「これは、三井様。お待ちしておりましたぞ」
芳之助が深々と頭を下げた。
「よい。それより、例のものは?」
それを制した三井は、急かした。
「こちらに」
吉之助が進み出て、なにかを差し出した。
三井は中身――小判五十両を見て、満足げな笑みを浮かべる。
「では、これにて」
「待て」
霊斬はそれを止めると、天井から座敷に降り立つ。
「誰だ!」
大声を出すと他の武士達が五人、座敷へどたどたとやってきた。
「霊斬と言えば、分かるか?」
霊斬は恐れを隠しきれない三井を、昏倒させる。
畳に小判が散らばる。
「いったい誰が貴様に頼んだ!」
「答える必要はない」
慌てて小判を拾っている吉之助の顔を蹴り上げ、霊斬は芳之助と対峙。
「邪魔しおって!」
芳之助は抜刀し、すぐさま霊斬に斬りかかってくる。
それを斜め前に半歩出て躱すと、左肩を斬りつけた。
傷の悪化を恐れ、芳之助は刀を畳に捨てた。
「隙あり!」
いつの間にか復活していた吉之助が、抜刀して霊斬に斬りかかる。
霊斬は振り返ることしかできない。
次の瞬間――。
――がきんっ!
「ちょっと、参戦するよ」
苦無を構えた千砂がその刀を受け止めていた。
彼女の姿を見た吉之助の顔が歪む。
「好きにしろ」
千砂は振り下ろされる刀の力を利用して、受け流すと右肩を斬りつけた。
「ぎゃっ!」
吉之助が怯んだ隙に、苦無を逆手に持った。
その間に体勢を立て直した吉之助は、突きを繰り出す。
躱しきれず左肩を掠ってしまったが、怯まず苦無を頭に振り下ろした。
吉之助が動かなくなったのを見て、千砂は霊斬に向き直った。
霊斬は芳之助に、黒刀を突きつける。
「人払いを」
「……者ども、下がれ」
五人の武士が渋々、去った。
「物分かりがいい」
霊斬は柄で殴ろうとする。
しかしそれを隙とみた芳之助は、小太刀を抜き放ちながら、突進してきた。
腹を斬られ、鮮血が飛び散る。
襖にぶつかり、痛みに顔をしかめた霊斬は、身体を起こすと、首に手刀を喰らわせる。
大人しくさせると、静かに立ち上がった。
「近いな」
笛の音を聞いて、霊斬が呟いた。
腹から血が流れているのにもかかわらず、その声はあまりにも静かだ。
「そうだねぇ……」
答える千砂の声に元気がない。
霊斬は黒刀を仕舞い、千砂に駆け寄る。
左肩からの血は、止まる様子がない。
「傷は?」
「……浅いはずだよ」
千砂を座らせるとそれだけ尋ねる。
吉之助の刀を鞘ごと抜いて、刀身を見る。
光の反射が鈍いことから、刀身には僅かになんらかの液体が塗られているのが分かった。
霊斬は懐から手拭いを取り出すと、液体を拭き取って仕舞う。
「走れないか?」
「そうだねぇ……。ちょっと、きつい」
「悪いな。それと、喋るなよ」
霊斬は一言断る。
左肩に触らないように、横向きにして抱き上げる。
傷口を布で塞いでやりたいところだが、下手に処置をしない方がいいと霊斬は思った。それで悪化させてしまっては、余計に困る。
毒の回りが早いのか、千砂は虚ろな目で霊斬を見上げた。
静かに素早く、佐田家を後にした。
霊斬は診療所に直行する。
口を覆っていた布を乱暴に下ろして、大声を出す。
「四柳!」
「なんだよ!」
戸を開け言い返した四柳は、霊斬に抱かれた千砂を見て目を丸くする。
「急いでくれ」
「分かった。そのまま、奥へ」
四柳に続いて、奥の部屋へいくと、千砂を静かに横たえる。
「なにがあった?」
「なんらかの液体が塗られた刀傷だ。傷は浅いが血が止まらん」
霊斬は先ほど、採取した液を見せた。
「この匂い、それとこの色……」
「なんとかなるか」
「すぐ解毒薬を作って飲ませる。向こうで待ってろ」
「……分かった。着替えてくる」
苦しそうに息をしている千砂をちらりと見た後、霊斬はいったん店に戻った。
少しした後、褐色の着物を着た霊斬が、診療所に顔を出す。
早くよくなればいいと焦る自分に驚きながらも、しばらく待つ。
四柳が奥の部屋から出てくる。
「どうだ?」
胡座をかいて座ったまま、霊斬が尋ねた。
「解毒薬を飲ませて、今はぐっすり眠ってる。じきに毒も抜けるだろう。傷の方は大したことなかったぞ。一応縫ってはおいたが」
「そうか」
――よかった。
霊斬は内心で安堵した。同時に、身体のどこかに激痛が走る。
霊斬は顔をしかめるだけで、やりすごした。
「会ったときも思ったが。お前、怪我してるな」
「お見通しか」
霊斬は上着を脱いで、半裸になる。腹部に横一線の刀傷と、右肩に打ち身があった。
「ここで手当てをする」
四柳は治療箱を持ってくると、刀傷から手当てを始めた。
念のため傷を縫う。薬草を塗った布を当て、晒し木綿で巻いていく。
霊斬は顔こそしかめるものの、大人しくしていた。
「右肩には、これを当てとけ」
四柳は水を入れた革袋を霊斬に渡した。
「ああ」
霊斬はそれを受け取り、右肩に当てると、上着を肩にかけた。
その場に座っているのが疲れたのだろう。
霊斬は柱の近くに移動し、寄りかかる形で片膝を立てて座った。
格子窓から空を見上げると、明け方が近いのか白んでいた。
「四柳、夜までいていいか?」
「いいぞ。嬢ちゃんも夜にならないと目覚めないだろう」
「そうか」
霊斬は深く息を吐き、ゆっくりと立ち上がる。
「おいおい! まだ動いちゃいけねぇぞ!」
四柳は霊斬に肩を貸す。
「千砂と同じ場所にいた方が、楽だろ」
「それはそうだがな……」
――素直じゃねぇな。嬢ちゃんの様子が見たいって、言えばいいのに。
四柳は内心で苦笑し、霊斬を支えながら奥の部屋へ向かった。