目が覚めたら知らない天井が広がっていた。
なんてのは、病気とか記憶喪失のときにありがちの展開だけど。
私は少なくとも、自分が今どこにいるのか理解しているつもりだった。
目が覚めたのは、中途半端に開いたカーテンから日差しが差し込んでいるせい。
日差しは部屋の主ではなく、床に敷いた布団で眠る私の顔に向かって降り注いでいた。
あれ、いつの間に寝たんだっけ。
確か昨日はユリの風呂上がりを部屋で待ってて……そのまま寝ちゃったのか。
お泊り会と言えば夜のあんなことやこんなこと――寝る前の談笑なんてものがあったんだろうけど、そんなの全部すっ飛ばして爆睡してしまったみたいだ。
ふと視線をベッドの方にやると、ユリが枕を抱えこむようにしてうつ伏せで寝息を立てていた。
その態勢、苦しくないのかな。
海外ドラマとか洋画だと、よく主人公とかがそうやって寝てる気はするけど。
てか、寝落ちたなら起こしてくれても良かったのに。
ユリが風呂から戻って来た時に起きなかった私も私だけど。
私は布団に座ったまま、ベッドの淵に背を預けた。
すぐ背中に彼女の寝息を音で感じる。
子供のころから使っているんだろう、少し古びたボンネルコイルのマットレス。
ここで十八年も過ごしていたんだろうに、私が彼女と出会ったのはほんの二年前のことだ。
家だってそれほど離れているわけじゃない。
街ですれ違う機会だって何度もあったのだと思うけど、互いを認識してなければ記憶にも残らない赤の他人なんだから、田舎であっても世間ってやつは思ってるより広い。
私の知らない彼女の十六年は、知りたいような気もするけど、触れちゃいけないような気もしている。
お母さんが亡くなっていることは知ってるけど、とてもじゃないけど改めて面と向かって聞けるような話題じゃない。
親友でも引くべき一線ってやつはあって、ユリから話題にあげてこない限りは、私が自分から尋ねることはないだろう。
少なくともそれはずっとずっと昔のことで、ユリもとっくに乗り越えていて、今の生活を当たり前にできるだけの歳月を積み重ねてきている。
それは想像を絶する苦労だろうし、安易に理解したふりをしていいものでもない。
中途半端に同情したくなんてないし、そもそもどんなテンションで向き合えばいいのかもわからない。
きっとユリもそれを分かってるから、あえて話題に出すこともしないんだろう。
人の死って言うのはそれくらい、時間が経ってもセンシティブなものだと思うから。
「……あれ、星。おはよー」
しばらくそうしていたら、ユリがぼんやりと目を覚ました。
「おはよー、じゃないよ。昨日、起こしてくれたらよかったのに」
「いやー、なんかぐっすり寝てたから」
ユリはあくびをしながら、うんと大きく伸びあがる。
それからまだまどろんだままの目をこすって、にへらと笑顔を浮かべた。
「朝起きて、おはよーって言えるのって、なんかいいね」
「あんたは年中、部活で合宿してるでしょうが」
「チア部じゃねー、私が一番早起きなんだよ。だから寝起きのおはよーはレアイベントなんだよ」
「いや知らんし」
まあ、私もそんなに早起きするほうじゃないし。
昨日寝落ちていなければ、今日だってあと一時間は寝ていたと思う。
「寝ちゃったし。無駄になっちゃったかな」
ぼやくように口にして、自分の身体を見下ろす。
せっかくのお泊りだし、京都の時に買ったお揃いのパジャマを持ってきたのに。
「なんだ、それならパジャマパーティーする?」
「パジャマパーティーもなにも、もう朝じゃないの」
「パジャマさえ着てればそれはパジャマパーティーなのだよ」
そうかな?
もっとこう深夜テンションとか、そういう雰囲気も込みのものだと思うんだけど。
けどユリはクローゼットからハンガーにかけられたお揃いのパジャマを取り出すと、わざわざ今着ているものから着替え始めてしまった。
それこそ、なんか違くない?
それでも流されるままに一緒にユリお手製の朝ごはんを食べて、デザートを食べて、ちょっと食後の満足感でぼんやりして、おやつでも食べながら一緒にリビングのテレビで映画でも見て、飽きてきたらダラっと漫画とか雑誌でも眺めて――あれ、なんか悪くないぞ。
これはこれで、休日のカップル感があってむしろ良い。
なるほど、朝からパジャマパーティー……アリだ。
「飲み物お代わりいる?」
「できれば温かいの欲しいかも」
とっくに気も遣わなくなって、空になったグラスを渡しながらそんな注文をしたりもする。
「温かいのかあ。コーヒー? 紅茶? ココアもあったかな?」
「うーん、ココア?」
「おっけー」
はあ、いいなこれ。
毎日こんな生活できるなら、どんな日々の疲れだって乗り切れる気がする。
めっちゃ養いたい。
頑張って働くから、私。
ユリは五分ほどキッチンに引っ込んでから、湯気の立つココアのカップを二個持って帰って来た。
暑い日にクーラーの下で飲むココアは、寒い日にこたつで食べるアイスに似た趣きがある。
「星ってっさ、大学は東京? 京都?」
「まだどっちも決まってないんだけど。そもそも受かるかも分かんないんだけど」
「星なら受かるよ、ダイジョブダイジョブ」
「根拠がなさすぎる」
ずずっとココアを啜る。
「そういうユリは三者面談どうしたの。あんたから進路の話とか全く聞いたことないけど」
「うーん」
私の質問に、ユリは歯切れの悪い様子で腕を組んだ。
「とりあえず進学って話にはなってるんだけどさ、こう、行きたい大学とか特にないんだよね。だから具体的な学校は保留」
「保留て」
「でも、あんまり地元離れたくもないんだよね。私が家出たら、お父さんもひとりになっちゃうし。寂しいかなーって」
お父さんも子供じゃないんだし、子供のユリが気にすることでもないんじゃないかなっても思うけど、それはあくまで私の感覚でしかない。
「県内か、せめてお隣の短大とかでもいいかなーって気もするんだよね。でもそしたらさ、星たちと離れ離れになっちゃうじゃん。それこそ星も東京で、アヤセも東京の方の大学で決まったら、今度はあたしだけさみしいなーとか」
「だったらユリも東京に出てくればいいじゃない。結局、自分が行きたいとこに行くのが一番だよ」
「うーん……でもなんか、友達のいるいないで大学の行先選ぶのも違うかなーって」
「そういう妙なとこだけ律儀だよね」
「妙とか言わないの! そもそも星のお手紙のせいで意識しちゃったんだからね!」
言われて、ちょっとだけどきっとしてしまった。
ああ、そう。
ここで出てくるんだ。
それに、どうやらユリはユリらしく手紙の内容を受け取ってくれたみたいだ。
「まず勉強ちゃんとしなさいよ。大学選べるのなんてそれからだから」
「うう……頑張ります。でもその前に大会頑張んなきゃ。今日も夕方から練習行ってきます」
「大会前だもんね。頑張れ」
エールをひとつ送って、私は少しぬるくなったココアに口をつけた。
両手で抱えるホーローのカップは、口元に浮かんだ笑みを隠すのにちょうどいい大きさだった。