イザブの新総督ロロメイは、襲撃事件などなかったかのように、就任して十日目の総督府内で、きびきびと仕事に励んでいた。
部下への指示や書類の決裁に隙が無く、久々の名総督が現れたと内部では囁かれていた。
「ソーセルカの件だが。巨大になりすぎていないか?」
ロロメイは部下に軍閥の一つである名前を上げた。
「他と比べるとですな。今の様子ですと、総督府に喧嘩を売ってくる前に、他の軍閥領への侵攻に走りそうですが」
若いくせに、芯の通った力強さを持った軍司令官は分析をした。
名前はブルーブ。長身で鍛えた痩身の男だ。
彼は一兵卒からの叩き上げという栄誉をロロメイから受けていた。
第一軍の指揮官だったが、新総督が総司令官に抜擢したのだ。
鋭利な表情に動じない態度。これで二十七歳とは思えない。
「もし、ソーセルカが総督軍と戦って勝てる可能性は?」
「現在の戦力差では、負けますな」
「では勝てるようにしてくれたまえ」
ブルーブは敬礼して、執務室から出て行った。
「なーんか、ピリピリしすぎて早死にしそうだなぁ、ここの雰囲気」
一人になると、ロロメイは思わずぼやいた。
次代を担う、若い核心的な新総督。
そんなキャッチコピーが彼にはあるが、六か国会議では、便利な使用人として送り込まれただけであることに変わらない。
襲撃を受けた時、「ああ、この土地はもうだめだわ」と、ついポロリと本音でつぶやいていた。
彼にできることは、総督府の寿命を伸ばすことでしかない。
借地内では軍閥にテロ組織、人権擁護団体などなど問題が山積みなのだ。
彼はこの数日のうちに各地の名士を招いて、登用していた。
イザブで力をふるう名士という存在を抜きにして、統治が不可能とわかっていたからだ。
とりあえず、毎日八方手を尽くすのみだ。
「あー、帰りてぇ……」
ロロメイは疲れたサラリーマンのような独り言をつぶやいた。
ふと、執務机に少しだけ開いている引き出しに気が付いた。
昨日から触っていないところだった。
退いて中を見ると、一枚の紙が入っていた。
「必ず殺す」
短いが意思を率直に伝えるに足りる短い文句だった。
ユーイナという名前が添えられていた。
伝説のイザブの英雄の名前だ。
ロロメイは紙をぺらぺらと振って丸めた。
「こういうやつがいるから面倒なんだよなぁ」
彼は紙をゴミ箱に投げ捨てた。
ロイザーユの地はイザブ借地内にある軍閥の一つである。
この軍閥は珍しいことに対イザブ総督戦にはほとんど関わっていなかった。
おかげでたの軍閥から孤立していた。挙句、傍にあるもう一つの軍閥、ソーセルカが巨大になり、今にも吞み込まれる寸前だったのだ。
フィシーはこの危機にまったく動じる様子もなかった。
自信がある強力な軍閥というならまだわかるが、ロイザーユの場合は悠長に構えて我知らずといった感である。
危機感を募らせているのは、フィシーではなく、その部下や住民のほうだった。
白いドレスに着替えたフィシーは、しわにならないように気を付けてソファに寝ころんだ。
朝から起きていなければならないのは、久ぶりだったのだ。
「……起きていただけませんか?」
侍従長のセフラが困惑気味に声をかけた。
「……ん、あぁ」
寝てしまっていたフィシーは気が付いた。
「ソーセルカ公よりの使者が参っております」
「今行く」
フィシーは服を軽く払うと、化粧をかがみでチェックし、廊下にでた。
応接間に入ると、見知った顔が数名、待っていた様子で視線を向けてくる。
ロイザーユで主に政治業務を担当して宰相職にあたるといっていい、キージロカという無精髭と顎髭を生やした中年の男と、ソーセルカの執行代理のヒゼッテンだ。
ヒゼッテンはまだ若く、二十四歳。無表情でどこか醒めた男だった。
「お待ちどうでした」
フィシーは一言述べてから、上座に座る。
