「入れ」
わけは先にきた千砂に聞いたのだろう、血相を変えていた。
霊斬はなにも答えられないまま、千砂に目もくれる余裕もなく、身体を引き摺るようにして、奥の部屋へと向かった。
身体は限界を訴えていたのか、入るやいなや、布団に倒れ込んだ。
仰向けになり、浅く息をしている霊斬を見た四柳は溜息を吐く。
鮮血で真っ赤になった右手首の手拭いに、目がいった。
「手首とどこを怪我した?」
霊斬は浅く息をしながら、左手で乱暴に着物をはだける。そこには鮮血で真っ赤に染まった手拭いが張りついていた。四柳がそうっと手拭いを取ると、横に斬られた傷があらわになった。
四柳は霊斬の右手首に手を伸ばし、手拭いを解いていく。
すると、その場に鮮血が溜まった。
「こちらが先か……」
四柳は舌打ちをする。出血が多すぎて、傷口が見えない。
「水と布を持ってこい。水はできるだけ多く! 傷を洗うぞ!」
助手を呼びつけ怒鳴り散らすと、助手は弾かれたように動き出した。
腹の傷を洗うのを助手に任せ、四柳は手首の傷に集中した。
まずは出血を止めねば。
四柳は布を二枚用意し、一枚は傷口にきつく巻きつける。霊斬が呻いたが構ってはいられなかった。二枚目の布をちょうど傷口の真上に当て、指で押さえつける。血が止まるまで、ずっと傷口を押さえていた。
その間、四柳はその場から動かず、助手に指示を飛ばした。
混ぜる薬草の種類を言い、混ぜられた薬草を見た後、それを傷口に塗るよう指示。縫合は諦め、薬草を塗って、晒し木綿を巻く。そこまでで汗をかきながらやっていた助手だった。それほどに必死だったのだろう。
右手首の状態を確認するも、まだ血が止まる様子はない。別の助手を呼びつけ、その場に待機させると、四柳は押さえて疲れている右手を軽く振ると、傷口に力を込めた。
それからだいぶ経ち、もう日が昇り始めていた。ようやく出血が落ち着き、傷口が見えるようになった。
四柳は息を吐き、傷口の周りを洗い始めた。手首の血管を断ち切るように刻まれた傷はとても痛々しい。傷が大きい上に深い。どうりで血が止まらんわけだ、と四柳は思った。
丹念に傷口を洗い、縫い始めた。一針、一針、緊張しながら。
額の汗を拭いながら、縫い始めて三十分後、縫合を終えた。
最後に混ぜておいた薬草を塗りこみ、晒し木綿で巻いて、固定すると、四柳は大きく息を吐いた。
格子窓を見上げると、すでに日が昇っていた。
霊斬に視線を向けると、ぐっすりと眠っていた。
四柳は伸びをすると、布団をかけてやり、部屋を後にした。
それからだいぶ経った夜、霊斬が目を覚ました。
「っ!」
起きようと身体を動かしたが、激痛のためできなかった。
目を開けて見える範囲で、様子を探る。
「起きたか」
四柳が顔を出す。と、欠伸をする。
「治療に朝までかかったのか?」
「ああ」
――なんでもお見通しだな。
と、四柳は内心で言葉を続けた。
「具合はどうだ?」
「……動けん」
霊斬は苦笑するしかない。右手が固定されているのが分かった。
「もうひと晩、泊っていけ」
四柳が苦笑しながら言った。
「嬢ちゃんを呼んでこよう」
霊斬が止めようとしたが、痛みに呻いている間に、四柳は姿を消した。
「お目覚めかい」
千砂が心底ほっとしたと言わんばかりに、呆れた口調で言う。
「悪かったな」
「気にしないでおくれ」
即答である。霊斬は苦笑するしかない。
「痛むかい?」
「腹よりも、手首がな」
「手首は血管が傷ついていたから、血が止まるのにずいぶん時を喰った」
「深手を負ったんだな」
「俺にとっちゃ、いい怪我だとは思えんがね」
「だろうな」
霊斬は微笑する。身体を起こせないことが、とてももどかしい。
腹よりも、手首が痛く、熱い。
霊斬は思わず、眉間にしわを寄せた。
「動いていなくても、痛むだろう?」
「ああ」
霊斬はうなずくしかない。
「ゆっくり休みなよ」
「そうさせてもらう」
千砂はその言葉を聞くと、部屋を後にした。
千砂が去った後、室内に重苦しい沈黙が下りる。
その沈黙を破ったのは、四柳だった。
「……もし、血が止まらなかったら。最悪のことが頭をよぎった。意地でなんとかなったからよかったが、今回は運だろうな」
「そうか」
霊斬は冷静に答えた。
四柳は暗い顔をする。
自分が死にかけた。なのに、そういう反応ができる。〝死〟に対して、無頓着なのだ。いや、無頓着すぎると言った方がいい。普通であれば〝死〟を身近に感じない。だが、霊斬は〝死〟を身近に感じすぎている。だから、受け容れられてしまうのだ。死んではいけないと思えるような、経験が霊斬にはない。
霊斬の声で四柳は現実に引き戻された。
「どれくらいで治る?」
「抜糸で十四日。完治まで一月。仕事するなよ。裏稼業もだ」
四柳は厳しい声で告げる。
霊斬は溜息を吐く。
「分かった」
霊斬は言いながら、その間、店を閉めようと決めていた。
「痛みが酷いだろうが、眠れるはずだ」
四柳はそれだけ言うと、部屋を去った。
――長い一月になりそうだ。
霊斬はぴくりとも動かせない身体を忌々しく思い、内心で言葉を続けた。