、文系分野の科目に関しては、私たちが学んだことほど突っ込んだ内容に触れていない。

 そこを補完する意味でも第三の手は必要だ。

 それが参考書となるか、塾となるのか。

 正解は試さなければ分からない。

 だったら何でも試すまで。


 灼熱の太陽が、身体と地面をジリジリと焼く。

 流石にもう、お使いを済ませて帰ろうかな。

 吹きだした汗が額とうなじをじっとりと濡らす。

 私はポーチからヘアゴムを取り出して、長い髪を後ろでまとめ上げる。

 多少は風通しがよくなって、首筋に風を感じるようになった。

 流石にそろそろ切ろうかな。

 でも、せっかく伸ばしたしな……大事に伸ばした気苦労を思い出す中で、記憶の端で柔らかな長髪がふわりと風に舞う。

 毎日丁寧にケアしている髪は、自分でも気持ちがいいくらいの指通りと艶がある。

 でも柔らかくて包容力のある、あの髪とは毛色が違う。


 真似事をしたって、欲しいものは手に入らない。

 でも、やれる事ならなんだってやる。

 ちょっとでも、気に入ってもらえるなら。

 ちょっとでもチャンスがあるのなら。


 大人とクソガキの間で、自分がどっちなのかはまだ分からない。

 思春期だから――そう自分に言い聞かせるのが、私の挑戦であり、戦いだ。