戦いを終えて

「そうか、ゴーウェントは逮捕されたか」


 白いクロスの敷かれた円いテーブルに着いているガスコがそう口にした。


「ああ、今は拘留されている」


 切れ長の目をしたイータイが言った。彼の右目は、ゴーウェントの視界と繋がっていた。瞬きして、それを断つ。


 二人は、前合わせ式の、和服に近い格好だった。ガスコは黒、イータイは青。


「しかし、収穫はある」

「ほう?」

「左目でハウラの戦いを見ていたが……優秀な奴を見つけた。キジマというらしい。『器』にしようと思う」


 この場にいるのは二人だけ。ガスコに真の信頼を寄せられた腹心と言うべきイータイは、その私邸に呼ばれていた。


「今の『器』はもう限界か?」

「いや、そうではないんだが。若い『器』の方が長持ちするからな、余裕のあるうちに確保しておきたい」


 黒い扉が開いて、クローシュのような銀色で半球状のものに覆われた二人分の料理がワゴンに乗せられてやってきた。


「今日のメニューは?」


 ガスコが問うた。


ガチアーデーンウシハウルブラステーキでございます」


 給仕は言う。ワゴンから料理を取り、二人の前に置いた。それから、カトラリーを並べる。そしてグラスに黒い酒ニヴァースを注いだ。


「失礼いたします」


 給仕は恭しく一礼してから、銀色の覆いを取った。


「それでは、お楽しみくださいませ」


 部屋を後にしたのを確認してから、二人は料理に手を付けた。まずはイサパンを一千切り口に運ぶ。


「お前も熱心だな。そうまでして生きたいか」


 ガスコが言う。


「強者との出会いのためだ。外道に落ちる価値はある」

「そのキジマとやら、どう手に入れる?」

「それはこれから考えることだ」


 イータイはマジナイフを握り、ハウルブラを切る。一口を、食べた。飲み込んだ。


「ユーグラス居住区の結界、破壊できそうか?」


 ガスコの問いに、彼は首を横に振った。


「やはり強固だ、『彼』を通じて内部から解かせるしかあるまい」

「その『彼』、かけている金の割に成果が上がらんな」

「中枢に食い込めているだけだけでも儲けものだ。お蔭でゴーウェントはヨウマどもを誘導できた──まあ、ただ死人を出して終わったが」

「そう、ヨウマだ。イニ・ヘリス・パーディになったというのは事実か?」

「ゴーウェントの視界を通じて確認した。あのケサンの量、そうでもないと説明がつかん」

「ふぅむ……」


 ガスコは俯く。表情は暗い。


「ガスコ、悩むことはない。キジマを確保するついでに始末してくるさ」

「信じているよ」


 グラスを持ち上げるガスコ。ニヴァースは赤ワインに近い、肉料理に合う味をしていた。


「カッサ様、ご壮健だろうか」


 ガスコは弱った表情を見せた。それにイータイは真剣な表情を向けた。


「一生地下刑務所の中となれば、気も滅入られるだろう。早く助け出して申し上げねばな」

「総督の娘を人質にすることで、総督府のプライドを完膚なきまでに折る。それも忘れてはならない」

「オビンカによる支配のために、尽くせる手は尽くそうじゃないか」

「ああ、頼んだぞ、イータイ」





 ヨウマとキジマは、総督府の前に来ていた。15階建てのビル。陽光をガラス窓が反射して、眩い。真っ青な空に向かって、屹立していた。


「高いなあ」


 ヨウマが気の抜けた声で言った。


「副総督……一体何の用なんだろうな」


 昨日届いた1通の手紙。そこには副総督たるこがらし檜橋ひばしの名前が書かれ、明日総督府に来てほしい、との旨の文章が記されていた。


 大人は信用ならないから疑ってかかった方がいい、というのは深雪の言だ。優香は檜橋なら大丈夫な人物だというが、ヨウマも権力者というものに心を預けてはいなかった。


「ごめーん!」


 声がやってきた。その主はグリンサだ。手を振りながら走り寄ってくる。


「お茶してたら時間過ぎちゃってて……」

「いいよ、僕らも今来たとこだしね」


 ヨウマはキジマの方を見た。15分は待ったんだよな──と言いかけて、キジマはやめた。


 三人は総督府に入った。冷たい風が彼らを出迎える。


「冷房効きすぎじゃない?」


 そう言ったヨウマはぐるりと辺りを見渡した。ベンチの並ぶエリアの向こうにはカウンターがあって、その更に向こうでは地球人の職員が忙しなく動いていた。


「ユーグラスのヨウマだけど。副総督に呼ばれたんだ」


 来客受付の前に立って、彼は告げる。


「身分証をお出しください」


 ポケットから財布を取り出し、ユーグラスの社員証を見せる。表面には顔写真と生年月日と所属、裏面には武器の携行許可が記されていた。


「確認いたします──はい、お返しいたします」


 受付嬢は立ち上がって、カウンターから出てきた。


「それでは、こちらへ」


 どうしてだろうか、話す気になれなくて、ヨウマは黙ったままその後をついていった。コの字型のカウンターに沿って歩いて、エレベーターへ。


 籠に入って10秒ほど過ぎた頃、スマートフォンが揺れた。手早くそれを確認すれば、


『ヨウちゃんへ』


 と添えられた一枚の写真が送られてきていた。なんてことのない、深雪と優香のツーショット。前者はへたれた弱々しいピースサインを、後者は元気のいいはっきりとしたそれを出していた。どうやら撮ったのは優香らしい。


