「それでは、明日から期末試験なので準備を怠らないように」
「うぃー」
「一夜漬けの人は寝ないように」
「うへぇ」
「それと七月の三週目は三者面談になっています。日程は先に通知した通りですが、もし日程調整が必要になった人は私のところへ来るように。以上、ホームルームを終わります」
担任の号令で、クラスメイト達は一斉に動き始める。
長い髪を後ろでひとつ結びにした我らが担任は、クラス簿を手に颯爽と教室を去って行った。
三年になって初めて担当になった教師だが、無駄なくサクサクことを進めるのは好感が持てる。
人によっては「担任はユーモアたっぷりな人がいい」とか「ちょっとダーティな方が良い」とか好みは分かれるけど、私はカタブツ系一択だ。
ちゃんとしている人を見ると、私もちゃんとしないとなという気分になれる。
そういうのは反面教師じゃなくって、単純に良い教師と言えるんだろうか。
「星さん」
帰り支度を整えていると、机の前に毒島さんが立っていた。
「この後、何か用事はありますか?」
「テスト勉強」
「それは知ってます」
あきれ顔で睨まれてしまった。
テスト勉強って用事に入れちゃいけないんだろうか。
若干、納得いかない。
「学園祭のことで相談が……あっ、良かったら雲類鷲さんも良いですか?」
「ああ?」
斜め後ろの席から、ぶっきらぼうな返事が返ってくる。
雲類鷲さんは、机の中の大量の教科書類をどうにかスクールバッグに詰め込もうと、試行錯誤している最中だった。
「それ、全部持ち帰るの?」
「全部置き勉してるからな」
「今日、持って帰るの?」
「一夜漬けだからな」
「そう」
そんなにあっけらかんとして言われたら、こっちとしても素直に頷き返すしかない。
世の中には理解できないものが沢山あるけれど、私にとっては一夜漬けと置き勉がまさにそれだ。
家で勉強しようって思った時に、教科書やノートがなくって二の足を踏んだりしないんだろうか。
一夜漬けなら、そもそもそんな状況にならないんだろうけど。
「勉強しなきゃいけないなら、無理しなくても」
「どうせ晩飯食ってからじゃねーとやる気でねーし。学園祭のことならあたしがいなきゃ始まらんだろ」
「あ、ありがとうございます。そんなに時間は取らせませんので」
毒島さん――じゃなくって、心炉の方も気圧されたみたいにたじたじになっていた。
たぶん、理解できない生態を目の当たりにして戸惑ってるんだろうな。
私も最初はそうだった。
ユリという前例と長いこと付き合ってるので、今はもうスルーできるだけの余裕があるけれど。
「で、話ってなんぞ?」
「前夜祭のことです」
「ああ、宣伝パレード」
雲類鷲さんは完全に聞きモードに入って、自分の机にどっかりと腰かける。
学園祭の初日である前夜祭は、学園祭の宣伝を兼ねた街頭宣伝パレードを行うのが長年の伝統だ。
自由参加だが、仮装をしてビラやら何やらを配りまくるのが毎年の開催内容。
その後、これまた自由参加で決起集会を行って、向こう三日間のイベントに気合を入れる――というのが基本的な流れとなっている。
「もしかして届け出の話か? それなら七月中のどっかで警察署に行くけどよ」
雲類鷲さんの返事に、心炉は「ああ」と小さく頷く。
「それもあります。学校長のサインとかも貰わないといけないはずなので、早めに準備をお願いします」
「おっけーおっけー」
「それじゃない話っていうと何?」
私が聞き返すと、心炉が両手の人差し指を顔の前に掲げる。
「星さんと雲類鷲さんは、テレビとラジオのどっちが好きですか?」
そうして突然、そんな質問をされてしまった。
「それはどういう質問なの?」
「とりあえず答えてください」
意図も理解できないまま、有無を言わさず話を前に転がされてしまった。
私は雲類鷲さんと顔を見合わせてから、それぞれに明後日の方向を見上げる。
「どっちかって言えばテレビ……かなあ。ラジオはあんまり聞かねーな」
