「あ――」
医務室を出た先の廊下で、
部屋にいたときは確認できなかったけれど、ボトムは七分丈のスパッツという、男性の情念を刺激するかっこうをしている。
黒地の両側に入った細い白ラインは、内側にクイッと曲がっている。
内股になっているからだ。
彼女はパーカーの着つけを手でいじったり、両脚を揺らしたりして、せわしなくもじもじしている。
ユリ。
ウツロはその姿に、可憐に咲きほこる純白のユリを想起したのだった。
ならばさしずめ、あの
暖色の白壁にスポーティな少女の姿が映えて、ウツロの鼓動は不規則になる。
視線が合うことによって胸が締めつけられ、落ち着きがなくなる。
心臓が沸騰しそうだ……
その正体がいったい何であるのか、無垢な少年はまた考えてしまった。
「ウツロくん、いいね。似合ってるよ、その服」
「え? そ、そうかな」
評価されたことにどぎまぎして、ウツロもつられてパーカーの気つけをいじった。
ちゃんと着こなせているのかが心配だ。
人の目が気になることなど、これがはじめてかもしれない。
彼女の目に、いまの自分がどう映っているのかが、思考回路を占有してしまう。
こんな感じで二人がお互いに見つめ合っているものだから、
「動けるなら放すぜ」
「わっ」
突然支えがなくなって、ウツロはよろめいた。
「あっ、ウツロくん!」
倒れるのではないかと焦った真田龍子が、反射的に体を受け止める。
「あ――」
今度は文字どおり、目と鼻の先で視線が合い、両者の鼓動は急激に加速した。
目を反らすことができない。
体が吹き飛びそうだ。
時が凍りついたように、二人は見つめ合った。
そしてこの瞬間が永遠に続けばいいのにという願いを、それぞれの心で共有した。
南柾樹は
まるで場違いじゃねえか。
ピエロもいいとこだ。
世界から置き去りにされたような状況が、彼に虚無感をあおってやまなかった。
ここは黙って消えるのが人情。
南柾樹はその場を去ることにした。
「柾樹?」
「今日は俺、飯の当番だから。昼の支度しなきゃなー」
呼び止めた真田龍子に会話の帳尻を合わせる、と――
「いっ――!?」
「ごゆっくり」
ふり返りざまにウツロの背中をポンと叩いた。
意趣返しという名の置き土産。
南柾樹は翻したその手をズボンのポケットに突っ込むと、廊下に敷かれた赤いカーペットの上を、とぼとぼと歩いていった。
タンクトップからのぞく
ウツロはポカンと、老木のような背中を見送った。
「妙な男だ……ねえ、真田さん?」
「えっ? ああ、そうだね……ええと、何だっけ……?」
「……?」
「ああ、そうだ。ウツロくん、このアパートの中を案内するね」
「あ、そうか。そうだね、よろしくお願いします」
「か、肩、貸すよ。まだひとりで歩くのは、た、たいへんでしょ?」
「いや、この程度。隠れ里での鍛錬に比べれば、なんてことはないよ。気をつかってくれてありがとう、真田さん」
「え、そう? すごいね。じゃあ、ゆっくりで大丈夫だから、順番に行ってみよう」
「真田さん?」
「え?」
「顔が赤いよ?」
「えっ――!?」
ウツロの手が伸びてくる。
意外に大胆なんだな、この子……
「ひゃっ」
手が額に触れる。
ひんやりした感触に、思わず奇声を上げてしまった。
「熱はないみたいだね。風邪を引いているのかと心配したよ」
「……ああ、どうも……」
ウツロは真田龍子に特別な感情を持ってはいたけれど、それが何なのかは自分でもまだわかっていない。
いっぽう真田龍子は、ウツロの鉛のごとき鈍さについて打ちのめされた。
やはり認識の不一致とは、おそろしいものである。
真田龍子はやきもきする気持ちを抑えながら、ウツロをアパートの中心へといざなった。
(『第20話 世界について』へ続く)