「あ、おはようございます」
朝、学校へ向かっている途中に、同じく登校中らしい穂波ちゃんと出会った。
通学カバンに加えて、いつか見た、まだまだ新品の竹刀袋を肩に背負っている。
見る人が見れば、いかにもな剣道少女の姿だ。
出会っておいて別々に学校へ向かうというのも変なので、ふたりで並んで学校へと向かう。
私と穂波ちゃんでは、並ぶと身長に大きな差がある。
同じ制服を着ているから、流石に大きな年の差があるようには見えないだろうけど。
初めて穂波ちゃんに会ったときの私みたいに、彼女が中学生に見えてしまったら、並んでいる私のほうがちょっと発育のいい中学生に見えてしまうことはあるかもしれない。
この間は、そんな未成熟な体であれだけの試合をして見せたんだ。
本当にすごいよ。
「おはよう。今日は朝練は?」
「今学期中は、放課後と休日練習だけです。たぶん二学期が始まったら、新人大会に向けて朝練も始まると思いますけど」
「そう」
大会は終わったのだし、普通はそうなるか。
姉が在籍していたころは、一学期いっぱい朝練をしていたような気がしたけど。
あれはインターハイの本戦まで駒を進めていたから、ということなのだろう。
必要だからやる
。必要がないならやらない。
「あ、生徒会の集まりがある日は、そっち優先で大丈夫ですよ。新しい部長さんと、顧問の先生にもОKを貰ってます」
穂波ちゃんが、そう言い添えた。
「ありがとう。これから忙しくなるから、素直にありがたいよ」
「よかったです。せっかく生徒会に入ったのに、今まではあんまりお手伝いできてなかったので」
そんなの気にしなくていいのに。
部活優先なのはみんなも同じことだし、彼女ばかりが責を負うようなことはない。
ただ真面目な子だから、どうしても気にしてしまうんだろう。
「夏休みにはいっぱい働いてもらおうかな」
「はい、わかりました」
だから、そう言っておいてあげると、彼女もいくらか安心した様子で、表情にも余裕が出てきたように見えた。
「そういえば、星先輩って今週の土曜日は空いてますか?」
「土曜日? 日曜日のことじゃなくって?」
「はい、土曜日です。日曜日の定期演奏会も楽しみです」
「一日中とかでなければ空いてはいるけど」
「実は、剣道部の代替わりイベントがありまして……」
「ああ……ごめん。それは遠慮しておくかな」
穂波ちゃんが最後まで言い切る前に、食い気味に返事をしてしまう。
でもこれまでの私の部に対する反応から、彼女も予想がついていたんだろう。
いくらかがっかりはしているようだけど、いつもと変わらない様子で頷き返す。
「だと思ってました。一応の確認でした。もしかしたらってことも……」
「ないかな」
「ですよね」
流れるようなやり取りがなんだかコントみたいで、どちらからともなく「ふっ」と噴き出したように笑う。
「代わり……というわけではないですが、ひとつ、お願いを聞いてもらえますか?」
「お願い?」
穂波ちゃんを見下ろすと、彼女もまっすぐに私のことを見上げていた。
「お姉さん――明さんに、稽古をつけてもらえませんか?」
「あいつに?」
なるほど、そう来たか。
「稽古つけるったって、今あいつ、東京にいるけど」
「すぐじゃなくてもいいです。例えば、夏休みとか……帰省された時でいいので」
ゴールデンウィークは研究があるとか言って帰ってこなかった姉だけど、夏休みは流石に帰ってくるだろう。
というか、帰ってくるって言っていたような気がする。
「たった一日でいいんです。お願いします」
そう言って、彼女は食い下がった。
私も別にもったいぶってるわけではないのだけど、そこまで必死にお願いされると、なんだか悪いことをしているような気になってしまう。
「あれ、人に何か教えるの最高に下手くそだけどいいの?」
少なくとも、毒島さんよりは人に何かを教えるのがへたくそらしい私だが、そういう意味だと姉も似たようなものだ。
アネノートは今のところとても役に立ってはいるけれど、逆に口頭での説明がものすごく……なんというか、抽象的だ。
教えを乞うても、どれくらい役に立つのか保障することはできない。
それでも穂波ちゃんは、必死に首を横に振った。
「何かを教えてもらおうってつもりはありません。私がそのレベルに到達してるのかもわかりませんし……ただ、全国レベルの選手と一緒に稽古してみたくって。わがままなのは分かってます、けど……」
珍しく、言葉の最後が尻すぼみに消えていく。
視線もいつの間にか伏し目がちで、どこかより所を探すようにあちこち泳いでいた。
自分で「わがまま」だと言った通り、彼女にとっては思い切ったお願いだったのだろうと思う。
私は、手のひらでポンと彼女の頭の優しく叩いた。
「いいよ、話はしてみる。受けるかどうかはあいつ次第だけど」
たぶん、受けるだろうな。
そのためだけにこっちに帰って来かねないくらいに興味を持って。
穂波ちゃんは弾かれたように私を見上げて、顔をほころばせた。
いつも一緒にいる人にしかわからない、ポーカーフェイスな彼女の笑顔は、ちょっぴりコケシっぽいなと見ていてほっこりした。
「ありがとうございます。楽しみにしてます」
「来年は全国に行けるように応援してる」
「はいっ」
強くなれるのは、自分に何が必要なのかをわかっている人間。
それがわがままだとしても、思い切って口にできる彼女なら、私は最後まで応援してあげたいと思った。
だから姉の時間くらいなら、いくらでもくれてやりたい。
その分、私は姉の呪縛から解放されることにもなるし――