放課後になって、生徒会室に私と毒島さんと、ふたりの姿だけがあった。
そもそも期末テスト直前ということもあり、学習のために生徒会も閉会期間。
だから、本来なら開いていないはずのこの部屋を開けているのは、数少ない生徒会長としての特権と言える。
「私は教室でも良かったのですが」
長テーブルを囲むパイプイスにスクールバッグを降ろして、毒島さんは流れるように電機ケトルでお湯を沸かし始める。
私がそれに気づいたころには、もうふたり分の茶葉をポットに放ってしまった後だった。
あまりにも自然な流れだったので、指摘をするにも完全に出遅れてしまった。
それくらい、ここで一緒に過ごすのも当たり前になったということなんだろうな。
そう考えたら、意地でも互いを友人と認めない今の関係が一層歪なもののように感じられた。
「会長と副会長がテストの点で勝負してるなんて、そんなゴシップ燃料を投下するようなこと教室でできないよ」
「それもそうですね」
毒島さんが、お茶の準備を進めながらクスリと笑う。
ポットにお湯が入ったのか、ほんのりと良い香りが鼻先をかすめる。
「そう言えば、いろいろとタイミングを逃しちゃってたけど。プレゼント、ありがとね。ハンカチはバレンタインデーのお返しのお返しってこと?」
「そういうのはちゃんと覚えてるんですね……そうですよ。ホワイトデーでハンカチを貰ったのを思い出して、ついでに見繕ったものです。なので、本来のプレゼントはイヤリングの方だったんですが」
「狩谷星だけにお星さま?」
「シャレのつもりはなかったんです! ただ、似合うものがどれか考えたら、たまたまそれだっただけで……」
そのまま彼女は言葉を濁してしまう。
毒島さんには、私のことがどんなふうに見えてるんだろう。
夜空みたいに真っ黒だから似合うんだって話なら、まだ頷けるかもしれない。
「だって、お花とか猫とか似合わなそうじゃないですか」
「猫、いいのに」
「もしかして……星は嫌でしたか?」
彼女が、ちょっと不安げな表情で振り返る。
私は慌てて首を横に振った。
「そういうんじゃないよ。かわいいデザインだったから、気にいってる」
「なら、良かったです」
ほっと胸をなでおろして、毒島さんは淹れ終わったカップを差し出してくれた。
私はお礼を言いながら受け取って、そのままカップに視線を落とす。
紅茶の中に、気を張りつめた様子の自分の顔が映っていた。
「名前負けしてる気がして、自分じゃまず選ばないモチーフだなっていうだけ」
「名前負けだなんて……それって、私に対してまあまあのイヤミですから、自覚してくださいね」
「そうかな?」
「そうです。私はいつだって、二番手の女なんですから」
そう愚痴るように口にして、毒島さんはバッグから試験成績表を取り出す。
「それじゃあ、決着をつけましょうか」
そう言って彼女は、ニコリと、今日一番の笑顔を浮かべた。
試験成績表は、本校の生徒にとっては第二の通知表のようなものだ。
定期テストの結果はもちろん、校内模試の結果もすべて、一年分のテストの結果がここに蓄積されていく。
これを見れば、年間の成績や学年順位の上下が一目瞭然というわけだ。
私も自分のバッグから同じものを取り出すと、無言で彼女に向けて差し出す。
互いの成績表を交換して、絡み合った視線の合図で同時にそれを開く。
「……流石ですね」
真っ先に声を上げたのは毒島さんの方だった。
ため息交じりに、ちょっぴり悔しそうに彼女は笑う。
「学年二位とは、お見事です」
「時期的に運動部組は全力じゃなかっただろうし、ニガテな分野が少なかったのも大きかったと思う。過去最高記録ではあるんだけどさ」
「まるで満足してないような口ぶりですね」
「満足……したいけど、しちゃいけない」
でも、一位は取れなかった。