「私も同じく。夜に勉強してる時は、BGM代わりにラジオを聞く時もあるけど」
「マジかよ。昭和の人間だな」
「しょ……いやいや、平成だって令和だってそういう人いるって。動画配信サイトとか観ながら勉強する人と感覚的には一緒だって」
「ああ、それなら分からなくもねーな」
「でも私は、目の前で映像がちらついていると集中できないから。ラジオみたいに声だけの方が、いい感じの雑音になって集中できるの」
「エッチの時にAV流すと集中できないけど、アイマスク付けたら感度倍増みたいなもんか」
「ひとの勉強スタイルを変な性癖で言い換えないでくれる? しかも意味がズレてるし」
「変じゃねーだろー。一般的だって」
「しょうもない話はその辺にしてください。とりあえず、おふたりの意見は分かりました」
心炉は私たちふたりを見比べるようにして、それから、
「それじゃあ雲類鷲さんがテレビ」
と言って片方の人差し指を雲類鷲さんに向け、
「星さんはラジオでお願いします」
ともう片方を私に向けた。
状況が飲み込めず、私も雲類鷲さんも、ほとんど同時に首をかしげる。
心炉はそんな私たちのことを置いてけぼりにして、本題を語る。
「夕方の地域放送枠で有志の宣伝コーナーがあるんです。前夜祭の日に、おふたりにそれぞれテレビとラジオで出演をお願いします」
「は?」
眉をひそめて聞き返した私の隣で、雲類鷲さんがポンと手を打つ。
「あー、見たことあるわ。ポスターとか持って『〇〇高校の学園祭があります。よろしくおねがいしまーす』みたいなの」
「それです。毎年代表を立てて出演してて、基本的には生徒会長と実行委員長なので、おふたりにお願いします。あ、テレビの方は、賑やかしで他にも何人か連れて行っても大丈夫ですよ」
「おう。じゃあ、他の幹部の予定もすり合わせとくわ」
雲類鷲さんは、さっそくスマホを取り出してメッセージアプリで何かを打ち込んでいた。
たぶん幹部組のグループか何かでスケジュールを共有してるんだろう。
「あ、星さんのラジオはおひとりでお願いしますね。ブースが狭いので、大勢で押し掛けても入らないそうです」
心炉の無慈悲な宣告に、私は一応手を挙げて発言権を求めた。
「拒否権はないの?」
「ないです」
「そう」
私の知らないところで私の仕事が増えていく。
いや、私が生徒会長というか、学校のイベントに興味がなさ過ぎて知ろうとしてこなかっただけだけどさ。
「分かった。これで最後の面倒だと思ってやってくる」
「相変わらずひと言余計です。でも、お願いします。学園祭が終われば生徒会もほぼ解散みたいなものですから。仰る通りに、きっとこれが最後の面倒です」
そう口にして、心炉はちょっぴり悪戯っぽく笑った。
「お前ら、なんか距離感変わった?」
思わずぎょっとして、雲類鷲さんの方を振り向く。
彼女は何食わぬ顔で、パンパンの鞄からアメちゃんを取り出して口に放り込むところだった。
「いや、別に?」
「そ、そうですよ。別に」
「あ、そう? ま、仲良くしてるならそれでいーんだけどよ」
示し合わせたみたいに不定した私たちに、雲類鷲さんは本当にそれ以上は興味なさそうに、足をぶらぶらさせる。
カランコロンと、口の中でアメが転がる音が小さく響く。
というか、なんでか反射的に否定してしまった。
別に否定する必要なんてないんだけど。
でも、今さら「友達になったんです」なんて言ったところで、意味が理解されずに微妙な空気になるだけだろうし、きっと間違ってはいない……はず。
同意を求めるように、私は心炉を見た。
「話はこれで終わりなので! それでは、テスト勉強頑張ってください!」
でも彼女は、それだけ吐き捨てるように言って、帰ってしまった。
行き場を失くした私の視線だけが、ふらふらと床に流れる。
「アメちゃん、食うか?」
「食う」
雲類鷲さんがくれたのは、懐かしのパインアメだった。
舐め終わった頃には、口の中がズタズタだった。