商店街から一本入った路地に、古い土蔵を改装した茶房カフェがある。
ここ十年くらいのあいだ、特に田舎のほうではこういった古民家リノベーション店舗が流行りになっているそうだ。
言われてみれば、よく行くお店のあれやこれやも、みんなそういう造りのお店が多い。
というより、新しくできた綺麗めのお店は、飲食店だろうと雑貨屋だろうとたいていそうだ。
みんながみんな古民家リノベーションを利用したら、それはそれでありがたみがなくなってしまうんじゃないかと思うけど……それを言ったら京都なんてほとんど全部そんな感じだし、私が気にしても仕方がないのかもしれない。
「ええっ、それじゃあ狩谷さん、相撲とったの?」
バイト先の社員であり、今や私のお茶飲み友達である天野さんが、大げさなアクションで驚いていた。
彼女がつつく、背の高い陶器のカップに詰められた抹茶パフェは、中身こそ良く見えないけど、クリームやら抹茶寒天やらがぎっしり詰まってるようだった。
ようだった、というのは、私が注文したのは和菓子とお茶のセットだったから。
知らない飲食店に来たら「定番」と「おすすめ」という言葉に人間は弱い。
冷たい抹茶ぜんざいと迷ったけど、おしるこぜんざいを頼むならアヤセの実家のほうがいい。
「他に選択肢がなかったので」
「へえー、それで、戦績は?」
「なんとか勝ち越しましたよ」
「やるねえ」
天野さんは、にまにまと笑顔を浮かべて、パフェのてっぺんに乗った抹茶アイスを掬い上げた。
私も、自分の皿に盛られた、青葉の形の練りきりを楊枝でつついた。
滑らかな舌触りと一緒に上品な甘さが口の中に広がって、後を追って口にしたお茶の苦みと香ばしさが引き立つ。
「でも女子校って思ったより変なことしてるんだね。クラスマッチは私のとこでもあったけど、流石に相撲はなかったなあ。柔道ならあったけど」
「ウチが特別変態なだけだと思います」
「いいじゃないの楽しそうで。南高の学園祭とか楽しそう」
「それは、そこまで変わらないと思いますけど」
学園祭だなんて、嫌なことを思い出させてくれるじゃないの。
ウチの学園祭は毎年決まって八月の暮れの、二学期が始まった直後にある。
ちなみに言っておくと、北国の学校は小中高と限らず、冬休みと春休みが少し長い分、夏休みが短いという特徴がある。
「今年は狩谷さんたちが企画運営する代だよね。どんな学園祭にするの?」
「まだまだ、全然考えてないですよ。実行委員も組織されてないし、まともに動き出すのはたぶん七月に入ってからです」
何より六月中は運動部の県大会勢が忙しい。
たいていこういうイベントごとで中心になって頑張るのは、部活を引退した後の三年生たちだ。
それも一ヶ月もない夏休みの間に一気にやってしまう。
先んじてやっておくとしたら、保健所に出す書類を作っておくくらい。
「遊びに行くのって、チケットか何かいるのかな?」
「私立のお嬢様校じゃないので特には……というか、本気で来る気ですか?」
「ダメかな?」
見つめられながら首をかしげられると、なんだかダメとは言いづらい。
そもそもこういう人たちは、ダメと言ったところで結局来るものだ。
「せめて誰かと来てくださいよ。私、たぶん忙しくて案内とかできませんからね」
だからせめて、少しでも売り上げtに貢献してもらうことにした。
「うーん、誰かとかあ。わかった。考えとくね」
彼女の返事は納得してくれたのかどうか、微妙に分かりづらかったけど、今はそれでよしとしよう。
蛇がいますと書かれた藪は、流石の私も突っつかない。
「ところで、生まれて初めてのバイトを辞めてみた気分はどう?」
彼女もそれ以上は話を広げることなく、別の話題を切り出してきた。
今日もいつものお茶会なのだけど、中でも一応は特別で、私の退職祝いという名目が引っさげられていた。
「気持ち的に軽くはなりましたね。時間には追われていたので」
「それはそうだろうね。私も、大学時代のバイトを辞めた時はそんな感じだった」
「何してたんですか?」
「バイク便」
「バイクって……モーターバイクですか?」
まさかと思って聞き返してみると、天野さんは当たり前のように頷く。
「そうだよー。ほら証拠」
そう言って彼女は財布から免許証を取り出して、私の目の前に突き出した。
免許証の見方なんてよく知らないけど、とりあえず「種類」のところに刻まれた「普通」と「大自二」の文字が目に入る。
「普通」はいわゆる車のことだろうから、もう片方がバイクってことか。
それで大って……大型ってこと?
大型だと何がどう違うのかもよく知らないけど。
「全然見えないですね」
「今は乗ってないからねー。置いておく場所もなくって、実家に置きっぱだよ」
天野さんは笑いながら、両手でハンドルを握る真似をしてみせた。
音楽の先生で、バイク乗り回してて、今は全国チェーンのカフェでバリスタ……なんだろう、これまでずっと単純だと理解したつもりになっていた彼女のことが、ここひと月ほどで何ひとつわからなくなってきた。
「狩谷さんって、なんでバイト始めたんだっけ?」
「それ、前も聞きませんでした?」
「そうだっけ?」
「時間があったのと、社会勉強ですよ」
「確かに、なんか覚えてる気がするね」
そうして頷いて見せてから、彼女はちらっと顔色を窺うように私を見た。
「ほんとのところは?」
「ほんとも何もないですよ」
「まって、当ててあげようか」
天野さんはうーんと小さく唸って、それから思い出したようにパフェをひと口食べて、口の中できれいに舐めとったスプーンを私に突き付けた。
「フられたな?」
私は、飲みかけのお茶で思いっきりむせ返る。
天野さんが慌てて、ナプキンを手渡してくれた。
「だ、大丈夫?」
「すみません……気管に入った」
気管に入ったからむせたのは本当で、ぜーぜーと水っぽい息をゆっくり整える。そして彼女の答えも、当たらずとも遠からず……フられたわけじゃないけど、間接的にはそういうものかもしれない。
「ハズレです」
「ええ、そうなの?」
アタリかハズレかで言えばハズレなので、端的に、それだけを伝える。
彼女は残念そうに、だけどちょっと疑いも残して、くすりと笑った。
「じゃあ、正解は?」
「教えてあげないです」
「ええー、もうそろそろ、そういう仲じゃないの?」
「まだ好感度不足ですね」
有無を言わさずピシャリと言い放って、私は口直しにお水を飲んだ。
自分で思い返してみたって情けない理由だ。
バイトを始めるちょっと前のこと。
今でも覚えているその日は、私がはじめて、ユリから恋愛相談を受けた日だったから。