少しだけ大人しくなったのを見計らって腹の傷を見る。
消毒よりも湿布か?殴られた方の傷だな…面倒くせェ。
「消毒液でいいだろ」
「ええ?!わッ、冷たい!」
瓶に入ってた分を全部腹にかけてビシャビシャにする。
腹から伝っていく茶色の液体が制服とシーツに垂れて染み込んでいく。
あとは空になった瓶を軽く投げて久々に会ったこいつの顔に視線を向けた。
「よお、久しぶりに会った感想は?」
「え…あの……ありがとう」
お礼を言われた瞬間、自分がやったことに今さら気がつく。
「久々に会ってみればブタじゃなくて今度は骨になってんじゃん」
「あ…うん。最近は…食欲がなくて」
何普通に会話してんだよ。怖がれよもっと。
「どうして、助けてくれたの?どうしてコウくんがここにいるの?」
涙目になりながら聞かれた質問。
その質問の答えを考えようとしたら、俺の動きが数秒止まった。
どうして助けたのか。俺が無性にイライラしたから。
どうしてここにいるのか。俺がお前に会いに来たから。
答えが見つかってわかってしまっても、到底口には出せなかった。
「お前を苦しめるために決まってんだろ」
誤魔化すように呟いてからもう一度こいつの制服をたくし上げる。
見えた腹は消毒液塗れで、その肌には無数の傷跡が残っていた。
これは小3の掃除の時につけた傷。これは運動会の時に転倒させた傷。足のこれは中1の入学式につけた傷。
自分自身が驚くくらい全ての傷に記憶があった。
一つ一つの傷に手で触れながら昔の記憶を確認していたその時、ある個所でピタッと俺の手が止まった。
足の太ももに、記憶のない傷がある。これは誰からやられた?
俺以外の、誰かが……
「やッ…コウくん!何して…!」
記憶にない傷へ思い切り強く噛みつく。
飛び上がる体と驚く声にまた欲求が満たされて更に強く噛みしめる。
「痛ッ…いよ!コウくん!!」
名前を呼ばれたのと同時に噛むのをやめて、歯型の状態で赤くなった肌を見つめた。
少しだけ落ち着き始める欲求。
満足した証拠に赤くなった肌を舐めれば、あいつから聞いたこともないような声が聞こえた。
それが無性に興奮を煽ってきて、まだ足りないと俺の心が叫び出す。
「この傷は誰にやられた?」
「え…?あ…イジメられた時に…女の子から」
「これは…?」
「そ、それも同じ…あの、コウくん?何をしてるの?」
「全部、俺のにしてる」
「え…?」
そう呟いたのと同時に首筋へ噛みつく。
真っ白で何の傷もないこいつの首に、ただ傷を残したい欲求だけで噛みついた。
俺が髪を切り裂いた時の長さと同じままだったお陰で邪魔するものがない。
存分に、こいつが痛がって泣き叫ぶまで傷を残してやった。
「コウ、くん…」
「うるさい」
「ね…コウくん、いつもと…違う。コウくん前とは変わった、ね…」
「……。」
「何だか、優しく…なった…痛ッ」
そんなこと、自分でも気付いてた。
今さっきお前が殴られてたのを見て、俺の中の何かがおかしくなってる。
だからおかしくなんかねェよって意味を込めて血が出るまでギリッと力を込めた。
首筋から伝う血を舐めとってから顔を上げて見つめる。
じっと、睨むように、蔑むように。
「お前は始めから変わった奴だったよな。殴ってボコボコにしてんのに俺のことは下の名前ばっかで呼ぶし」
「え…」
「他の奴のこともそうかと思えばよく聞いてたら他の奴には普通に名字で呼んで、俺のことだけ下の名前」
「ッ…」
「お前頭イカれてんじゃねェの?」
前から聞きたかった本心。ずっと気になっていた疑問。
それを鼻で笑いながら聞いてはみたものの、返ってくる言葉は予想出来なかった。
だからかもしれない。
こいつの言うこと全てに驚いて、目を見開かされたのは…
「お前じゃ、ないよ。蓮見雪乃」
「は…?」
「雪乃!ゴミなんかじゃない!ブタでも骨でもない!雪乃だよ!ゆきのって…ずっと、呼んでほしかった」
そう叫びながら泣き始めるこいつに一瞬焦った。
今は何も痛めつけてなんていない。じゃあこいつは何で泣いてる…?
意味…わかんねェよ。
「小さい頃からコウくん以外!私と口なんて聞いてくれなかった!私に話しかけてなんかくれなかった!」
「……。」
「わ、私…は、みんなとは…違うから」
噂を知った人はクラスのみんなも先生も、兄弟だって、私の存在は無いみたいに扱ってた。
コウくんだけが、私を存在するように扱ってくれてた。
それが例えストレス発散の道具でも、殴ったり苛める対象でも、それでも嬉しかった。
怖くて痛くて辛かったけど、でも心のどこかで必要とされてるんだと思うと寂しくなかった。
私、コウくんにおかしいって言ったけど、私の方が…ずっとずっとおかしいのかもしれない。
「コウくんにいらないって言われた時…本当に悲しかった」
「ッ…」
「学校に行けなかった時、ずっと会えなくて、すごく寂しくて苦しかった」
「……。」
「私に会いに家の近くまで来てくれた時はすごく嬉しかったよ。でも…コウくんにとって私は人間以下の存在なんだって思うと、素直に喜べなかった」
「……。」
「私はずっと、コウくんの、一番大切な女の子になりたかった」
泣きながら小さく声を発するこいつの顔を見た時、心臓が異常に脈打った。
感じたこともない感覚。胸が押し潰されるみたいに痛い。
「ねえ、私…コウくんに殴られてもいい。蹴られてもいいから…」
コウくんの、特別な存在になりたい。
そう小さな声で言われた瞬間、いつの間にかこいつの口を自分の口で塞いでいた。
呼吸が出来ずに苦しむのを無視したまま、首に手を当ててぐっと絞める。
ヤバい。こいつなんかより俺の方が…ずっと前からハマってたのかもしれない。
「コ、ウ…くん…」
「雪乃…」
愛しそうに泣きながら苦しむあいつが、今までに見たことがないくらい綺麗だった。
愛しくて、愛し過ぎて、壊したくなる。
「は、ぁ…コウ、くん…好きッ…す、き!」
「あんま調子乗んな。黙ってろ」
好きだから壊したい。
好きだから壊されたい。
こんな俺達は、誰にも理解されない異常者だ。
第1話『始まりの種』
「あ、あの…付き合って、くれます、か?」
「次の玩具が見つかるまでな」
「え…?!」