「うちはルーシいいはります。以後、お見知りおきを。なんていうて、これからあんさんら食べてまうんやけどね」
「ぴっ! ぴぃいいいいっ! たべないでぇ~っ! ステラ、おいしくないよぉ~!」
「あれぇ、よく鳴く雀やなぁ? 羽根もいで、串さして、丸焼きにしたろかぁ?」
「ぴっ! ぴっ! ぴぃいいいいい~~~~っ!」
「やめろ! 食べるのは――俺なんだろ!」
古代遺跡の鐘楼。
そこを棲処にするアラクネは、ルーシーと名乗った。
昨日、森で遭遇した絡新婦より上半身の容姿は幼い。
しかし、下半身の蜘蛛の部分はもはや獅子もかくやという凶暴さだった。
これが東洋のアラクネ。
「威勢のええ旦那はんやなぁ。えぇなぁ、実にうちの好みや……♥」
「ちょっと! それは私の旦那さまよ!」
「糸に絡まりついたんは、旦那はんのほうや。せやさけ、旦那はんはうちのもんどす」
「どういう理屈よ! 離れなさい、今すぐに!」
俺に頬ずりをするルーシ。
そんな彼女にいつになく感情的に迫るセリン。
すぐさま彼女は、怒りにまかせてその指先から紫電を放った。
しかし――。
「あら? 今、なんやしましたのん?」
「……嘘! 私の雷撃が、効いていない!」
いや、効いていないんじゃない。
セリンの放った雷撃が弱いのだ。
大地を抉り鼓膜を焼くような威力が失われている。
勘のいい精海竜王の娘は、すぐにその原因に気がついた。
「この糸! 私の精気を吸い取っている! 招雷の術が使えないっ!」
「便利やろぉ? うちの糸は特別製やさけ。触れたもんの精気を、吸い取るんよ」
「くっ、こ、こんなのって……! 旦那さま、どうか逃げて……ッ!」
なんとか俺だけでも逃がそうとするセリン。
しかし、彼女があがけばあがくほど、その身体はルーシーの糸に絡めとられていく。
そんな彼女をあざ笑うように、ルーシーは俺の顎先をその白い指で撫でた。
まるで高価な陶器でも愛でるように。
「ふふふ。せっかく捕まえた旦那はん、逃がすわけありまへんえ。さあ、そしたらさっそく、愛し合う男と女同士――子作りしまひょか?」
「なぁあああっ! やめなさいバカァッ!」
セリンが顔を真っ赤にして慌てる。
だが待って欲しい。
どう考えても子作りする状況ではないのだが?
「あら、旦那はん? もしかして、ウチらの子作りを知りはらへんの?」
「は、恥ずかしながら……」
「あらあらぁ~♥ 男らしいのに初心なんえ~♥♥ ますますうちの好みやわ♥♥♥」
「男前ついでに、見逃していただけませんか?」
「あきまへんえ♥」
べろりと赤い舌を伸ばし、ルーシーが俺の頬を舐め上げる。
前戯というより――まるで肉の味をたしかめるような舌使いだ。
頬をなめ回した彼女は、満足そうにそれをひっこめると、涎に濡れた赤い唇にそっと指先を添えて微笑んだ。
「うちらはな、番の雄を食べて身ごもりますのんや♥♥ 愛しに愛した男の血と肉と精で、子供が生まれてくるなんて……なんやロマンチックですやろ♥♥♥」
「なぁッ! 番を食べる……ッ!」
そんな話、聞いたことがない。
少なくとも西洋のアラクネは生殖のために番を食べたりしない。
もしかして、目の前のルーシーはアラクネではない?
だが、その姿はどう見ても俺の知るそれだ。
ほんの少し東洋の顔立ちをしているが――。
「そうか! 旦那さま、そいつはアラクネではなく、絡新婦です!」
「じょうろうぐも?」
身体に食い込む糸を引きちぎりながらセリンが叫んだ。
どうやら、東洋育ちの彼女には心当たりがあるようだ。
「絡新婦は、長い時を生きた蜘蛛が人間に化けたモンスターです。古い家に棲みつき、男を家へと誘い込んで食らう性質があります」
「……なんだと!」
よりにもよって、ここで最後の謎が解けた。
なぜ森に潜むアラクネ――絡新婦が、男だけを食べていたのか!
生殖活動のためにそれが必要だったんだ。
今思えば、森で出会った絡新婦も子種がどうとか言っていた。
まさか種族が違っていたとは――!
うちひしがれる俺の前で、か細い稲妻が宙を走る。
「旦那さまを食べるだなんて……! そんなこと、絶対にさせません!」
「せ、セリン!」
顔を上げれば、彼女は角に紫電をまとわりつかせていた。
今やルーシの糸に雁字搦めにされた彼女は、かろうじて露出したそこに残る力を集め、目の前の絡新婦に向かって放とうとしているようだ。
だが、どうも様子がおかしい。
額から頬から脂汗が噴き出て、顔色は蒼白になっている。
紫色をした唇など初めて見た。
精海竜王の娘がこんな顔をするか?
