霊斬は血糊を落とし、改めて刀身に視線を走らせる。
切れ味が落ちているだけで、修理自体は簡単に済みそうだ。
焦っていたのだろうと思うものの、その理由が分からなかった。
血のつき方からして、斬ったようには思えない。
霊斬は持ち主について考えながらも、修理を始めた。
その日の夕方、霊斬は情報屋として名高い〝
噂話でもなんでもいいから、手がかりがほしかった。しばらく町を歩き回って得られた情報は、霊斬がいきつけの店の千砂が、二つの顔を持っているとかいないとか。確証もないし、情報としてはあやふやだが、それに賭けてみるしかなかった。
意を決して、霊斬は千砂が働いているそば屋へ顔を出す。
「ちょっといいか?」
「なんだい?」
霊斬は小声で、二人で話したい、と告げる。
千砂はまずきょとんとした顔をする。
「二人で話せないか?」
きょとんとした顔が可愛いと思いつつ、霊斬はもう一度繰り返す。
「ちょっと待っててください! 話せるかもしれないので!」
千砂はその声で我に返り、店に引っ込んだ。
しばらく待っていると、前掛けを外した千砂が戻ってきた。
「店の様子が分かった方がいいから、裏でもいい?」
「ああ、悪いな。突然」
霊斬はそば屋の裏までいき、申しわけなさそうに言う。
「いいよ。それで話ってなに? あ、ちなみにここでなら誰にも話を聞かれないから、安心して?」
千砂はにこりと笑う。
「ならば、遠慮なく。凄腕の情報屋を探していてな。俺も一度しか見ていないのだが、以前富川家の依頼の際に、姿を見せた忍びがいる。烏揚羽かどうかも聞き忘れてな」
低い声で霊斬は一気に言った。
「ふうん? 烏揚羽について、他に知ってることは?」
千砂が首をかしげる。
「お前が二つの顔を持っているかもしれない、という噂しか集められなかった」
霊斬は困った顔をして言う。
「それで、聞きにきたわけね? まあ、
千砂は考え込む。
「なにっ !? ならば、この家紋がどこの家のものなのかも分かると助かる」
霊斬は目を剥きつつ、懐から取り出した家紋の書かれた和紙を見せた。
「嘘を吐いたっていいことないよ? じゃあ、預からせてもらうから。本人から答えを聞けるかもしれないけれど。じゃあ、またね」
千砂はそこまで言うと、和紙を仕舞って、立ち去った。
二日後の夜、酒を呑んでいた霊斬は、戸を叩く音を聞き、表に向かう。
引き戸を開けても人がいないことが分かり、周囲を見回した霊斬だったが、分からぬまま店に戻る。
「〝因縁引受人〟の幻鷲霊斬さん?」
それからしばらくして、どこからともなく声が聞こえてきたので、刀を手に警戒する。
「そうだが?」
霊斬は警戒心を剥き出しにして答える。
「探しても無駄だよ。この術は解かない限り、姿は見えない。それと、千砂から聞いたよ。あの家紋は
声が少し残念そうに言う。
「これだけ教えてくれ。〝烏揚羽〟なのか?」
霊斬は慌てて声をかける。
「そうだよ。また会う日まで、死なないでね。今宵はここまで。じゃあね」
静かになった部屋で霊斬はふうっと息を吐く。
「あの声が〝烏揚羽〟……か。光里家ならば、旗本で将軍のお気に入りとされているはずだったが」
――そんな奴らに、なんの恨みがある?
霊斬の疑念は深まる一方だった。
翌日の昼間、霊斬はそば屋を訪れる。
「いらっしゃい! 奥へどうぞ」
元気な声の千砂に会釈をし、霊斬は奥の方へ足を進め、腰を下ろした。
「そばをひとつ!」
「かしこまりました」
「なに頼んでるんですかい?」
と酔っぱらった客に絡まれる。
霊斬は聞かぬふりをした。
しばらくするとその客は、霊斬から離れていった。
「幻鷲さん、話さなくて正解ですよ」
話しかけてくるのは、この店の常連客。
「どうかしたのか?」
「ただのやけ酒ですって。女に振られたとかで」
周囲に笑いが起こるが、霊斬は表情ひとつ変えない。
「そんなことで呑んでいたら、身体がもたないな」
「さすが、幻鷲さん! いいこと言うじゃねぇか!」
「そうか?」
「はいはい。お客さんをからかうのは、そこまでにしてください」
男達のくだらない会話に、終止符を打ったのは千砂だ。
「そうだな」
霊斬は手を合わせ、そばを啜る。周りがさらに騒がしくなる。
「千砂ちゃんのいけず~!」
「どうしてこう、うちの客って、失礼なことばかり言う男しかいないのかしら」
千砂が溜息を吐く。
「いい男ならここにいるぞ!」
先ほどの酔っぱらいが声を上げた。
「そんな男、こっちから願い下げだよなぁ。千砂ちゃん?」
「そんなことより、そばを食べてください!」
「は~い」
千砂の喝を受けた男達は先ほどのまでの勢いを失くし、それぞれにそばを啜り始めた。
そばを啜りながら、霊斬は面白そうに眺めた。
それから二日後の夕方。
休憩している霊斬の許に、一人の武士が顔を出す。
その男の羽織を見て、光里家の者だと分かった。
「いらっしゃいませ。刀の修理でしたら、つい先ほど終わったところでございます。お持ちいたしましょうか?」