「ロイザーユ公にはご機嫌麗しく。と、この辺で挨拶はよろしいでしょうか?」
淡々とのんびりした口調でヒゼッテンが確認する。
「良いんじゃない。手間かけるのも面倒でしょ」
「恐れ入ります」
一礼して見せると、続ける。
「率直に言えば、現在我が領内の戦力はロイザーユとの国境にあります。降伏するのがお互いのためだと思いますよ?」
いたって言葉は砕けていたがいたって無機的だった。
月に二回は様々な交渉のために会っているフィシーには、あまり力むと疲れるといった思いがありありと見える態度だ。
「どうせ、ソーセルカのクラィットは突き上げられて動いたんでしょ。ただ、今は総督人気の絶頂。総督府に攻める事ができないからウチに狙いをつけただけ。だけど、ウチを攻めたらどうなるかしらねぇ。総督と対峙しなきゃならなくなるけど、そんな大義名分あるの? 六か国がブチ切れるだけだよ?」
彼女は冷静に分析して見せた。
寝起きに三階からプールに飛び込みたいと思うだけの少女ではないのだ。
「お判りいただいているなら、何かリアクションが欲しいですね。黙殺されたんじゃ、こちらは本気で攻め込むことになる」
ヒゼッテンは決して公にはしない本音を吐き出す。
「あー、ちょっと待っててくれる?考えるから」
「期限は一か月。今、ピストンで補給基地を作っている最中ですから」
「わかったよ」
フィシーは軽く髪をかきあげてから、手を振った。
会談は終わりという合図だ。
ヒゼッテンらが一礼して応接間から出てゆく。
「……なんかアイデアないの?」
終始無言だったキージロカに尋ねる。
「んー、困りましたなぁ」
彼はいつもの口癖で答える。
この男は自らの意見というものを滅多に述べたことがない。
これで政務を担当できるのは、彼の食客から引き抜いて官史にした有能な部下のおかげである。
そして地位は出来上がったキージロカ派閥というものの賜物だ。
「そういえば、本日新たに私の元に名士殿が来るそうです。その方に知恵を借りましょう」
フィシーはまたかと思ったが顔には出さず、うなづいた。
「疲れたなぁ。ちょっと散歩してくるよ」
「お気をつけて」
ヴィーケ一行は、ロイザーユの領地に入る手前の道路で、検問に会った。
三台あった四輪はエンジンをかけたまま止まり、検問官が中を調べる。
彼らのなかに、いかにも雰囲気の違った少女が混じっていた。
なぜか、白いドレス風の服を着ている。
ビージーが眺めていると、外に出たヴィーケが明らかに驚いた様子だった。
イブネフが興味を持つ。
「何事だい?」
先頭について行っていた四輪から三人が降りて彼らの元に近づいた。
「いや、驚きました。こんなところでロイザーユ公に出会えるとは……」
「しー! ちょっと、こっち来てくれる?」
いたって砕けた調子でヴィーケの口を塞ぎ、フィシーは検問所の裏手に回っていった。
人気のないところまで来ると、彼女は向き直る。
「あなた方が、新しくキージロカのところに来た人たちね」
「その通りです。しかし、私は純粋にロイザーユ公をお助けしたく参じました」
「イブネフとビージー、そしてリズィユね」
フィシーはヴィーケの言葉にちらりと視線をやるだけで、残った三人を興味深げに眺めた。
「おや、我々のことをまたどうして?」
イブネフは電子タバコを咥える。
ニヤリとするフィシー。
「調べたからねー。DОLとRRKね。頼もしいわー」
「DОLっていっても下請けだけどな」
イブネフが煙を吐いた。
複雑そうな雰囲気をだしながら、超然としていたのはヴィーケだった。
「彼らを連れて来れば、閣下もお喜びになると思いまして」
強引に割って入るように、ヴィーケは言った。
うなづくフィシー。
「ああ、そうね。忘れてた」
憮然として黙るヴィーケ。
構いもせずに、フィシーは四人を見渡した。
