「…っくりした。マジで来たのかと思った」
「来るわけないじゃん。ここ私ん家なのに」
俯いて顔を隠したまま、棚から食器を取り出す。
もうそろそろ表情が戻ったかなと気を遣いながら、机の方へ食器を持って行こうとした時だった。
「それがさ、昨日高橋がクリスマスだけは勉強休んでデートしたいって言い出したんだよ」
「え…?」
一瞬、時が止まったように体が動かなくなって食器が手から滑り落ちた。
床に落ちる数センチの所で翼が咄嗟に拾い上げる。
お皿は割れずに無事だったものの、私の胸は張り裂けそうなくらい痛みを感じ始めた。
「あっぶね。ひな、気つけろよ」
「ご、めん…」
「それで今日高橋と約束してたから遅刻して迎えに来たのかと思って。……ひな、もしかして夕飯作り終わった後?」
「え、あ…ううん。まだ、一つしか出来てない」
「あー、良かった。ごめん、今日は一緒に飯食えそうにない。一人で平気?」
うんって、そう返事をしようとしたのに声が出て来なかった。
さっきまでは詰まりつつも言葉が出てきてくれていたのに、喉の奥がどんどんと締め付けられていく。
胸だけじゃなくて喉まで浸食してきた痛みに表情が歪みそうになって、何とか首だけを下へ振った。
「うわ!マジで遅刻気味」
さっきまで寝ていたはずの翼が勢いよく準備を始め出す。
その姿をぼーっと眺めながら何とか自分の体をソファへと動かした。
取り出したお皿を机へ置いて、自分の腰をソファへ沈めて、スーッと大きく息を吸い込む。
閉じ込めていた感情が目から出てきてしまわないように、ぐっとお腹に力を入れて息を数秒止めた。
緊張状態を保っていないと耐えられない。
今私の肺に入っているものを出して気を抜いてしまったら、空気以外の何かも出て行ってしまいそうだから…
違う違うと否定し続けてきた何かも、一緒に出て行ってしまいそうだから…
「ひな、俺もう行くから。急いでるし鍵閉めて」
「…うん、わかった」
「何時になるかわかんないから先寝てて良いし、あ!一応朝飯もいらない」
「……。」
翼の普段通りの会話が刃物みたいに鋭く突き刺さってくる。
今までなら何とも思わなかったことが、こんなにも痛くて苦しく感じるなんて、前までの私は思いもしなかった。
クリスマスに初めて出来た彼女とデート。
そりゃ朝帰り宣言する翼の浮かれ具合も頷ける。
玄関で靴を履く後ろ姿が遠足前の子供のように見えた。
「…不良息子め」
「クリスマスだろ?もう俺らの歳じゃ普通じゃん。なあこの服どう思う?変?」
「変。ぺちゃぱいだし」
「それ自滅してんじゃん…俺が巨乳だったらひな女の立場無くなるだろ」
いつもと変わらないやりとりで笑いながら、翼が玄関の扉に手を伸ばす。
さっき気合を入れたお陰で、私も普段通りに玄関まで送り出せていた。
翼が楽しそうな笑顔で振り向いて、こう言い出すまでは…
「ひな、メリークリスマス。今まで俺のためにパーティー続けてくれてありがとう」
「ッ…」
「行ってきます」
バタンと、閉められた扉に思わず右手を伸ばす。
翼が私の異変に気付かずに扉を閉めてくれて良かった。
そうじゃないと、言ってはいけないことを口走って翼の服を掴んでしまいそうだったから。
「…行かないで」
静まり返った玄関で、小さく小さく口から漏れた言葉。
初めて本音を表に出したことで、今まで溜めこんでいた想いが目から頬へと伝い始めた。
「行か、ないで…翼」
ボタボタと大粒になり出した涙を右の袖で豪快に拭う。
いつまでもここに居たってしょうがない。
そう脳が判断したことで、足は玄関の扉に背を向けて台所へと動く。
体は辛うじて言うことを聞くのに、涙と言葉だけは止まることなく流れっぱなしだった。
「こんな、に…一人で、食べられない」
台所に並んだ料理達を目の前にして愚痴を零す。
まだ一つしか出来ていないと咄嗟に言ったけど、本当は5品くらい出来上がっていた。
翼の分も含めて大皿の数は十個だ。
最後のクリスマスになるかもしれないと思うと張り切り過ぎて、翼がいても食べきれない量を作ってしまった。
作ってしまった料理を机へ運んで、もう一度ソファへと腰を下ろす。
さっきみたいに深呼吸をして体に力を入れれば大丈夫だと思っていたのに、一度空いてしまった胸の穴は塞ぐことが出来なかった。
「これ、くらい…平気。食べられる…翼がいな、くた…って、平気」
何とか強がって口に出してみても、空いた穴は一向に閉じようとしない。
震える手が綺麗に焼き上がった七面鳥を持っても、すぐにお皿へと元に戻してしまう。
強がった後に続いて出てくるのは、もう抑えることの出来ない本音。
「うう゛…寂、しい…楽しく、ない。翼がいないと…嫌、だ」
止まることがない涙の所為で、両袖はもうぐちゃぐちゃだった。
クリスマスの夜に豪華な料理を目の前にして、こんなに泣いているのは…私くらいじゃないかな。
「翼なんか…!翼、なんか…!」
…好きじゃない。
そう続くはずだった言葉が出てこなかった。
代わりに出てくる声は、今まで好きじゃないと言い張ってきた大切な人の名前ばかり。
「つば、さ……翼…」
本当は、少し前から気付いていた。
「翼…つ、ばさ……」
この想いは家族愛なんかじゃないって、兄妹愛でも、友情でもないって、気付いていた。
「行か、な…で。翼…」
じゃあどうして、今まで自分の気持ちを偽って否定し続けてたのか。
そう自分に問い質してみたら、理由は一つしか見当たらなかった。