「自身番の男がさ、見なかったことにって言うんだよ。おかしいだろ? 骸がひとつ出てきているっていうのに、忘れろとはな。調べる気がねぇのか、圧力でもかけられたか?」
霊斬はそこで首をひねる。
「さすがになんもお調べなし、ってわけにはいかんだろうよ」
「それが確かなら、圧力の線が濃厚なんかねぇ?」
「さあな。面白い話が聞けた。じゃあな」
霊斬は軽く手を上げると、その場から立ち去った。
翌日の昼間、霊斬はいつものそば屋に顔を出す。
「ごめんよ」
「旦那じゃないですか! どうぞおかけになって!」
千砂が声を張りながら、厨へと引っ込んでいく。
「そばをひとつ!」
愛想笑いを浮かべた霊斬は、注文をすませ、店の一番奥の椅子に座る。
店の中ではある旅人が、見聞きしてきた話で盛り上がっていた。
賑やかな声を聞いていると、千砂が盆を手にやってくる。
「ご注文の品です! あら、ずいぶん楽しそうなお話だこと。旦那は参加しないので?」
「俺は遠慮しておく。お前と話せれば十分だしな」
霊斬はそこまで言って箸を持つと、いただきますと呟く。
「嬉しいことを言ってくれるじゃありませんか」
千砂はにっこりと笑う。ただそばを食べているだけなのに、どうしてこんなにも見惚れてしまうのだろうと思うものの、答えは出せないままだった。
そんな千砂を横目で見た霊斬は、相変わらず綺麗な女だな、と思いながら箸を進める。
食べ終わると、千砂に視線を投げる。
「はいはい! 美味しかったようでなによりです!」
千砂は満面の笑みを浮かべている。
「失礼だったら謝るが、歳は?」
霊斬がお茶を飲みながら、眉を上げる。
「失礼だなんて怒りませんよ。二十五です。旦那は?」
千砂はにこりと笑いながら教えてくれた。
「俺は二十八だ。
霊斬はふっと笑いながら、千砂を見つめる。
「若く見えるのは旦那だって同じですよ!」
千砂は慌てて言う。
「そうか。さてと、またくる。次も楽しみにしている」
霊斬は言いつつ、席を立った。
「ありがとうございます! またのお越しをお待ちしております!」
霊斬はその声を聞き、左手を軽く上げて、店を出ていった。
「失礼いたす!」
「はい! ご用はなんでございますか?」
霊斬は奥の部屋から出て、訪れた武士に丁寧に対応した。
「この店で一番よい出来の刀を二本、買いたい」
「この店の刀のみならず、装飾品すべて一番の出来にございます」
「ならば、手近なものを一本見せてくれ」
「かしこまりました」
霊斬は指定された刀を、武士に差し出す。
武士は慣れた手つきで刀を抜き、刀身に視線を走らせる。
「うむ。……よいな。これと隣のを一本、もらおう」
「かしこまりました。少々お待ちくださいませ」
霊斬は二本の刀を手に、反対側にある階段
小さい
「お待たせいたしました。お品物でございます」
霊斬は刀を自分の前に置き、武士に向かって頭を下げる。
「では、これを。失礼いたす」
武士は金を払い、刀を持って店を出ていった。
決行当日。霊斬は黒の長着と同色の馬乗り袴を身に纏う。黒の足袋を履き、黒の羽織を着る。
同色の布で鼻と口を隠す。階段箪笥の隠し棚から黒一色の刀を取り出す。
鞘を抜く。光をまったく跳ね返さない、真っ黒い刀身を見てから腰に帯びる。この
草履を履いて、富川家へ向かった。
霊斬は屋根を歩いていた。
屋敷が見えてきたころ、片膝をついてそうっと顔を覗かせる。
入口に見張りの侍が二人立っている。
通りがかりの侍が二人を斬りつけ、堂々と屋敷に入っていく。男達を容赦なく斬り、
追いながら、霊斬は思った。
――悪事を暴く予定だったのに。邪魔な奴が増えた。
次期当主の部屋を天井の板をずらして眺めていると、叫び声が聞こえてくる。
みれば次期当主の部屋に刺客が迫っていた。
次期当主は叫びながらも、少人数の家臣を引き寄せ、守らせる。
しかし、それも
刺客が刀を振り上げた瞬間、霊斬が割って入った。
刀同士がぶつかり合う音が響く。
「誰だ?」
「名乗るほどの者ではない」
霊斬は刺客の刀を押し返し、左肩を斬り裂く。
刺客は怯んだ様子もなく、刀を振りかざして襲いかかってくる。
次々に繰り出される斬撃を、紙一重の距離で
しかし、頬に刃が触れ、紅い筋が滲む。
僅かに目を細めると、刺客の首筋に黒刀を突きつける。
「貴様、ひとりか? それとも……」
刺客は無言のまま、指を鳴らした。どたどたと複数の足音が聞こえてくる。
右腕を斬り裂くと、刺客を蹴り飛ばす。
刺客は庭に転がり落ち、痛む腕を引き
追わせまいとするかのように、複数の刺客が霊斬を取り囲む。
――増えても同じだというのに。
内心で呆れながらも、その中に突っ込む。霊斬は相手の腕や脚を狙って斬りつけていく。