今回は手ごたえがあったし、あわよくばとも思ったけれど。
もちろん頑張って取った順位に満足こそすれ、不満なんてない。
でも同時に、自分が特別な存在じゃないってことも否応なしに理解させられる。
入学したてのころからずっと勉強に身を入れて、それでも、学内ですら一番にはなれない。
紙に記された無機質な数字の羅列から、自分の限界はここだって突き付けられているような気がした。
「私は今回四位で……前回よりは下がってしまいましたけど、それでも結果には満足です。あっ……いえ、あなたとの勝負は別ですよ。心底悔しいです。しれっと前回の私の順位を越えてきてるところもムカつきです」
「そこはまあ、勝負は勝負だから」
「文句をつける気はありませんよ。私の負けです。でも、会長の目指すところはもっと上にあるんですね」
それはそう、なんだけど。
本気でやっているからこそ分かるこの、到達点じゃなくって限界点。
ボルダリングの途中で、自分のスキルや思考じゃどうあがいても登頂ルートを見つけられなくなってしまった状態。
「目指す……いや、目指し〝たい〟かな。可能かどうかは別の問題だから」
「そういうところなのかもしれませんね。やっぱり会長には、お星さまが似合います」
「あっ、そう言えばそれ」
「それ?」
「その〝会長〟っての今日まででしょ」
「う……そう言えば、そういう約束でしたね」
毒島さんは苦虫をかみつぶしたような顔になって目を逸らした。
「役職名だから、生徒会の活動中は別に良いけど……はい、どうぞ?」
私はくるんと手を翻して言葉を促す。
彼女は噛みしめていた歯を開いて、音をひとつひとつ確かめるように、ゆっくりと口にした。
「せ……い、さん」
「よくできました」
拍手を送ると、いつもの調子でキッと睨みつけられる。
「そういう星……さんこそ、約束覚えてますよね。あなたがそうしたいって言い始めたんですからね」
「ん……確かに。ええと……じゃあ、こ……ここ……こここ」
「ニワトリですか」
「どっちかと言えば、くっくどぅどぅるどぅー派だけど」
「知りませんよそんなの。話を逸らさないでください」
既に約束を果たした人間の強みで、毒島さんは強気に鼻を鳴らした。
今思えば、なんちゅう約束をしたんだと、当時の自分を怒鳴りつけてやりたくなる。
あの時は他に方法が思いつかなかったし、半ばヤケクソな気持ちもあったけどさ。
でも断られるなんて思ってもみなかったわけで。
あの時に断られてなければ、あの場の勢いだったら、たぶん何の憂いもなく言えたんだろうけど。
ここは気合いだ。一回口にしてしまえば、二回目からはそんなんでもなくなるはず。
丹田だ。
丹田に力を込めて、一気に――
「こ……ここ、ろ」
言えた。
同時に、ふうと大きなため息が零れた。
毒島さん――もとい、心炉も大きく息を吸い込んで、そのままほんの少しの間硬直する。
「よ、呼び捨てですか」
「〝さん〟も〝ちゃん〟も、なんか違くない?」
「そんなこと言われても……私も呼び捨てにした方がいいですか?」
「そっちから呼び捨てにされるのも、なんか違う気がする……」
「わけがわからないですよ」
「てか、なんだこの状況。思った以上に恥ずかしいんだけど。今さら感ありすぎて、旬が過ぎた芸人の一発芸みたい」
「恥ずかしいとか言わないでくださいよ。必死で我慢してるのに、こっちまで恥ずかしくなるじゃないですか」
「ええ逆ギレ……むしろ、私の方はおちついてきたかも」
「がーん! また私だけ感情おいてけぼりですか!?」
それは、なんかごめん。
ごめんだけど、私にはどうしようもないので、あとは自分で恥ずかしさを消化してください。
こっちはいち抜けた。
とにも書くにもここからようやくゼロ地点。
私はようやく彼女と正面から向き合っていけるような気がした。