6月20日 十八の青春

 昼休み、約束通りにユリたちの教室に向かうと、一角に場違いなパーティー会場が設営されていた。

 学習机三つをコの字に合体させて、ご丁寧にテーブルクロスまでかけられている。


「さあさあさあ、主賓はこちらへどうぞ」


 やたらノリノリのユリに案内されて、私は文字通りのお誕生日席に座らされた。

 教室に居た他の生徒たちに、完全に奇異の目で見つめられる。


「まって、流石にこれは恥ずかしいんだけど……」

「恥ずかしいことなんてないよ! 誕生日なんだよ!」


 至極まっとうな意見のはずなのに、逆にユリに怒られてしまった。

 ならばと、抗議するようにアヤセのことを見ると、彼女は半ば諦めた――というか、なんか面白いからいっか、という投げやりな笑顔を返してくれた。

 どうやら覚悟を決めるしかないようだ。


「会長誕生日なの? じゃあアメちゃんあげる」

「あ、ありがとう」


 名前も知らない他クラスの生徒から、小分けのパインアメを貰った。

 それを皮切りに、面白がった他の生徒たちもチョコやらポッキーやらルマンドやらチョコあ~んぱんやら、お昼休みの教室に広げていたありとあらゆるお菓子のひとつぶをプレゼントしてくれた。