『どうしたの?』


 と問う。ヨウちゃん呼びにはもう慣れた。


『なんでもないけど、ちょっと送りたくなって』

『いいけどさ』


 そこまで送ったところで、


「行くぞ」


 とキジマの声。携帯電話をポケットにしまい、ヨウマは歩き出した。


 白っぽい色の両開きの扉の前に立った。その上には『総督応接室』とある。両脇には黒スーツの男が二人、立っていた。


「こちらです」


 嬢が扉を開く。ギシッ、と軋む音がした。


 内に入れば、そこは白亜の壁に白いソファ、それに挟まれた黒檀のテーブルのある、明るい部屋だった。気圧すような雰囲気もなく、静かな空気で来客を受け入れてた。


「お越しになりましたか」


 そう言ったのは奥の方のソファに座る男だった。中年と老年の合間、齢58の彼は、背筋を伸ばして一行に歩み寄った。


こがらし檜橋ひばしです。暑い中お越しいただけたこと、嬉しく思います」


 彼は握手を求める。


「グリンサです。背の高いほうがキジマで、小さいのがヨウマ。今日はどのようなご用で?」


 彼女は眠たそうな顔はそのまま、はきはきと受け答えをしていた。それがヨウマには可笑しく思えた。


「ゴーウェントを捕らえたことで感謝致したく思いまして。ニーサオビンカの逮捕は30年ぶりのことですから」

「団長の突入以降ほとんど掴めなかったニーサオビンカの動きを捉えられたのは、捜査部のお蔭です。私たちはそれに従ったまでです」

「ご謙遜なさらないでください。最後にものを言うのは純粋なパワーです。それを持っていたのはあなた方ですから、誇ってください」

「アハハ……」


 頬を掻きながら彼女は言う。


「立ったまま話すのもアレですから、どうぞどうぞ、お座りください」


 檜橋の勧めるままに、三人はソファに腰掛けた。


「少し、相談があるのですが、よろしいですか?」


 彼が話を切り出す。


「構いませんが……どうなさいました?」


 グリンサの問い返しを受けて、彼は一度深く息を吸って、吐いた。


「あなた方に、総督府直轄の部隊への転属をしていただきたいのです」

「嫌だね」


 ヨウマが即答した。


「僕は親父のために戦ってる。それがブレるなら戦場にはいかない」

「自分も同じです。団長には恩がありますから、引き抜きには応じたくありません」


 キジマが同調した。


「グリンサさん、あなたはどうですか?」

「私は……団長に話をしないのは筋が通ってないと思うんです。なので、ここで決断することはできません」


 天然パーマの彼女は、面にそぐわない、はっきりとした口調で言った。


「しかし、そんなものがあるとは知りませんでした。いつからあるんですか?」


 グリンサの問いかけに、檜橋は少し困った顔をした。


「あくまで創設を考えている段階です。総督府の判断だけで動かせる部隊を作ることで、柔軟な活動を可能とする、というのがコンセプトです」

「しかし、それでは既存の警備部と衝突が起こりませんか?」

「それはそうなのですが、メリットは必ずあると思います」

「例えば?」

「明確な回答は控えさせていただきます」


 私兵を作るつもりだろう、というのをグリンサはすぐに見抜いた。その見識が後の二人に如何ほど共有されているかは置いておいて、とにかく彼女はいい気分にはなれなかった。


「これは私の個人的な見解ですが──」


 と前置きをする。


「指揮系統の分裂は混乱を招きます。オパラ社長も良い顔をするとは思えません」

「貴重なご意見、ありがとうございます」


 澄ました顔で檜橋は言う。知ったことか──そういう態度が表れていた。


「用がそれだけなら帰っていい?」


