7月8日 やり残したこと

 週末になり、期末テストの結果も続々と返却されている。

 個人的に定期テストは模試よりも優先意識が低いので、とりあえず当たり前の点数が取れて、それなりの順位にいればOKというのが私の感覚だ。

 今の温度感としては、トップスリーとまではいかないけど、ひと桁順位には入ってるだろうなというくらい。

 むしろ本番である冬に向かって、苦手分野を洗い出す意味の方が大きい。


「で、あんたらはどうなのよ」


 お昼のサバサンド(購買謹製)を飲み込んで、私は微妙に浮かない顔の友人ふたりに問いかける。

 こうして教室で机を突き合わせるのも久しぶりの感覚だ。

 この一週間のテスト期間はずっと午前あがりで、放課後も生徒会室を学習室代わりに籠り切りだった。

 午前授業が続くなら毎日テストでもいいのに、なんてのたまうクラスメイトもいるが、それじゃあ身が持たないひともいるだろう。

 主に目の前に。


「うう……なんとか赤点は回避できそう」


 ユリは、悔しそうにぐっと手を握りしめた。

 テスト直前に駆け込みで頑張ったくらいなのに、そうやって悔しむことができるおおらかな心が羨ましい。

 それが当たり前みたいな顔して、ヘラヘラしているよりは向上心があっていいんだろうけども。


「アヤセは?」

「まー、可もなく不可もなくって感じだな。担任に言われてる目標点は越えてるし、ノルマはクリアってところ」

「目標点なんて決めてるの?」

「足切りの必要評定があるからな。推薦だって楽じゃねーんだよー」

「なるほど」


 共通テストなら今の点が悪くたって、年明けに学力ピークを持ってくればいいだけのこと。

 でも推薦入試は秋にはもうスタートするから、その分早めに準備をしなければならないし、日々の積み重ねも大事になってくるということなんだろう。


「それと別に十月には大会もあるし、夏はその準備ってか練習もしねーとな」

「大会?」

「パフォーマンス書道の大会があるんよ。」

「パフォーマンス書道ってなんぞや?」


 ユリが首をかしげるのと一緒に、私の頭の上にも「?」がうかぶ。

 アヤセは不満そうに、じっとりと私たちを見比べた。


「お前らなー、もうちょい友達の活動に感心持とうぜ。てか去年も同じ話したような気がするんだが」

「そうだっけ?」

「そうかな?」

「まあいい、わかった、みなまで言うな」


 これ以上は特に言うことないんだけども、喋るなと言われたなら黙っておこう。


「演舞書道っつえばいいのかな。文字だけじゃなくって、その書いてる姿とか、そういうのも全部審査の対象になる大会があるんだ。でかい紙にでかい筆使ってさ」

「ああ、〝今年の漢字〟みたいなやつ」


 ぼんやりと頭に浮かんだ年末恒例の光景を口にすると、アヤセは肩透かしを食らったみたいにガクっとうなだれた。


「まあ、あれも広い意味じゃパフォーマンス書道だろうけどさ……いや、イメージできてるならそれでいいわ」

「つまり、おっきい筆ぶんぶん振り回して戦うの? ゲームの世界だね」

「やっぱユリはイメージできない気がするわ」


 アヤセのツッコミに、ユリはさらに首をかしげてしまった。

 そんな私もユリのせいで、脳内イメージが年末の風物詩から、インクを塗りたくって陣取り合戦をするゲームの光景に切り替わってしまった。

 さすがにそんなわけないだろうけど、墨を塗りたくり合う書道バトルなんてのも案外面白いのかもしれない。

 一気にバラエティ番組感も出てきてしまうだろうけど。


「ところで、今日は心炉はこねーの? てっきり来ると思ってたけど」

「心炉は英語部のランチ会だって。ほら、今日はALT来てる日だし」

「あー、そう言えばテストの解説をなんでかスージーがしてくれたっけ」

「ウチの英語教師、そんなことさせてんの? ALTの無駄遣いすぎる……」


 ALTってどっちかというと英会話学習の補助みたいな立ち位置だと思っていたのだけど。

 スージーというのはそのALTの名前で、たぶん愛称か何かなんだろうけど、本名は私もよく知らない。

 彼女が関わるのはたいてい一年次履修のOCなので、三年にもなればほとんど接点はない……というのが普通の高校なんだろうけど、彼女はたまに通常の英語の授業にも顔を出しては、母国イギリスの変な風習に関する小粋なトークをかましていく陽気なお喋り外国人だ。