「君たちはキージロカを通さないであたしの直属の部下として働いてもらいたいの」
「これは光栄ですな。喜んで申し出を受けさせていただきます」
考えてないのか大胆にヴィーケは了承した。
「聞きたいのだけどさ、ヴィーケ殿」
フィシーはやっとヴィーケに声をかける。
「何でしょうか?」
「あたしを助けるって、一体どんな?」
「国を富ませる策です」
「へぇ……」
フィシーは目から力を抜いて頭を掻き、あからさまに興味を失った態度を見せる。
「で、聞くけど、どんな? 今のロイザーユの状態を知ってるのかな?」
うなずくフィシー。
「閣下の領地は危ういバランスで成り立っております。この状態を脱するに、国力を増して、存在の大義名分を掲げるのが得策かと」
「具体的には?」
「イザブ人の優遇政策です」
「……へぇ」
露骨に興味もなく質問していたフィシーだっが、最後の言葉に見るべきものはあると感じた。
「彼らは文化的にも資産や技能といった者に特化しています。そこを取り込んでやるとよろしいかと」
「いうだけなら誰でもできるよねぇ。実行可能なの?」
フィシーは上品に一礼した。
「お任せを」
「……わかった。キージロカに伝えておく。君らも街に着いたら宮殿にきてね。部屋を用意しておくよ」
言い終わると、フィシーはその場から離れる。検問所の裏に停めておいた二輪にまたがり、あっという間に姿を消していってしまった。
ロイザーユは砂漠の中にぽつりとそんざいする、緑の街だった。
あらゆるところに樹木が植えられ、瑞々し空気に満ちている。
建物の多くは白塗りで、道路は広くその癖に入り組んでいた。
「都会は違うねぇ、やっぱり」
しみじみとしたイブネフが、街中を眺める。
「まぁ、意外と栄えてるね」
リズィユは素直ではない。
ヴィーケは迷うことなく、白亜の宮殿に到着していた。
キージロカ自らが彼らを出迎える。
「長旅、お疲れ様です」
ヴィーケたちが四輪を降りると、ロイザーユ港の従者たちが荷物を中に運び入れ出す。
「ロイザーユ公から聞いております。なんでも直属の任に当たるとか」
「はい。閣下から直々に申し入れてもらいまして」
「お気を付けを。ウチの食客たちの中には嫉妬する者も多いかもしれませんので」
「ご心配ありがとうございます」
宮殿に割り当てられたのは、それほど広くないとはいえ、ホテルのスイートなみの場所だった。中にいくつかの部屋にわかれ、四人人がそれぞれ使えるようになっている。
「まぁまぁかな」
ヴィーケが室内を値踏みするように見回す。
「ちょっと俺は休むぜ?」
イブネフが、さっさと自分の部屋に入っていった。
広間と言っていいところに、三人が取り残される。
ビージーは相変わらず飴で、気楽そうな弛緩した表情をしている。
「ちょっと、ヴィーケ。座って」
尊称もなく、リズィユは彼に椅子を指さした。
「どうしました?」
気にした風もない彼は、大人しく従った。
「なんでヒュロンを捨てたの?」
「捨ててません」
はっきりとした即答だった。
リズィユが、何故の部分を待っていると、察したヴィーケは再び口を開いた。
「失礼ですが、理由はあなた方なのです」
「あたしたち?」
「はい。例えばリター解放戦線は壊滅させました。しかしいまだ上位の組織がいる。あのままでは、我がヒュロンがテロリストに蹂躙されかねない。RRKも関わってきましたし。ならば私を含めて一時期あの地を離れるのが良いと判断したのです」
冷静な上に大胆。
ビージーですら少女と同じく驚いていた。
ヴィーケを舐めていたのだ。
彼はただの地方で図に乗っているだけの名士ではなかったのだ。
急にビージーはゲラゲラと笑った。
「これは、久しぶりの爆笑もんだ。あんた最高だよ」
馬鹿にするどころか感心を通りこして、ビージーは爽快な気分になったのだ。
まんざらでもなさそうに、薄く嗤うヴィーケだった。