 ヨウマの苛立ちを隠さない質問に、檜橋は引き攣った笑顔を見せた。


「ええ、構いませんよ。あなた方の協力が得られないこと、残念に思います。優香さんをお願いしますね」

「行こう、二人とも」


 先んじて席を立ったグリンサがそう誘った。何も言わず、二人は従った。


 部屋を出る。押し黙った暗い空気のままエレベーターで下りて、総督府を後にした。


「あの人、総督府に軍隊を作りたいんだ」


 外に出て開口一番、彼女はそう言った。


「そしたらどうなるの?」

「例えば一つの事件の対処にユーグラスと総督府の部隊とが別々に動くことになって……言っちゃえば死ぬほど効率が悪くなっちゃう」

「それって僕らにも関わってくる問題?」

「現場に到着したら総督府の軍隊までやってきて、現場がぐちゃぐちゃになることはあり得ると思う」


 平日の昼間、街に人は少ない。3人が並んで歩いても何ら支障のない通りだった。


「総督を守れなかったことが背景にあるのかもしれません」


 キジマが口を開く。


「確かにね。それなら自分たちで動かせる部隊が欲しいって気持ちもわかるな。そのために人員引き抜かれちゃたまったものじゃないけどさ」


 言いつつ、グリンサはこのことがどれだけオパラに知られているのかを考えていた。ユーグラスの動向について、総督府はこの50年ほとんど口を出さなかった。警備会社を含めたユーグラス傘下の企業というのはニェーズの雇用を創出するという意味合いもあって、ニェーズの身の振り方はニェーズで決めるべき、という民族自決的思想の範疇であれば自由な活動が認められていた。


 特に治安維持については、地球人に対して膂力で勝るニェーズを相手にするということに加えて、本国周辺の情勢が長らく緊張状態にあり駐留部隊を組織する余裕がないことからユーグラスに一任されてきた。それが変わろうとしている。総督府による積極的介入がどのような結果を生み出すのか、まだわからない。


 オパラは反対するだろう──それが彼女の見立てだった。ただでさえ警備会社の業務範囲は広いというのに、そこに独自の判断で動く部隊の存在を考慮せなばならないとなると、煩雑が過ぎる。


「何考えてるの?」


 思索に耽っていると、ヨウマがそう訊いた。


「今日の晩御飯のこと。暑いからさっぱりしたものがいいな~って」

「わかるなあ。リクエストしてみようかな」


 彼は携帯を取り出す。それと同時にバス停の前で止まった。


『今日はさっぱりしたもの食べたいな』


 と深雪に送る。少し間があってから、


『じゃあ棒棒鶏にしましょう。帰るのは何時くらいになりますか?』


 と返ってくる。


『今から帰るとこ。1時間もかからないと思う』

『気を付けてくださいね』


 返信しようというところで、


「あ、私次のバスだから」


 とグリンサが言う。バスが来ていた。


「それでは」


 キジマの挨拶を最後に、彼らは別れた。まるで他人に興味のない地球人の前を通って、ヨウマとキジマは長椅子に並んで腰掛けた。


「深雪ちゃんか?」


 スマホを触るヨウマを見て、彼はそう尋ねた。


「うん」


 短く、小さな返事だ。


「キジマは一人暮らしなんだよね」

「そうだが、なんだ?」

「寂しくない?」

「お前がいるさ」

「嬉しいこと言うじゃん」


 フィスト・バンプ。ひそひそ話をしながら視線を飛ばしてくる他の乗客も気にならなかった。


 バスに揺られること45分。居住区西入口のバス停で降りて、キジマは一人の帰路に立った。ヨウマの住むアパートから大体5分ほどのところにある、少し古いアパートに彼は住んでいた。


「ただいまー、っと」


 誰がいるわけでもないが、彼は言う。帽子を外す。その額には──。