夏が終わったなと感じたときに
これは始まりにすぎないと気づく
何度目の夏だろうとも
初めてみたいに衝動的に駆け抜ける
飽き足りなくて淋しさは一瞬ほんの一瞬だけ
すぐに別の楽しみ方を見いだしてしまうから
誰かとつくったオリジナルソングのほとんどが
振り返ってみればありきたりなタイトルばかり
まいったな
まいったよ
まいったぜ
なにもかもが「夏の終わり」
どれもこれもそれもみんな似ていて?
そんなはずないよ
と言いかけて言葉を飲み込んだ
なんのために努力を重ねてきたんだろうね
と
嘆くよりも早く懺悔を公開するがいいさ
なにもかもが
どうってことないことだよ
どれもこれも
どうってことなかったんだ
いつまで自分で自分を責めているつもり
夏が終わったかと感じたときは
気をつけたほうがいいんだぜ
だって なんにも 見えていない証拠 だから
見ているのに見えていない
聴いていたのに聞こえてない
誰になんと言われようとも
きみは正しかった
そんな当たり前のことまで手放すつもりで
展望台に来たとしたら
なにか勘違いにもほどがあるよ
風に吹かれて
あおられる髪も
風に吹かれて
ひるがえるスカーフも
同じ配列の記憶の粒子で構成された「夏の終わり」