「ほんっとーに、キモいんだって」
休日明けの月曜日。朝の教室にて。
夏樹は心底げんなりして、理貴に全てをぶっちゃけていた。
「こんな手紙、よく弟も取っておいたなと思うよ。そりゃ証拠保全のためには必要だったんだろうけどさ。……一番やばいの何だったと思う?もう結婚したつもりになってるのかよって勢いで、セックスのこととか書いてんの。どういうプレイがやりたいとか、どれくらいの頻度でシたいとか……」
「やっべえええええええ!」
「だろ?マジで絶対無理だと思った。気持ち悪すぎるし怖すぎる」
これでも、オブラートに包んでいろいろ話している夏樹である。
いや本当に、これが男子中学生に送りつけられた手紙だと思うといたたまれない。何が楽しくて、好きでもない女からやれ“子供はまずは男の子が欲しいのでいっぱいイカせてほしいです、女の子はいっぱいイくと男の子ができやすいって聴きました”だの。“私は●●が一番感じるので、もっと×××のさきっぽでぐいぐいと●●を押して中に入っちゃいそうになるくらいまでガンガンやってほしいだの”なんてのを読まされないといけないのだろう。
これが、エロゲーとかエロ漫画の空想の女子の台詞だったならアリなのかもしれないが。恐ろしい事に、現実の女から、自分の弟に送りつけられた手紙なのである。エロ可愛いだのドキドキするだの、なんて一体誰が思うことができるだろうか。ただただ、生理的嫌悪しかない。
「……下手したらそれ、送って来た側も女子中学生だよな?」
うげえ、と舌を出す理貴。
「そりゃ、中学生でも性教育はしてますし知識はあるでしょうし?親に内緒で年齢詐称して、こっそりエロ小説読んでる中学生とかもいるっちゃいるんでしょうけども?だからって何だよそのエロゲーさながらの内容は。そういうのは二次元だけでいいんだよマジで」
「ほんとにな。……弟がこんな目に遭ってるのに俺は全然気づかなかったんだ。正直、情けなくてたまんないよ。怖かったろうに」
「……あんま自分を責めんなよ。弟クンが自分で隠してたんだから、しょうがないって」
「そう言ってくれるのは嬉しいけど、簡単には割り切れないよ……」
多分。相手がヤバすぎて、逆に相談できなくなっていたのではなかろうか。特に、双子の兄の自分は弟に容姿が似ている。下手に相談したらストーカーの矛先がそちらに向くかもしれないと思うのは普通のことだ。
「……クマチ、ってのがなんのことかわからないんだけど、理貴は知ってる?」
今わかっている数少ないヒントは、弟が書いたそのメモだけだ。くまち。クマチ。はっきり言ってそれだけでは、漢字なのかカタカナなのかもわからない。漢字で書くならどういう字だろう。区町?句真千?面倒くさがりな弟らしいと言えば弟らしいメモだが。
「いんや、わからん」
夏樹の問いに、理貴は首を横に振った。
「聴いたことない名前だし、地名じゃないと思うんだけど……あ、でも北海道とか沖縄とか言われたらわかんないか。状況的に見て、名前の可能性が高そうだよな」
「あ、やっぱり?」
「とりあえず、冬樹クンの周りの人に確認してみるのがいんじゃないか?えっと、お前と冬樹クンって
「あってる。弟も俺も吹奏楽部、弟は二年の時に一組」
「おっけ。じゃあモモ中だった奴らに声かけてみるわ」
本当に、理貴の人脈は凄い。声かけてみるわ、で話をしてくれる友達がたくさんいるのは凄いところだ。冬樹も、小学校の時の友達や、友達の友達にまでものすごい人脈があるタイプだった。今でも、そのうちの一部は眠ったまま起きない冬樹のお見舞いに来てくれているほどである。ありがたいの一言に尽きる。
ひょっとしたら別のクラスというだけで冬樹のいた一組に関して何も知らない自分より、理貴の方が情報を集められるのかもしれない。
「変わった響きだし、結構すぐわかるかもよ。何か判明したらすぐ教える」
さささ、と友人と思しき相手にスマホでLINEを送った理貴。スマホをしまいながら、それで、と話を続けてくる。
「やっぱり気になるのは、それだけの目に遭ってて警察に相談しなかったぽいことか。あとは、事故に遭う前に弟クンが何処に向かっていってたのかだな」
「ああ。警察に相談しにいったわけじゃないのは確かだ」
夏樹はスマホのスリープを解除し、グーグルマップを呼びだした。そして、自分の自宅周辺の地図を表示する。
「俺と冬樹が住んでるマンションがこれ。“ルナサンシャイン百坂”」
駅まで歩いて十分、コンビニまで歩いて八分。なかなか良い立地のマンションだ。ただし、小学校は近かったものの中学校はちょっとだけ遠かった。元気な男子中学生なので、徒歩三十分ならそこまで気にする距離でもなかったけれど。
「中学校と駅は同じ方向。駅を挟んで、南口がマンション。北口が学校。ちなみに、一番近い交番も駅前にある」
「ふんふん。で、弟クンが事故ったのは?」
