真っ暗だった視界を明るくして下を向いたその時、パンを拾い上げる手が映る。
それと一緒に聞こえてきたのは、知らない男の子の声だった。
「ほら早く拾って拾って!何個買ってきてんの雪乃ちゃん」
「ご、ごめんね…わから、な…」
「これ全部食える?俺でも無理な数…」
「ふ、ううッ…ごめ、ね」
「…雪乃ちゃん、とりあえず泣き止もうか。俺の男センサーがたつ前に」
男の子がパンを拾っていた手を止めて真剣な表情で見つめてくる。
意味はよくわからなかったけど泣き止むように言われたことへ返事をしてパンを拾った。
拾い終えたパンをコウくんの机の上に乗せる。
そんなことをしてしまえばまたコウくんが離れていったあの瞬間を思い出すのに…私は何をやってるんだろう。
寂しさで震えだす手をぎゅっと握りしめながら、零れ落ちそうになる涙を耐える。
また泣き出してしまわないようにぐっと体に力を入れていたら、突然前方からドスッと鈍い音が聞こえた。
「よし!んじゃ頂きまーす」
「え…?」
また目の前が涙で霞み始めた時、男の子がコウくんの椅子へ勢い良く座った。
驚いてる私に座って座って!と言いながら空いた席を指さす彼。
その勢いと元気の良さに引っ張られるように、一度コウくんに座れと言われたあの席へ腰を下ろした。
あまり悲しむこともなく思い出すこともなく、今はいないコウくんの隣の席へと座る。
「前から話してみたくてさー!雪乃ちゃんコウのこと好きなんだろ?」
「え!あ…はい」
「素直でよろしい!んでさ、あいつのどこが良いの?」
「え、あ…の、一人の時に…声をかけてくれた、所」
「マジで?!すっげェな。あいつそんなとこあんの?俺にはガン無視すっけど」
マシンガンのように立て続けに話す彼に驚く。
こんなに人と話をしたのは初めてだった。
今まで私へ好意的に話しかけてくれたのはコウくんと、目の前の彼と、……美咲さんくらいだ。
「あ!じゃあさ、俺のことも好きになる?」
「へ…?」
「俺、雪乃ちゃんが1人で悲しんでる時に話しかけてんじゃん?俺のこと好きになるのもアリじゃね?」
「え…は、え?!」
「正直言うとさー、雪乃ちゃん俺の好みど真ん中でさー。俺のこと好きになってよ」
焼きそばパンを頬張りながらモゴモゴと言われた告白。
あまりの急な展開に頭がついていかなくてパニックになる。
た、たぶん、名前も知らないこの男の子はコウくんの友達なんだろう。
コウくんとは違う、大きなクリクリの目。
その目をじっと見つめてみても本気なのかどうかはわからない。
「え、何?誘ってる?OKってこと?」
「ち、違います!」
必死に両手で否定をしながら彼の目から視線を逸らす。
顔が熱い。何をどう言えばいいのかわからない。頭がついていかない。
「返事はいつでもいいよ。俺こう見えて気の長い男だし?」
「や、あの!迷ってるわけじゃなくて!」
「えー、マジで?OKってこと?」
「ど、どうしてそっちになるんですか?!」
こんな風に、はっきりと人へ話せたのは初めてかもしれない。
あまり言葉を詰まらせることもなく大きな声で話せてる。
目の前の彼は、すごく不思議な人だった。
「じゃあさ、返事は保留ってことで良いけどこれだけは言わせて」
「な、なんですか…?」
「俺の方がコウより良い男じゃね?」
「コウくんが一番です」
「真顔ではっきり言うとかコウ以外に厳し過ぎだろ」
3つ目のパンに齧り付きながら苦笑いされる。
その顔と声が何だか可笑しくて、思わずプッと吹き出してしまった。
クスクスと笑いながら自分の分のメロンパンの袋を開ける。
その時にふっと彼の手が私の頬へ伸びてきて驚いた。
「ほら…、俺が良い男の証拠」
「え…?」
「今、泣いてないじゃん。雪乃ちゃん笑ってる」
そう言われて初めて気がついた。
私がさっきまでの出来事を一瞬忘れていたことに。
自分の右手で自分の右頬に触れてみたら、流していた涙がとっくに乾いていた。
「考えといて、真剣に。俺結構マジだから」
彼のその時の顔はふざけてなんていない。
真剣で、真っ直ぐ以外の何ものでもなかった。
さっきよりも言葉が出てこなくなってメロンパンを持ったまま固まってしまう。
そんな私ににっこりと笑って、順番がおかしくなったけど…と付け加えながら自己紹介をしてくれた。
「池中 哲。哲くんって呼んでね?」
「池中くん」
「え、今聞こえてなかったの?すっげェ速度で無視されてビビったんだけど」
「ふふ…ありがとう」
「あ、また笑った。俺こそ焼きそばパンありがとね」
「うん…」
励ましてくれたことにお礼を言って、好きだと言ってくれたことにもお礼を言って、2人で残りのパンを頬張った。
その瞬間、教室の扉からコウくんの姿が見えてガタッと大きな音をたてながら立ち上がる。
コウくんの瞳には私と池中くんの姿が映っていて、その表情は何を感じているのか読み取り辛かった。
「……へえ、なるほどね」
「おお、コウ!お帰り。美咲っちは?」
「さあな」
「コ、コウくん…あの」
「どけよ哲。俺の席」
「ああ、わりーわりー。あと席借りたついでに」
雪乃ちゃんもらっていい?
笑顔でそう言い放った池中くんに体中が震えあがった。
もしもコウくんが怒って池中くんに暴力を振るったら…?
もしも池中くんとコウくんの仲が悪くなったら…?
私はどう責任をとったら良いんだろう。
不安でぐっと目を瞑ったその時……
「別に。もういらねェから」
コウくんが、はっきりと私を捨てる言葉を放った。
胸が痛い。苦しい。
張り裂けそうなほど、胸の中心がズキズキと痛む。
「こいつキモいくらい一途だからさっさともらって」
コウくんが放つ言葉一つ一つが、私の胸へと飛んできて突き刺していく。
血を流す代わりに出てきた涙は、私の頬を伝って床へ点々と滴り落ちた。
「俺、美咲と付き合うことにしたから」
最後に放ったコウくんの言葉を聞いた瞬間、私の足は教室から飛び出して裏庭まで走り抜けていた。
自分の呼吸を落ちつかせながら、ガタガタと震える体を自分自身で抱きしめる。
一向に治まらない震えと涙に、何故か恐怖すら感じた。
瞼を閉じていないにも関わらず目の前が真っ暗になって体から力が抜けていく。
ガクッと膝を地面に付いた瞬間、私の意識はそこで途切れてしまった。