「はぁ……ケインは無事かしらね。デュランも無理をしないといいのだけれども……」
マーガレットは今日何度目かの溜め息をつくと、窓際付近を行ったり来たりして落ち着きなく心配事を口にしていた。
あれから彼女は自分の家へと戻り、ケインが無事帰るのをひたすら待ち続けていたのだ。
デュランがケインの元へ行くと言ったとき自分も付いて行くと言ったのだが、彼にそれを拒まれてしまい、結局マーガレットは言われるがまま家で待つしかなかった。
(デュランのことだから理由も聞かず、いきなりケインに殴りかかっているかもしれないわね。彼が自らそんなことをしてしまうのも、私があんな話をしてしまったからよね)
今のマーガレットの心内はデュランに夫婦間の愚痴を相談してしまい、少しだけ気が楽になったのと同時に二人が殴り合いの喧嘩をしていないかと心配する二つの気持ちが混ざり合っていた。
「……デュランに相談したのは間違いだったかしらね? ……いいえ、彼なら大丈夫よね? きっと……彼なら……大丈夫……ケインだって無事なはず……」
マーガレットは窓から覗く庭先を眺め祈るように手を握り締めまるで自分に言い聞かせるように呟きながら、二人が無事なことを願わずにはいられなかった。
ちょうどそのときだった。
遠くの方から男性らしき人が歩いてくるのがマーガレットの目に映る。
「あれは……っ!?」
それはたった今心配していた夫ケインの姿に他ならない。これまで幾重もこの窓辺からその帰りを待ち望んでいたため、彼女がその彼の姿を見間違うわけがなかった。
「んんーっ。これでよし!」
マーガレットは歩いてくるケインの姿を見て無事なのだとすぐに解かり、結局デュランとは殴り合いになるようなことはなかったのだと判断した。
もしも殴られたならば、あのようにふらつきもせずに歩けるわけがないし、ここから覗き見える顔のどこにもアザのようなものは見受けられない。
そしてマーガレットは急ぎ身だしなみを軽く整えると咳払いをしてから落ち着き払うよう、最後に目元下を両指の腹で軽く拭って確かめ目から涙が出ていないことを確認した。
もしかすると少し目が充血しているかもしれないが、鏡が近くにないため自分で確認することはできない。
キィィィィッ。玄関のドアが音もなく外から押されると、止め金具の音だけが玄関口に鳴り響いた。
「お、お帰りな……さ……い……」
マーガレットは帰宅した夫を明るく出迎えようと無理に笑みを浮かべながらそう声をかけたのだが、目の前に現れた彼の姿を一目見た瞬間、彼女は驚きから声を失ってしまう。
「…………あ、ああ」
「ど、どうしたっていうのケイン!? あ、貴方っ、そのような格好をしてしまって!!」
虚ろな目をしたケインの瞳が出迎えてくれたマーガレットの姿を捉えると、彼は返事をした。
だが彼の身に何かあったのか、また真っ白だったはずのズボンの裾は泥まみれになっており、上着のボタンも外れかけ、生地自体もグチャグチャになっていた。
「あ、貴方まさか、デュランと喧嘩でも……」
「……デュラン? あ、ああ……いや、デュランは惨めな俺のことを……助けてくれた……」
「えっ? た、助けてくれたって、それってどういう……」
「……んっ」
「……これ……は?」
マーガレットが事情を聞こうとして夫であるケインの体を支えようと手を伸ばすのだが、まるでその代わりだと言わんばかりに彼は右手に持っていた何かを妻である彼女へと差し出した。
「お前と同じ名を持つ花だ……」
「……えっ? そ、それって『マーガレットの花』ってこと?」
「ああ、そうだ。お前の好きな花が俺には分からなかったから、名前と同じ花を買ってきた。こんなもの受け取るのは……嫌、だったか?」
「えぇ……あっ、い、いいえっ!! う、嬉しいわよ! 嬉しいに決まってるじゃない……でも貴方からこんな花のプレゼントなんて……初めてだったものだから、それで……」
ケインが差し出し彼女へと寄越したのは、鮮やかな黄色が目立つ綺麗な花だった。
彼はデュランに言われていたとおり花を買って帰って来たのだ。
だが生憎とその花の色は黄色であり、またその花言葉の意味を知っているマーガレットは渡された意味を深く考えてしまう。
「……そうか。そういえば……俺は妻にプレゼントすることすらも、初めてだったんだな……すまない」
「……ケイン」
どこか悲哀に満ちた夫のことをマーガレットは傍に寄り添い、その体を支えた。
ここまで弱りきったケインを目にするのは初めてのことだったが、マーガレットは甲斐甲斐しくも支える形となって彼を寝室まで連れて行く。
「ここに座ってて。今着替えを用意するから」
「ああ……分かった」
ケインは寝室にある窓辺の椅子に座らされると、上を見上げただ自分の目に映る天井を見つめるだけだった。
マーガレットは急ぎ化粧台近くにある引き出しから彼の衣類を引っ張り出す。
「はい。これとこれね……どう一人で着替えられそう?」
「ん? ははっ……俺だって服くらいは着替えられるさ」
「そう? ならいいのだけれども……」
ケインは受け答えこそしていたが、未だ虚ろな目で応えてくれるだけだったのでマーガレットは不安を覚えずに入られなかった。
「それなら私は貴方が着替えている間、部屋を出ているわね」
「あ? ああ……いや、そうだマーガレット」
「ん? 何か用? やっぱり着替えを手伝って欲しいとか?」
「いや……花を」
「花? あっ、これのことね」
そこでマーガレットはケインが何を言いたいのかを察した。花とは先程プレゼントにと、彼女へ手渡したマーガレットの花束に違いなかった。
彼女は右手に握り締めていた花束へ視線を向けていると、ケインはこんなことを言い出した。
「今考えたら、この部屋は俺達の寝室だというのに全然飾り気がなくて寂しいと思ってな。できればその花を花瓶か何かで飾ってくれないか?」
「えっ? こ、この花を……部屋に飾るっていうの?」
「……変か?」
「い、いいえ。でもこの花は……」
何かを言いたそうにする妻の言動が不思議だったのか、ケインは聞かずにはいられなかった。
「……もしかして俺は別の花を買ってきてしまったのか? それはマーガレットの花じゃないのか?」
「え、ええ……そのようね。これは……マーガレットの花ではないわ。残念ながらね……」
「……そうか。それなら変な知ったかぶりをせずに、店の者に聞けばよかったな」
ケインはこれまで花について一切興味がなかったため、別の花を妻と同じ名を持つマーガレットの花だと思い込み買って来てしまったようだ。
「ちなみにその花は何って言うんだ?」
「これはカーネーションね。それも黄色の……」
「カーネーション? これが?」
ケインはその名こそ知っていたが、実際に見るのは初めてだった。
奇しくも妻であるマーガレットの髪の色と同じだからとこの花を購入したわけだったが、まったく違う花であった。