第137話 ランバージャック

 帰宅して、玄関で靴を脱ぎ、「ただいまぁ~……」と呟いた声は、自分でびっくりするほど脱力してた。

 速攻ヤマトが飛んできて、玄関でぶっ倒れてる私の顔を舐めてくれる。

 可愛いねえ、可愛いねえ……。


 係決めの後は、すっごい肝心な「で、マスゲームのテーマは何にする?」という話し合いだったのだ。「え? そこ決まってなかったんだ!」ってびっくりしたね。

 てっきり3年生が決めてるもんだと思ってた。


 3年生によると、「黒」がチームカラーだから自然とそれを使えるモチーフが絞られてきて、7年目にもなってくると「もうやってる」が多くてきついらしい。


 全部黒にしなきゃいけないかっていうと全然そんなこともなくて、緑組が緑だったのは「ピーターパン」のピーターパンの衣装だけだったし、橙組の「西遊記」とか孫悟空のベストが無理矢理オレンジ色になってただけだったりと、割と縛りは緩いそうだ。


 黒組の過去の例としては、「不思議の国のアリス」とか、主役は黒じゃないけど黒いキャラがいるものだったり、「ウエストサイドストーリー」で対立するふたつのチームを赤と黒にカラー分けして演じたりとか。


 ウエストサイドストーリーの時は主役ふたりのダンスが凄くて、振り付け賞を取ったそうで、「冒険者科の強みを活かせるダンス要素を打ち出せる演目にしたい」って思惑があるみたい。


 そんな事関係なく、原作全く無しにオリジナルで「こびとのお菓子作り」をやったりするチームもあって、大道具賞を取ってたとか。

 ううん、悩ましいね。


 ママがミュージカル自体好きだから、ミュージカル映画は時々見たりしてたけど、高校生が体育祭でやれる大道具の範囲で、ストーリーまとめて演出すると、って難しい。

 そう考えると、赤組のカルメンって色といい当たりだったんだろうなあ。


 現在のところ、候補は「魔笛」と「オペラ座の怪人」、そして「レ・ミゼラブル」。

 一番強いのは「オペラ座の怪人」かな。


「もう、ファントム以外もモブは全員目のところだけの黒い仮面付ければいいじゃん!」


 という3年生衣装係の暴言がありましてね……。確かにそれやると、モブの衣装の自由度が増すんだよね。

 そして、決着は明日に持ち越したのだ。

 ていうか、話し合いの大半の時間は「去年のカルメンだって、カルメン役以外は大体黒衣装が多かった。うちの候補にも出てたのに」っていう愚痴だったね。



 着替えてからリビングのソファでだらけてヤマトをお腹に載せつつ、そんな今日のあれこれをママに説明したら、カルピスを出してくれながらうんうんと頷いている。


「いいんじゃない? オペラ座だったらうっすらあらすじ知ってる人多そうだし。レミゼは意外に全編通して知ってる人少ないのよ。高校生なら尚更でしょ。ユズは知ってる?」

「えーとね……小学校の頃児童文庫の『ああ無情』で読んだけど……おじさんがパンを盗んで捕まって服役して、女の子を育てるんだけど車の下敷きになって死ぬ話?」

「何と混ざってるの……人が車の下敷きになるシーンはあるけど、ジャン・バルジャンは下敷きにならないしそれで死んだりしないわよ」


 ママは呆れている! でも多分このレベルが一般高校生の認識だと思います!!


「ちなみに、オペラ座の方はわかってる?」

「歌ってる人の上にシャンデリアが落ちてくる話」


 私のあまりにざっくりとした理解に、ママはがっくりとうなだれた。

 こんなもんだと思いますけどね!?



 私は冷たいカルピスを飲み干すと、コップをシンクに置いて自分の部屋に向かった。

 今日は精神的には疲れたけど、体は全然疲れてない。こういうのって、気分よくないんだよなあ。


 でも今日は幸い、夜に道場の稽古があるんだよね。

 相模川の河川敷にある道場じゃなくて、サザンビーチダンジョンでやる稽古。

 服装は自由だけど極力補正の付いてない物という指定がある。だから私は初心者の服で行くつもり。それと例の重くて硬い木刀ね。


 今日の打ち合わせは1年生のほとんどがげっそりしてたんだけど、帰り際倉橋くんが「今日がダンジョン稽古でよかった……」ってしみじみ言ってたから、楽しみなのだ。


 夕飯を食べた後、集合するのはサザンビーチダンジョンの1層。

 立石師範を始め、倉橋くんとか村田さんとか、道場でお馴染みのメンバーが6人ほどいた。

 みんな……おそろいの様に初心者の服だね。大体がリュック背負ってるし、それに木の棒だけ持ってる集団って一種異様だわ。


「やー、柚香。湘真館名物、ランバージャック稽古へようこそ」


 イスノキの木刀を地面に立てながら、軽い調子で立石師範が私に向かって言う。

 初参加なのは私だけなんだよね。なので、何をやるかも聞いてないし今のも説明に聞こえたけど内容が何も分からないよ!


「ダンジョンで何をやるんでしょうか?」

「4層まで降りてって、生えてる木を木刀で伐採する稽古だよ。だからランバージャック」

「道場に置いてある打ち込み用の木も消耗が激しくてさ! ダンジョンの木なら切り倒しても復活するし、経費削減って事だな!」

「この時間か早朝じゃないと他の冒険者の迷惑になるから、一応気を遣ってるんだよね」


 挙手して質問した私に倉橋くんが答えてくれ、立石師範が軽ーく道場の懐事情を暴露し、村田さんが補足説明をしてくれた。


 なるほどランバージャック……。


「主目的は木に打ち込みをすることだけど、モンスに遭遇したらそのまま戦闘するからな」


 本ッ当に立石師範はあらゆる事を軽く言うなあ!

 初級のサザンビーチダンジョンとはいえ、補正0の装備でモンスと――。あ、全然余裕だわ。


 ここ最近道場に通って分かったのは、笠間自顕流の攻撃力はとんでもないということだった。だからみんなそれなりにLVが上がってる。

 4層で出てくるヘビにツノウサに化けキノコなんて、敵にならない。

 そうか、リュック背負ってたりするのは、モンスを倒した時の戦利品を持ち帰るためかー。


 ――というわけで、片手に木刀を持って、私たちはさくさくと4層を目指す。

 途中に出てくるゴブリンやスライムは、片手で木刀を軽く振るだけで瞬殺だ。


 4層の森林エリアに入ると、それぞれが適当にばらけて木に打ち込みを始めた。

 力強い踏み込みから、倉橋くんが上段から思いっきり振り下ろした木刀は、バリバリッて音がするくらいの凄まじい勢いで木を抉った。

 冗談じゃなくて、合宿で聞いた通りに生木が半分削れてるよ……。


 恐るべし、笠間自顕流……。