 気づくと、机の上にちょっとしたお菓子の山ができあがる。


「なんか、貢物みたいだな」

「貢がれても返せるものないんだけど」


 雨ごいでもして、午後から大雨を降らせてやろうか。

 それくらいなら頑張ればできそうな気がする。


「そこは学園祭頑張るとか言っとけよ」

「できもしないこと言わないでくれる?」


 それなりに真面目に答えたつもりだったんだけど、アヤセにまあまあ宥められてしまった。

 自分の代の学園祭だからこそ、あんまり変なことは起こさずに静かに乗り切りたいのだけど……


「じゃあ、お菓子は間で摘まんでもらうとしてー、まずは前菜からどうぞ」


 すると、ユリが傍らの保冷バッグから透明なビン詰めのサラダを取り出した。

 久しぶりに見たその姿に、うわっと声が漏れる。

 ジャーサラダ。

 ブームになったのは何年前だっけ。


「お皿は紙皿でごめんね! 後始末が楽だからね!」


 言いながら、どばとばとサラダを盛り付けていく。

 最後に小分けしてきたらしいドレッシングを掛けたら完成だ。


「まあ、普通においしい」


 口にして、とても素直な感想がこぼれる。

 そもそも不味いサラダってのを食べたことがないのだけど。

 お腹が空いていたこともあって、あっという間に食べ終えると、ユリはすぐに鞄から次なる何かを取り出す。

 一見水筒にも似たそれは、いつしかホワイトデーのお返しと言ってくずきりを持ってきた、あのスープジャーである。


「本日のスープは、カボチャのポタージュでございます」

「ちょっと待って」


 懐かしのギャルソンモードでうやうやしく頭を垂れるユリに、思わず待ったをかける。


「これ、もしかしてこの調子でコースが続くの?」

「まさしくその通りでございますが、何か?」


 何かって、おまえ。

 そうも開き直られると、返す言葉もないんだけど。


「アホだろー。でもユリのメシは旨いから、まあいいかなって」


 アヤセは前菜のサラダをむしゃむしゃ食べながら、楽しそうに――いや、愉しそうに笑っていた。

 こいつ、ひと事だからって……でも、美味しい手料理が食べられるのならと口を噤んでしまう自分自身がなにより恨めしい。

 紙コップに注がれた、アツアツのカボチャのポタージュは、ほんのり生クリームのコクがあってとっても美味であった。


「ふう……で、メインは何をやらかすつもり」

「やらかすってなにさ!? だけど、ふふふ、見て驚け……」


 やたら勿体ぶりながら、ユリは保冷バッグの中から大きなジップロックの袋を取り出す。

 何事かと思ったけど、よくよく見たら中につけダレらしき液体に付け込まれた、一枚肉のステーキが入っていた。それも生のまま。


 思わず息を飲んだ私たちの前で、ユリは鞄からキャンプ用のガスストーブと、新聞紙にくるまれたスキレットを取り出す。

 アヤセが、音を立てて椅子から立ち上がった。


「おまえ、まさか……焼く……のか?」

「イグザクトリィ」


 ユリが、ニヤリと不敵な笑みを浮かべる。

 その額に、私は咄嗟にデコピンを繰り出す。

 自分でもびっくりするくらいの早打ちだった。

 今ならポストル早撃ち選手権で優勝できそう。


「あいたっ! なにするのさ!?」

「イグザクトリィ……じゃないよ。学校で肉焼くやつがあるか」

「えー、でも一番おいしい出来立てを食べて貰おうと思って……」


 ユリは額を押さえながら、おねだり顔で私を仰ぎ見る。

 そんな可愛い顔しおってからに……私は眉間にぐっと力を込めて、窓の外を指示した。


「せめてベランダでやれ」

「よーし、任せて!」


 ユリはあっという間に立ち直ると、お肉焼きセットを抱えてベランダに飛び出していった。


「相変わらずユリに甘いなあ星は」

「甘いんじゃなくって、締めるとこと、そうでないとこのメリハリをつけてるだけ」


 教室に残されたアヤセとふたり、頬杖をつきながら窓の外を眺める。

 ベランダにしゃがみ込んで肉を焼き始めたらしいユリが、飛び散る油に身をくねらせて格闘していた。

 ほんと、アホだなとしか思えないけど、なんだか微笑ましくて笑いがこぼれる。

 でもこの感覚は、好きな相手にキュンとするあれじゃなくって、手のかかる子供の成長を見る母親のそれのような気もした。

 何をしでかすか分からなくってハラハラするぶん、ちょっとした瞬間に癒されるもんだ。


「あっ、そーだ。忘れないうちにプレゼントな」


 一緒にユリの奇行を眺めていたアヤセが、鞄の中からカラフルな包みを取り出した。

 片手で抱えるにはちょっと大きいくらいの箱。

 綺麗に包装紙を開けると、中にはアロマディフューザーのスターターキットが入っていた。


「ありがと。アヤセにしては、なんかお洒落じゃん」

「しては、ってなんだよ。してはって。私はいつでもお洒落ですよーだ」


 口をとがらせて抗議する彼女だったけど、すぐに返す言葉でニタっとした笑みを浮かべる。


「星はすぐカリカリするから、それ使ってちゃんとリラックスしとくんだぞ」

「それは残念。これでも界隈では脱力の化身と呼ばれているんだけど」

「どこの界隈だよそれ」

「私界隈……?」


 とはいえ、アロマキットはちょっと興味があったのでありがたい。

 もとはと言えば、姉が卒業旅行でいい香りのする美容オイルを大量に買って来たせいだけど……この手のやつは、一度ハマるとフレーバーやらなんやら際限がなさそうなので、なかなか手を出せないものだ。

 これを機に、雑貨屋さんのアロマコーナーも眺めてみよう。


「あー! お肉焼いてる間にプレゼント渡してる!」


 やがて、肉とタレの焼けるいい匂いを纏いながら、ユリが帰って来た。

 手には、余熱でジュウジュウ音を立てて肉が焼けるスキレット。

 これ、教室に匂いつかないかな……たぶんつくだろうな。

 他所の教室だし、知ったこっちゃないけど。


「そういうタイミングなら、あたしもあげるね!」


 彼女は机の上に鍋敷きと一緒にスキレットを置くと、プリントを挟むファイルから、びろんと縦に長い、何かのチケットみたいなものを取り出す。


「はい、ハッピーバスデー!」


 差し出されたそれは、チケットみたい……じゃなくてチケットだった。

 手書きで「青春」と書かれた回数券のようなものが、連なることひいふうみい――十八枚。


「なにこれ」


 ほんとに、なにこれ。

 首をかしげていると、ユリがどや顔で胸を張る。


「青春十八切符だよ」

「いや……なにこれ」


 洒落を聞きたいんじゃなくてさ。

 私は答えを求めるように、アヤセを見る。


「いや、私に振られても分からんぞ……ほんとに、わからんぞ」


 彼女も眉間にしわを寄せて、首をかしげていた。


「いやー、実は今日のメニューどうしようかなって迷ってたらプレゼント買うの忘れちゃって……だから、何でもお願い事聞いちゃう券! 十八歳だから十八枚!」


 つまり、あれか。勤労感謝の日にパパやママにプレゼントする肩たたき券的な。


「ああ、うん……ありがとう。ご飯も美味しいし」


 なんだろう。

 さっきの話じゃないけど、私の彼女に対する思いって恋じゃなくって庇護欲とか、母性とかいうもんなんじゃないだろうか……ちょっと認識が揺らぐ。

 そんな気も知らないで、ユリはニコニコと笑顔を浮かべた。


「期限は来年の誕生日までね! 十八切符だからね!」


 ぶっちゃけ、それが言いたいだけのような気もする。

 たぶんだけど。

 少なくとも、何も深いことは考えてないだろうなってのは確かだろう。


「じゃあ、さっそく一個使っていい?」

「いいよ! なに? 肩たたきでもする?」


 あ、やっぱりそういう使い方を想定してたのね。

 実際、最近ちょっと肩とお尻のあたりが凝ってるような気がするので、マッサージはしてもらいたいけど。

 でも今は、もう少しだけ欲望に忠実な使い方をしたっていいだろう。

 誕生日だし。


「お肉、あーんで食べさせて」

「おお……星、案外むっつりスケベだね」

「むっつ……!?」


 正当な権利を行使したはずなのに、ひどい言われようだった。


「しかたないなあ。青春十八切符だもんね。うんうん。青春だなあ」


 何をどう納得してるのか知らないけど、ユリはひと口サイズに切ってくれたお肉を、箸でつまんで差し出してくれる。


「はい、あーん!」

「……あーん」


 釈然としないまま、お肉を頬張る。

 するとそばで、カメラのシャッターを切った音が響いた。


「ちょっとアヤセ、今、撮ったでしょ」

「シャッターチャンスだと思ってつい」

「つい、じゃなくってさ」

「良いじゃん、思い出思い出。ついでだし、私にもあーん」

「ええー、しかたないなあ。はい、あーん」

「仕方なくないでしょ。切符の意味はどうなんの」


 アヤセにも箸を差し出そうとしたユリを、直前でどうにか抑え込む。

 それでもアヤセは口をあけたまんまだったので、代わりに一番熱そうなところを私の手で放り込んでやった。


「あっつ! ちょ……あっつ!」


 涙目でハフハフする彼女に、ちょっぴり気分が晴れた。

 勝手に写真を撮った分は、これでチャラにしてやろう。

 あと、後で写真も貰おう。


 そんな十八歳の誕生日。

 残り十七枚のチケットはどう使ってやろうか。

 なんか、このままあと十七回あーんして貰える券でも良い気がするけど……そこはまあ、逸る気持ちを抑え込んでから、じっくりと考えることにしたい。