「お酒を取って来ていただきますか?」
「なんだよ、あたしたちはあんたの召使じゃないよ、もう」
「いや、ここに座れと言われましたので」
「もう勝手に好きに動いて良いよ」
「ありがとうございます」
ヴィーケは立ち上がり、セーラーに向かってジンを取ってきた。
グラスに注ぎ、その色を眺めてから、一口、勢いよく飲み込む。
「……これは良い。良い酒だ」
ヴィーケは一人満足げにうなづいた。
こんなことがあってたまるか。
逃げる人々の中に立ちすくみ、炎にまかれる建物をギナーは眺めていた。
爆発を起こしたそこでは、ブラトが演説を行っていたはずなのだ。
何者かが、爆弾を仕掛けていたらしい。
黒煙とともに建物から出てくる人々の中に、ブラトの姿を探す。
いつまでたってもその姿が見当たらず、彼は人々を押しのけ、建物に入って行こうとした。
必死だった。
今ブラトに死なれては、彼の夢も希望も無くなってしまう。
どこまで広がるかわからない暗闇の中、ただ座っているだけになってしまう。
「危ないぞ、あんた!」
誰かにギナーは羽交い絞めにされて、炎の中に飛び込むのを止められた。
ギナーは暴れた。
どうだっていいのだ、自分は。ただ、ブラトだけは。ブラトだけは違う。
とうとう路上に組み敷かれたギナーは唸った。
「ブラト!! ブラトー!!」
絶叫と言っていい声を上げる。
その視線の先には炎と煙が渦巻いていた。
彼の頭を誰かが打って、ギナーは急に意識を失った。
早速の冷たい目。
ビージーら四人は、ロイザーユ宮で出会う人間全てから、ぞんざいなあしらいを受けた。
「こんなことなら、ウチから自前で何人か連れて来ればよかったですね」
ヴィーケが言ったが本人もほかの三人も一切気にした風はない。
唯一あるとしたら、ヴィーケの影響力が実権のないフィシーの気分を紛らわすだけという事だ。
「なーに言ってんだよ。それならここで自前はたいて雇えばいいねぇの?」
ソファーに寝転がっているビージーはいたって気楽そうだった。
「ほう……なるほど」
「あとはフィシーの権力だけど、買収だろうなぁ」
「おお……」
感嘆を受けているフィシーだが、リズィユは醒めた目をした。
「……しれっと、悪人そのものの考えを言うなぁ」
「聖人君主じゃないからな、俺」
気にもしないで、ビージーは飴を堪能している。
「ちょーといいかなぁ?」
部屋がノックされて、ドア越しにフィシーの声が聞こえてきた。
「どうぞ」
イブネフがゆったりとドアまでいって、開いてやった。
白いワンピースドレス姿のフィシーは、軽い足取りで中に入ってきた。
「全員いるね。よし」
彼らを見渡したフィシーは、満足げにうなづく。
「どうかなされましたか?」
フィシーが尋ねる。
「フィシーは残ってくれて良いよ。あとの三人に話があるの」
「聞くぜ?」
イブネフが椅子に戻って、電子タバコを咥える。
「あなた方には、ソーセルカ領に行って後方攪乱をしてほしい」
「へぇ……」
興味深げにビージーが声を上げる。 「ウチ、攻め込まれそうなのよ。だから、どうにかそれどころじゃなくして欲しいわけ」
隠すところなく砕けた説明をするフィシーだった。
「俺は構わねぇよ?」
ニヤリとして、イブネフは了承した。
残り二人も、うなづく。
「助かるわ」
「何しても良いんだよねぇ?」
念を押すビージーは、口の中で飴を転がす。
「良いよ。問題ない」
「了解。やらせてもらう」
ビージーが言うのだ。何か考えがあるのだろうと、あとの三人は同じく思った。
「いっちょ、暴れてやっかぁ」
楽し気にリズィユは残忍そうな笑みを浮かべる。
「一応、報告はしてね。あとは好きにして」
「あいよ」
ビージーは軽く手を上げて、わかったと合図する。
不安げなヴィーケをよそに、三人は快いほど簡単に話に乗ったのだった。