彼は静かに深呼吸した。
そして、目の前の画面をながめた。
パソコンの動作している音がする。
静かに、排気と吸気のファンの音がする。
画面は音もなく表示を変え、
時々カタカタというキーボードの音と、
カチカチという、マウスのクリック音がする。
時計の音が聞こえる。
時刻は真夜中。
そろそろ12時になろうという頃だ。
彼は再び深呼吸をし、
デジタルなパソコンに、キーボードで語りかけた。
何がかえってくるわけでもない。
不毛といえば不毛だ。
彼はそれをわかっている。
それでも不毛なことを、やめようとはしない。
彼の名は、
20歳の大学生だ。
決して引きこもりでなく、
バイトもすれば大学にも行く。
中肉中背。
髪は短く、長くなく、黒。
普通の大学生だ。
服装に若干センスはない。
ありきたりのシャツとありきたりのジーンズ。
そして、夜中にひっそり、チャットや、ネットめぐりをする。
彼女は今のところいないが、
当人はあまりあせってもいない。
どこかのんびりとした性格である。
彼は、あんまり収穫のないネットめぐりを終えると、
うーんと伸びをした。
あとはニュースサイトでも少し回るか、
世間についていけなくなると困るし。
そんなことを緑が考えたときだった。
「おい」
パソコンのファンの音でもない、
時計の音でもない、
自分の声でもない、
乱暴に呼びかけるような声。
緑はパソコンのディスプレイを見て、表示の変更がないことを確かめ、
念のためにスピーカーがオフになっていることも確かめる。
「おいこら」
怒ったような声だ。
緑は、よくわからないと思いながら、
パソコンの電源を落とした。
真っ暗の画面に、緑の顔と、後ろに人影。
緑は振り返る。
緑のOAチェアが音もなく回った。
緑が振り向いたそこには、
男が一人いた。
いつからいたのかは、知らない。
ドアが開いた音もしなかったはずだ。
緑はぼんやりと男をながめる。
清潔感はあるけれど、つんつんして立てている黒髪の頭。
顔の作りは多分悪くはない。
しかし、目つきはあまりよくなく、多分鋭い。射るような、黒。
モスグリーンというものか、迷彩によく使われるような色のコートを羽織っている。
多分身長は緑よりも高い部類だ。
靴…というか、ブーツで上がりこんでいるのを、
緑は注意するべきか悩んだ。
男はなんだか怒っているようだ。
「おい」
男がまた、呼んだらしい。
「はぁ」
緑が間の抜けた声で答える。
「散々呼んでるのにその反応かよ」
男はいらいらしているようだ。
「いや、パソコンのほうかなと思って」
緑の反応に、男は頭をかいた。乱暴に、ぼさぼさと。
「とにかく、そっちじゃねぇし、俺はお前に用件があるんだ」
緑はぼんやりと首をかしげ、
「なんでしょう?」
と、返した。
男はにやりと笑った。
「とにかく俺の言葉は届いてるな」
「はい、さっきから普通に」
「じゃあ、早速出かけるぞ」
「はぁ」
「お前、さっきからそうだけど…」
「なんでしょう?」
「驚かないのな」
「泥棒でしたら大声出さなくちゃいけないんでしょうけど」
緑はぼんやりと答えた。
男は、ふぅとため息をついた。
「とにかく、お前はこれから出かけるんだ」
「どこへです?」
「まずはお前だけの、極上のとびっきりの壊れた時計を探しに」
ぼんやりとした緑の目が、ぱっと輝く。
男は笑った。
「そういうの、嫌いじゃないらしいな」
「宝探しは大好きです」
「俺も、ぼんやりした目よりも、そっちのほうが見てて面白い」
「じゃあ、準備を…」
靴でも持ってこようかと、
緑がOAチェアから立ち上がる。
男が緑の手を取る。
「お前の心一つ持っていけばいい。さ、いくぜ」
男が緑の部屋のドアを開いた。
緑と男は、吸い込まれるように扉から出て行った。
扉は閉まり、部屋は沈黙した。