コウくんが私以外の人に興味を持ち始めてしまった。
けどまだ、コウくんの中で一番近い存在にいるのは私のはずだ。
そう何度も自分に言い聞かせながらお昼ご飯のパンを購入する。
私の分だけなら1つだけで十分。
でも目の前に並んだ色んなパンを見ていたらコウくんのことをどうしても考えてしまう。
コウくんは昔から焼きそばパンが好きだった。
給食の時も私の焼きそばパンをとって食べてた。
それから、コウくんはたくさんよく食べる。
いっぱい食べていつも私の給食までとって食べてた。
だから自分の分のパンは1つ。
他は全部コウくんの分にして腕いっぱいに抱えながら教室へと走る。
走ってる途中で何度も何度も腕の中からパンが落ちた。
落ちる度に拾って、また落ちて。
その現象が何故か、何かから行くなと諭されてるように感じた。
どうしても嫌な予感がして仕方ない。
「は、あ…コウ、くん…」
「何だよ」
やっと辿りついた時には呼吸が荒れてしっかりと言葉が出にくくなっていた。
無表情のコウくんを見つめながらドクドクと脈打つ心臓を落ち着かせる。
大丈夫。コウくんはいつも私の差し出した物を受け取ってくれてた。
うっとうしそうに顔を顰めてる時でも、イライラしながら何かを壊してる時でも、コウくんはちゃんと、一度手に取って受け入れてくれていた。
「パ、パン…をね?買ってきたの。一緒に、食べよう?」
「……。」
何個買ってきたのか一目ではわからない量をコウくんに見せながら問いかける。
本当は、返事を聞くのが怖かった。
必要ないって言われるのかもしれない。
パンだけじゃなくて、私のことも必要ないって言われるのかもしれない。
そう思えば思うほど、大量のパンを抱えてる腕が震えて止まらなかった。
けれど…
「……!」
何も言わないまま、コウくんが足で空いている席を自分の方へ引き寄せる。
誰の席の物かはわからない。たぶん隣の席の人の物。
だけど、今は違う。
「…ありが、とう」
コウくんの側に、コウくんの近くに座って良い、私だけの席になった。
それがすごく嬉しくて、今度は違う意味で両腕と肩が震え始める。
私がこんなに喜んでいるのを、コウくんはわかってやっているのかな。
私がこんなに好きで好きでたまらないのを、コウくんは本当にわかってやっているのかな。
ポケットに手を突っこんだまま、だらしなく座っているコウくんの姿。
いつもと何の変わり映えのない表情と仕草。
それが無性に愛しくて、胸をぎゅうっと締め付けられる。
「あ、あの…購買に、コウくんの好きな…」
最後まで伝えたいことを言い終える前に、突然バンッと教室の扉から大きな音が聞こえた。
ビクッと両肩を震わせながら音のした方向へと振り返る。
そこには目を覚ました美咲さんが元気に笑いながら扉の前に立っていた。
「コウいる?!」
「……。」
探されているにも関わらず、目の前に座っているコウくんは黙ったまま窓の外を向いている。
どうしよう。
今ここで、コウくんの方へ来てほしくない。
コウくんに声をかけてほしくない。
そう思っていた我がままな私への罰なのかもしれない。
美咲さんがどんどんコウくんの席へと近づいて来る。
「あ、いた!あはは、返事してよもお!」
「…黙れよ。いちいち笑うな」
「ねえ一緒に食堂でご飯食べない?」
「…!」
美咲さんの言ったことに私が誰よりも反応を示した。
今朝のあれから美咲さんは保健室で寝ていたはずで、コウくんとは言葉を交わしていない。
それなのに、どうしてこの人はこんなにもコウくんのことを怖がらないんだろう。
どうしてこんなにも…
「…お前が払うなら行ってやってもいいけど?」
彼を、嬉しそうにさせるんだろう。
「仕方ないなもう!払ってあげるよ!…あ、ごめん。一緒に食べる気だった?」
「…!」
美咲さんが、私の存在に気付いて声をかけてくる。
全然嫌味のない明るい声。
本当に私のことは気付いてなくて、コウくんを食堂に誘ったんだろう。
美咲さんの表情は綺麗な笑顔で、こんな顔を人に向けられたことがないと思うくらい優しかった。
「あ、そうだ!一緒にどうかな?」
「ッ…」
「私、浜口美咲。今日転校してきたばっかで…」
「だらだらしゃべんな。行くぞ…」
美咲。
そう呟いたコウくんが、座っていた席から立ち上がる。
私の耳には、一度しか言っていないはずのコウくんの声が何度も何度も響いていた。
美咲、と言う低くて愛しい彼の声が、何度も何度も胸の辺りを突き刺していた。
「え、でもこの子は…」
「ほっとけよ」
お前とは食べたくないってさ。
そう一言だけ呟いて、コウくんが私の隣を通り過ぎていく。
私には視線を向けず、まるで興味がないみたいに私の隣を離れていく。
私といえば、何も声を発することが出来なくてぴくりとも身動きがとれなかった。
「ええー、あはは!そんなこと言ってないじゃ…わっ!」
笑う美咲さんの腕を引っ張ってコウくんが教室を出ていってしまう。
最後まで、声に出して止めることは出来なかった。
それどころか、その姿を振り返って見ることすら出来なかった。
『行くぞ、美咲』
そう言ったコウくんの表情を、目を瞑って暗闇の中で思い出す。
その表情は、間違いなく楽しそうだった。
本当に、すごくすごく…
「うっ…ぅ…」
愛しそうだった。
ずっとコウくんを見ていたからこそわかる。
あの表情は、保健室で私に向けてくれたものと同じ。
愛しい人がいる時にする、コウくんの特別な表情だった。
「コウ、く…」
歯を食いしばって耐えていた涙が、ボタボタと零れ落ちる。
その涙と同じように、抱えていたパンもボタボタと床へ零れ落ちた。
もうやっぱり、私は必要とされてないのかな。
やっと手に入れたコウくんの心は、意図も簡単に私の手から滑り落ちてしまった。
「…あーあ、せっかく買ってきたんだから落としちゃダメっしょ雪乃ちゃん」