まるで一撃と共に絶命しそうだ……。
いや、気のせいなんかじゃない。
「なるほどなぁ? 身体の精気を全部放ったら、うちもただじゃすまへんやろなぁ?」
「分かったなら! とっとと旦那さまを離せ!」
「いややわ、あんな束縛の強いお嫁はん。ちょっとどう思います、旦那はん。あんさんのためなら死ねるやなんて……女は、生きてなんぼやのになぁ?」
端的に絡新婦の死生観がその言葉には現れていた。
そして、男女の力関係も。
しかし、今はそんな場合じゃない。
セリンを止めなくては。
「やめろセリン! 俺なんかのために命を捨てるな!」
「けれど旦那さま!」
今にも紫電を放とうとするセリン。
おそらく、口で止めても彼女は雷を放つだろう。
俺が死んでも、弔いに放ち死を選ぶだろう。
どこまでもかいがいしい俺の正妻。
しかし、道連れにはできない。
どうするケビン。
どうやってセリンを救う。
今さらながら、この身が既に自分だけのものではないと痛感する。
そんな中――俺は、あらためてこの場に居る理由を思い出す。
俺はここに話し合うために来たのだ。
「聞け! ルーシー!」
「あらぁ♥ 死ぬ前に、うちの名前を呼んでくれはるのねぇ♥♥」
「俺はこの島の領主! ケビン・モロルド! 君たちアラクネに、力を貸して欲しくてここに来た! どうか人を襲うのをやめて、この島のために働いてくれ!」
俺の勧誘にルーシーは目を見開き――そしてすぐに笑って首を振った。
「いけずやわ、旦那はん。そんなん無理なこと、分かってはりますやろ」
なにかを悟り、なにかを諦めた表情だった。
そんな寂しい表情に、命の危機にもかかわらず生来のおせっかいの気が疼く。
無理ではない。
俺たちは、きっとわかり合える。
今こうして、話し合えているのがその証拠だ。
だから――言葉を重ねる。
お互いの距離を詰めるために。
「ルーシー! 美しく逞しい絡新婦の精よ! どうか、愚かな俺に力を貸してくれ! 君のように、繊細さと豪胆さを併せ持つ美女を、俺は見たことがない!」
「…………へ♥」
「この森に棲むアラクネを島の者は崇めているが……それに違わぬ美しさ! アラクネの乙女よ、まさしく君は神代に語られた女神そのものだ!」
「…………はっ♥ あっ、えぇっ♥♥」
「何度でも言うぞ! ルーシー! 美しい絡新婦の乙女よ! どうか――その力を、俺に貸してくれ! 君が、俺には必要なんだ!」
「……あ、あきまへん♥♥ あきまへんえ旦那はん♥♥♥ そんな情熱的な
「揺らげばいいじゃないか! 君たちは、自由だ! 種族の血に従う必要なんてない!」
もう一つ謎が残っていた。
なぜ、男だけを喰らい、女・子供を逃がすのか。
おそらく絡新婦はアラクネと違い、モンスターよりも人間に近いのだ。
生殖として男を喰らう必要がある一方で、他者を思いやる心を持っている。
だから彼女たちは必要のない殺戮を好まなかった。
いや、むしろ男を喰らうことさえ忌避しているのかもしれない。
森の奥にその身を隠し、男の方からやってくるまでけっして手を出さない。
愛した者を殺さなくてはいけない。
そんな血に刻まれた因果に――絡新婦たちは抵抗していたのかもしれない。
だとしたら、俺はそんな島民を見捨てられない。
「大丈夫だルーシー! 俺を信じてくれ!」
「ほ、本気で言うてはりますのん? 旦那はん?」
「本気も本気だ! 俺は……ルーシーが欲しい!!!!」
「ほ、欲しい……♥♥♥」
しゅるりと俺を縛めている蜘蛛の糸がほどける。
それと同時に、今度は硬質な蜘蛛の脚と、少し冷たい乙女の手が俺を抱いた。
俺の想いは通じた。
ルーシーの身体と心を雁字搦めにしていた絡新婦の呪いは解けた。
「か、かないまへんわ……うち、こないに情熱的なこと、男の人から言われたんは、はじめてどす。あまりに熱うて、頭くらくらしてきてしもた」
「そ、そうか? 大丈夫か、ルーシー?」
「……はい♥♥ もう、大丈夫になりました♥♥ ふつつか者ですが、あんじょうよろしゅうたのみますえ、旦那はん♥♥♥」
「う、うん……?」
ただなんだろう。
ちょっと思ってたのと違う気がする。
あと――。
「だ! ん! な! さ! まぁ!」
なぜかセリンが角の矛先をルーシーから俺に変えていた。
いやいや、どうしてそうなるんだ。
せっかく命が助かったのにさ……!