7月9日 遅れて来る天の川

 今日は、久しぶりに天野さんと会う約束になっていた。

 六月中は模試に期末とテストラッシュがあったから誘いをお断りしてたのだけど、落ち着いたころに是非と前々から予定を擦りあわされて、今日がその日となった。


 今日は珍しく街中で集合の約束だ。だいたい彼女と出かけるときは、拾いやすいコンビニとかで彼女の車でのお迎えが多かった。

 だから街中で直接集合なんてことは初めてだし、集合場所の喫茶店に現れた彼女の姿を見た時もびっくりしてしまった。


「……なんか今日、キメてません?」

「そうかな? まあ、大人だからね」


 そう語る彼女は、パンツタイプのサマースーツスタイルでバッチリとキメていた。


 予約は済ませてあるというので、いつも通り彼女についてお店に向かう。

 今日やってきたのは、中心街からちょっと裏に入ったところにある、小さなイタリアンのお店だった。

 小洒落た一軒家のお店で、街角の隠れた名店みたいなやつなのかな……と思ったら、入口で恭しい接客のウェイターさんに出迎えられて、またびっくりしてしまった。


 真っ白なテーブルクロスが掛けられた小さなテーブルは、大皿を机一杯に並べるようなお店ではないという暗黙の意思表示。

 そんな席に椅子を引いてもらって座ると、気の休まらないまま向かいに座った天野さんを見る。


「ここ、もしかしなくても高いところなんじゃ」


 彼女は悪びれずに笑って、手を左右に振った。


「大丈夫大丈夫。ランチはお安いから」


 この場合、何と比べてお安いのかが大事なんだけど。

 私だって、こういうお店に全く来たことがないわけじゃない。

 最近だと姉の卒業式の後とか……なんかこう、記念日的な日に家族と行くことはあるけれど。

 でも、こう不意打ち的に連れて来られると、案外嬉しさよりも怖さの方が先行するものだ。

 まだまだ自分は子供ってことなのか、それとも単純に自分がサプライズとかが苦手な人間なのか。

 たぶん両方だと思う。


「狩谷さん、先月誕生日だったでしょ? だからそのお祝いを兼てってことで」

「何で知ってるんですか?」

「履歴書に書いてあったから」


 思ったより健全な情報の出処だった。


「辞めた人間の履歴書とかってお店的にはどうするんですか?」

「返すか、処分するかが基本じゃないかな。個人情報だから、手元に残しておくって会社はまずないと思うよ。ウチは全部シュレッダーで処分します」

「ちゃんとしてるんですね」

「自分の働いてたところを何だと思ってたのかな。で、先月狩谷さんのを処分してたら、生年月日が目に付いたってわけ」

「それで今回は無理にでもって感じだったんですね。なんか、すみません」

「いいのいいの。それに知らないと思うけど、私も誕生日だったんだ。狩谷さんと数日違い」

「あ、そうだったんですね。おめでとうございます。それこそ何も用意してなくて申し訳ないんですが」

「祝ってくれるだけで嬉しいよ。でも、そろそろ自分の誕生日をまともに直視できなくなってきてね……」

「いくつになったんですか」

「まだ二十代です!」


 世代じゃなくって歳を聞いてるんだけど。

 天野さんは、それ以上言いたくなさそうだったので、話はそれで終わりにしておいた。


 料理はやっぱりコースになっていて、飲み物と一緒に運ばれて来た前菜の盛り合わせから始まり、スープ、そしてパスタと続く。

 ひと口サイズの前菜が盛られた皿は、食事というよりはおつまみといった印象だ。

 珍しくお酒を注文した天野さんのワインとは、よく合うだろう。

 私も炭酸水とかで良かったのだけど、せっかくだからと押し切られてノンアルコールのカクテルをいただく。

 パッションフルーツがベースらしい、スッキリした味のカクテルだった。

 これは美味しい。


 スープはトマト味のミネストローネ。

 パスタはゴルゴンゾーラとキノコ。

 これも言わずもがな美味しい。

 天野さんの話では、この後はメインディッシュと食後のデザートに続くということだ。


「ゴルゴンゾーラって初めて食べました。独特な香りですね」

「青カビだよね。苦手な人は苦手だけど大丈夫?」

「私は結構好きかもしれません」

「あ、そう?」


 なんだろう、妙に実家のような安心感がある。

 両親の名誉のために言うけど、決して実家がカビ臭いってわけじゃなくって。

 でもなんでだろう、と考えたらひとつだけ理由が思い当ってしまった。

 そうだこれ、剣道の防具の匂いだ。


 美味しいし好きなんだけど、それに気づいたらすごくモヤっとした気分になってしまった。


「狩谷さんは将来、酒飲みになりそう」


 そう言って、天野さんが笑う。


「それって誉め言葉ですか?」

「うーんどうだろ。どっちかと言えばそうかな?」

「じゃあ、ありがたく受け取っておきます」


 ウチは両親ともに酒飲みだし、たぶんそんな気は自分でもしている。

 だから飲めないよりは飲めた方が良いかな、というくらいの温度感。

 でもどうせ飲むなら、親みたいに浴びるように飲むよりは、目の前の彼女みたいに綺麗にのんだ方がカッコいいと思う。

 かといって、彼女みたいな大人になりたいかというと、まだまだ子供な自分としては複雑な気分だけれど。

 この素直に憧れられない気持ちはなんなんだろう。


「じゃあ、狩谷さんの二〇歳の誕生日に乾杯できるのを楽しみに生きていこうかな」

「そのころ、たぶん私こっちに居ませんよ。というかそれまでこの関係続けるつもりですか」

「ふふ、その言い方はなんかやらしー」

「馬鹿なこと言わないでください」


 私は呆れながら、グラスに残ったノンアルカクテルを飲み干した。

 すぐに気を利かせたウェイターさんがやってきたので同じのを注文する。

 彼が席を離れてから、天野さんもワインのグラスを傾けた。


「まあ、そうだね。狩谷さんがちゃんと大人になったら、その時は素直に友達になれたらいいかな」

「そうですね」

「珍しく素直だね。やっと来たデレ期かな?」

「前言撤回しましょうか?」

「あはは、ごめんごめん」


 一年かそこらの歳の違いを気にするのなんて、学生の間くらいだと周りの大人たちは言う。

 だから年の離れた友人を友人と呼ぶには、私はまだまだ若いというわけだ。

 だったら、今のこの関係には何と名前をつけてあげればいいんだろうか。

 思いつかないので、別に名前なんてなくて良いんじゃないかって言うのが素直な気持ちだ。

 天野さんは冗談めかしてナントカ活なんて口にするけど、そう呼ぶのは私自身が嫌だった。

 少なくとも金づるとか、そういうつもりで関わってるわけではないのだから。


「私が成人したら、その時はお酒の美味しいお店も紹介してくださいね」

「うん、それはもちろん!」


 そう言って、彼女は嬉しそうに笑った。

 それで良いんだって私は思った。