「駅や学校とは真逆の方なんだよ。駅がある北じゃなくて、南。……ぶっちゃけ、俺も南の方に徒歩で歩いていったことあんまりない。自転車でサイクリングした時に何度かそっちに行ったけど、行く用事がほぼないんだよ。殆ど何もないから」
マンションがある住宅街を真っ直ぐ南に突っ切って、暫く歩いた地点で冬樹は事故に遭った。住宅街を抜けると、そっちにはちょっと大きな山みたいになっている場所がある。高さは大したことがないのだが、木々が鬱蒼と茂っていて街灯が少なく、夜一人歩きするのは男であってもちょっと怖いエリアだ。
自然にあふれている上、駐車場が完備された大きな公園に隣接していることもあり、車で来た親子連れが遊ぶには丁度良い場所かもしれない。徒歩でここまで行くことはほとんどないが、幼い頃は車でこの森林公園に連れてきてもらったことは何度かある。夏は蝉取りをして遊んだり、公園の原っぱで冬樹とフリスビーなんかをしたのも良い思い出だ。
「百坂第八公園があるから、土日とかだと親子連れでそこそこ賑わう……んだけど。男子中学生が、土曜日に一人で来るスポットかというと」
すすす、と指をスライドさせて公園のあたりを指し示す夏樹。
「それに、目的地は公園じゃなさそうなんだよな。家から公園に行くには、もっと前の道路で折れた方が近道のはずなんだけど、冬樹が事故に遭った地点はここ。住宅街出口の、見通しの悪い道路だ。特に店があるわけでもなし、何処に行こうとしてたのかさっぱり」
「うーん……?」
夏樹の手からスマホを借りて、つんつんと理貴は指を動かす。そして。
「確かに。冬樹少年が行こうとしていた先にあるの、神社くらいだよな」
「神社?」
「住宅街の南西のあたりに、神社マークついてる」
「!」
どれどれ、と彼の手元を覗きこんだ。言われてみればそうだ。気づかなかったが、冬樹が事故にあった地点のすぐ近くに神社のマークがある。
タップしてみると、“
ただ。
「……神社って、なんで?」
弟は、けして信心深いキャラではなかった。どちらかというと、神様なんて信じていないと豪語するようなタイプ。自分以外の神様なんか認めないだの、そういうので喧嘩するくらいなら神様なんてみんないないってことにした方がいいしー!なんてことを以前言っていた記憶があるのだ。
勿論、だからって初詣の時に神社でお参りしないわけではないし、クリスマスでキリストの誕生日をお祝いしないわけでもない。そのへんは多くの日本人と一緒だ。あくまで、神様に拘らない、あんまり信じてない、くらいのスタンスだったのだろう。
それに、日本人あるあるとして、無神論者であっても寺と神社には行きますというのは珍しくもなんともない話だ。
「ストーカーから守ってください、ってお参りしに行こうとしたんじゃねえの?」
理貴が、至極真っ当なことを言う。
「家族に相談するわけにもいかない、警察に話して大事にもできない、学校でも騒ぎにしたくないし友達にも迷惑かけられない……となれば。あとはもう、神頼みくらいしかすることがないじゃんか」
「うーん。でもそこまで追い詰められてるのに、誰にも相談しないなんてことあるか?俺、冬樹の友達も何人か知ってはいるけど、そいつらからも冬樹がストーカーに遭ってるなんて話は聞いてないぞ。多分、最後まで友達にも秘密にしてたんじゃないかと思うんだけど。あの手紙のレベルまでいったら、もはや何で警察に相談しないのってくらいだし」
「でも、それ以外に神社に行く理由ってあるか?まあ、神社が目的地だと確定したわけじゃねーけどよ」
「……うーん」
ひとまず、神社とやらに一度足を運んでみるしかないだろうか。既に三年も前のことなので、弟が仮に神社に通っていたのだとしても記録は何も残っていないかもしれないが。
「おはようございます!」
「!」
その時ふと、後ろから声をかけられた。はっとして振り返れば、登校してきたばかりなのだろう鞠花の姿が。
「夏樹君も、一之宮君も朝早いんですね。朝練には行かないんですか?」
相変わらず、花が咲いたような美しい笑顔。夏樹はぎこちなく、うん、と頷く。
「う、うちの吹奏楽部は朝練は自由だから。やってもやらなくても良し、になってるし」
「ああ、そうなんですか。私も入部したらやるかどうか決めようかな」
「入部する気、なのか?」
「はい!コントラバス気に入りましたし!とりあえず、今日もう一日仮入部してから最終決定するつもりなので、よろしくお願いいたします!」
ぺこりと行儀よく頭を下げて、少女は立ち去っていく。
「もう名前呼びかよ。うらやま」
理貴は、ちょっと悔しそうに唇を尖らせた。
「あんな美人がストーカーだったなら、まだマシだったろうにな」
「……冗談よせよ」
男として、そういうことを言いたくなるのはわかる。でも、夏樹としてはジョークにもなっていないのだった。
「いくら美人でも、ヤンデレキャラは現実じゃごめんなんだよ。それこそ、最悪命に関わる」
顔なんかより、中身はよっぽど大事だ。
だからこそ未だに夏樹は、鞠花への警戒心を解けずにいるわけだったが。