「いやぁ、バカなあたしでも分かった気になれる良い解説だったよ」

「何様よあんた。てか、分かった気になるんじゃなくって、分かりなさいよ」

「大丈夫、大会終わったら本気出すから!」

「チア部は大会いつなんだ?」

「えっとねー、八月の頭かな。今年のチームは過去最高の完成度だともっぱらの噂!」


 どこで噂になってるんだって聞いたら、どうせ「あたしたちの中で」って答えるんだろうな。

 自己評価が高いのは良いことだけどさ。それに偏見かもしれないけど、あの手のは「私が私が!」って気が強い方が有利そうだし。


「すげー、素朴な疑問なんだけど。ユリってなんでチア部に入ったんだ?」

「あ、それ聞いちゃう?」


 アヤセに尋ねられて、ユリは伏し目がちになって、なんか急に雰囲気を作り始めた。


「話せば長くなるんだけどさ」

「じゃあいい」


 即答してやったら、彼女は「がーん」と涙目になって食い下がる。


「聞いて! 聞いてください! お願いします!」

「なにもそんなに懇願しなくても……」


 仕方なく聞きの態勢に入ると、ユリはもう一度姿勢を正して伏し目がちになる。

 ああ、そこからするんだ。

 そういうとこホント頑固だな……。


「実はあたしね、ホントは水泳部に入ろうと思ってたの」

「へぇー、知らんかったわ」

「シンクロをね、やりたかったの。ナウな言葉で言うならアーティスティックスイム。ウォーターボーイズに憧れてたの」

「ここガールズ校だけど」

「志の問題なの! 初心の問題なの! でも、ウチの高校の水泳部はシンクロやってなかったの」

「やってるとこの方が珍しいだろーな。聞いたことないわ」

「お隣の男子校は毎年学園祭で有志公演やってるらしいけど。それこそウォーターボーイズって銘打って」

「へぇー」

「ねえ、あたしの話聞いてるー?」


 ユリがいじけたような声をあげた。

 私もアヤセも手を合わせて彼女に謝って、もう一度聞く体制に戻った。


「でね、憧れの道を断たれたあたしはチア部に入ったのさ」

「あんた、一番大事なところすっ飛ばしてない?」

「ごめんなさい。実はそんなに語ることないんです……」


 正直に白状して、ユリは今度こそ本当にしょんぼりと肩を落とした。

 話題を出したアヤセが、気を遣って彼女の肩を叩く。


「まあまあ、チア部自体は合ってたんじゃねーの? なんか人間性が近いようなのが集まってるっていうかさ」

「うーん、そうだね。居心地はとても良かったよ」

「だから手を焼かされてるんだけど」


 特にこれからの世代はユリたちが育てたと豪語する闇の世代になる。

 次代、そして次々代の生徒会メンバーには今からご愁傷様と言っておきたい。


「なんか、こういう代替わりの時期ってどうしてもしんみりしちゃうな」

「どっちもまだ先の話でしょ」


 確かに、なんだかそういう雰囲気になってたけどさ。

 その一方で大会はこれからみたいな話もしてたところなわけで。

 生徒会だってこれからが一年で一番忙しい時期になるわけで。

 受験だって控えてるわけで。

 つまるところ、少なくともここにいる私たちの高校生活の本懐は、まだ何も成し遂げられていないということだ。


「もう一学期も終わるね」


 だけど、最後にユリがしたつぶやきがなんでか心に沁みた。

 あんなに「これからだ」と思っていた夏も、気づけばきっとあっという間に終わる。

 私も最後に、この学校に何かを残せるんだろうか。

 自分自身のマニフェストを思い出して、まだ成し遂げられてないような気がすると感じてしまう私は、思っている以上に欲張りな人間なのかもしれない。