「まあ、腕がいいって有名な幻鷲の旦那なら、それもそうか」
「呑気なことを。あなたも、旦那くらいに働いたらどうです?」
千砂の口調からこの常連客は、まともに商売をしていないらしい。
「千砂ちゃんまで、そんなこと言うなよ」
「自覚しているだけましだな」
「どうなんでしょうね」
霊斬の言葉に、千砂が苦笑した。
「おまちどうさま」
千砂は言いながら、そばを置く。
霊斬は礼を言い、そばを啜る。
その話を聞いていた別の常連客が口を挟む。箸でそばを指さしてみせる。
「羨ましい。俺なんて店二日も閉めちまったら、これにもありつけねぇよ」
「幻鷲さんは真面目に働いているから、それでも平気なんでしょう」
「そういう奴なら、もう一人知っているぞ」
霊斬は千砂に視線を向けた。
「私……ですか?」
千砂はきょとんとする。
「千砂ちゃん、その顔、可愛い!」
「もう! 余計なことを言わないでください!」
「悪かった」
霊斬は言いながら、机に銭を置くと、店を後にした。
その日の夜。霊斬は黒の長着と同色の馬乗り袴を身に纏い、その上から黒の羽織を着る。短刀を懐に仕舞い、口と鼻を布で隠す。店を出た。
十兵衛の屋敷に忍び込んだ霊斬は、思わぬ光景を目にする。
天井の板を僅かにずらして、飛び込んできたのは。
浴びるように酒を呑み、おいおいと泣く十兵衛の姿。
十兵衛の声が聞こえてくる。
「金がねぇよ~。つまんねぇよ~」
十兵衛は言いながら、酒を呑み続ける。
霊斬は無言で十兵衛の屋敷を後にした。
「頭が痛くなってきたな、ったく」
――世の中には、どうしようもない
霊斬がそう思うほど、十兵衛は酷かった。
自業自得であるにもかかわらず、賭けや酒に溺れるその姿が。
翌日、刀の持ち主である光里家の武士が、霊斬の店を訪れる。
「お待ちしておりました」
「前置きはよい」
「では、こちらへ」
霊斬は武士を奥の部屋へと通した。
「あれからそれなりに経ったが、なにか分かったか?」
「おっしゃるとおり、十兵衛とはろくでもない男であったということ。まだ言い切れませんが。
なんらかの形で、十兵衛本人が噂を広めたのではないかと。申しわけございません。私が調べるには少々荷が重く、この程度しか分からず……」
「気にするな。こちらでもあれから調べてみたが、あいつは下級武士の三男坊で出来損ない。ろくに働いてもいない。あの男が真面目に働いていたという話は、今まで聞いたことがない」
さすがは武家といったところか。少々、情報網に違いがあるようだ。
「そうでございましたか」
「成功報酬として、小判十両出す。頼むぞ」
「お任せください」
霊斬は深々と頭を下げる。
早めに着替える。黒の長着と同色の馬乗り袴を身に纏う。黒の足袋を履き、黒の羽織を着る。同色の布で鼻と口を隠す。黒刀を帯びた霊斬は、十兵衛の屋敷に向かう。
十兵衛の屋敷に着く。
中くらいの屋敷だった。造りも単純なようだった。霊斬は正面の扉を開けさせ、下仕えの者の意識を奪う。
正面から堂々と乗り込む。
「曲者!」
数人の男達が姿を見せるが、一歩進むごとに一人ずつ倒していく。
不機嫌そうに顔を歪めながらも、足を止めない。返り血を浴びるが、奥の座敷を目指して廊下を進んだ。
屋敷の一番奥の座敷に霊斬が辿り着く。
刀を持って、がたがたと震えている十兵衛がいた。その姿はあまりにも哀れだ。
「き、斬りに、き、きたのか?」
十兵衛は怯えている。
「違う」
霊斬は周囲に視線を走らせた。
「噂をどうやって広めた?」
「こ、答えるわけがないだろう」
「ならば」
霊斬は言葉を切り、十兵衛との距離を詰める。黒刀を十兵衛の肩に置き、刃を首にぴったりとつける。
「ひいい~!」
冷たい感触に、十兵衛は情けない声を上げる。
「黙れ。そこから動くな」
霊斬は命じ、箪笥の中などを捜し始めた。
十兵衛が座っていた後方、小さな箪笥に手を伸ばそうとした瞬間。
「や、やめろ!」
十兵衛が斬りかかってきた。
「動くな、と言わなかったか?」
霊斬は右肩をざっくりと斬られてしまった。
ぞっとするほど冷ややかな声で吐き捨てる。
十兵衛の体勢を崩しつつ、右腕を斬り、無防備になった腹を蹴り飛ばす。
十兵衛の身体はそのまま襖を二枚破り、壁に激突。
霊斬は十兵衛が気を失っていることを察知。
先ほど手を伸ばしていた箪笥の中身に目をやる。
中に入っていたのは、瓦版との約束事と題した封書。
中身を見ると瓦版に嘘の情報を流したという、事実を隠し続けること。それができている間は、稼ぎの三分の一を支払うという内容だった。
――これが
霊斬はそれを懐に仕舞うと、先ほどから出入口を塞いでいる男達を睨みつけた。
「怪我をしたくなければ、そこを
男達は怯んで、霊斬に道を譲った。
遠くからピーッと笛の音が聞こえてくる。
霊斬と千砂はその場を後にした。
霊斬は十兵衛の屋敷から、自分の店に直行した。
依頼完遂後に、成功報酬が支払われる
霊斬が慌てて黒刀を鞘ごと抜き、隠し棚に仕舞う。