馬鹿を言え、とルイから一蹴されてしまった兄であったが、全く効いていなかった。
お兄様は、どっかりソファーに座って足を組んでいる。
「いいじゃないかぁ、ルイ~!山ぐらい登ろうよぉ」
「お前は人の家の予定もわからんのか!」
「わかってるよ?ちゃんと結婚式の招待状が来たからね!」
「戻りの時間を考えられないのかぁ!?」
「戻ってこれるでしょ?」
「お前の馬の腕ならな!!」
バン!とルイがテーブルを叩いた。
それでも兄は笑っているではないか。
「え、お兄様って乗馬も上手いんですか?」
「普通だよぉ~」
「お前の普通は異常なんだ!!」
「普通だってばぁ!」
「お前は剣の腕と乗馬の腕しかないくせに、なぜ騎士団を辞めたんだ……」
ルイは顔を覆って落ち込んでいた。
兄よ。
どうしてあなたは、騎士団長をこんなに困らせることができるのだろうか。
そんなルイに救いの手を伸べたのは……。
「カリブス様、お元気そうで何よりです。お久しぶりでございます、ハンスでございます」
兄は、一瞬で紅茶を噴出した。
知らなかったのであろう、ここに副団長であるハンスがいることを。
「あ、あ、ああううああ」
「カリブス様、我が主を困らせることは大変困ります。ここは、ハンスと決闘でお決めになりませんか?」
「結構です!!申し訳ございませんでしたぁ!!!」
ハンスの笑顔に、お兄様が負けている。
初めて兄を負かした人を見た!!!
しかも、何気に決闘とか言っている!
「では、お茶と焼き菓子の準備をしてまいりましょう。奥様、大変申し訳ございませんが、お手伝いをお願いできませんでしょうか?」
「は、はい!」
私は、この変な空間から逃げることができた。
ハンスの後を追って歩くと、困ったように彼は笑う。
「困ったお方ですね、カリブス様は」
「む、昔からです……」
「そうですね。昔から、そんな剣士でした。きっとあの娘に本当に会いたいのでしょう……」
「やはり、兄は……会いたいんですよね」
厨房へ行くと、マリアさんがお茶の準備をしていた。
この家は、時間通りに丁寧に動いているのだ。
「マリア、お茶の準備はできていますか」
「はい、今日は奥様から教えていただいたパウンドケーキですよぉ」
「それはそれは。坊ちゃまが喜ばれますねぇ」
そう言いながら、ハンスはお盆にティーセットを準備した。
私は、何もすることがない。
最初から、手伝うことなど何もなかったのね。
きっと、気を使って連れ出してくれただけ。
空気の読める人なんだな……。
「あの、すみません、急に兄が」
「いえいえ、奥様。カリブス様を騎士団でも矯正できませんでした。こちらこそ申し訳ない」
「え?え?」
「普通は、騎士団ではきちんと矯正できるものなのですが……」
そうなんだ。
と、思って、そうに決まっている!とも思った。
騎士団はちゃんと試験を突破した者しか、入団を許可されない。
また、騎士団の中でさらに上位へ上がりたいなら、剣の腕や頭のよさなど、様々なことが考慮されるはず。
それを年長者であるハンスが、担ってきたのだろう。
でも、兄は駄目だった。
お兄様、お兄様ってやっぱりどこにいても馬鹿だったのね……。
「騎士団は、武力知力だけではありません。品行方正、情熱、仲間や弱者を守る精神など、多くを学びます。それを持った者が上位者になります。特に団長である坊ちゃまは、我々の鑑ですよ」
「そ、それは確かに、そうかもしれません……。え、だからルイは皆さんのいない家でああいう態度なんですか?」
私がそれを尋ねると、ハンスだけでなく、マリアさんさえも動きが止まった。
私は知ってはならぬことを知ってしまったのだろう。
言ってはならぬことを、言ってしまったのか。
「……坊ちゃまは、本当はまだ騎士団長になるおつもりはなかったのです」
「え、そうですか?でもグラース家は代々騎士団長を輩出しておられるから……」
「そうですね。本来ならば嫡男は皆様団長に早くなりたいものです。ですが、坊ちゃまは違いました。学びたいことも、行きたいところもたくさんある。若くして団長になれば、自由が効きません。それをご存じでした」
「ルイ、そんなことを……」
「好奇心旺盛なのは、大奥様にそっくりですからね。大奥様も、それがいいとおっしゃっておられましたが……」
それは親心なのか。
いずれは騎士団長になるしか未来のない我が子に、母は少しでも人生を楽しませたかったのか。
そんな母に私は一目も会うことができないのは、やっぱり残念だった。
お茶の準備をして部屋へ持っていくと、兄はすっかり怯えてソファーの端っこに座っている。
そんなにハンスが恐いなら、来なければよかったのに。
あ、そもそもハンスがグラース家にいることを知らなかったのかも。
知らなかったのではなく、きっと忘れていたのよね。
そんな人だもの。
「お兄様、お話は解決いたしましたか?」
「ぼ、僕は、行くよ。今すぐに出れば、間に合う!」
こんな状況なのに、兄はそう言ったのだ。
するとルイが大きなため息をついた。
「結婚式の後ならば、ユーマに依頼を出すと言っているだろう。金もない癖に、どうするつもりなんだ?」
ルイの意見は正しい。
東の国方面は、ただでさえ武闘派が多く、危険な土地。
ユーマのような傭兵や危ない輩はたくさんいるのだ。
でも、私も行きたいな……と思っていたら、ルイから思いきり睨まれた。
内心は見抜かれてしまっている。
「それでも、僕は行く」
「馬鹿野郎」
「……馬鹿でも構わない。僕は行くんだ」
その一瞬、兄の空気が変わったことを私は感じた。
今まで感じたことのない、剣士としての兄。
騎士団にいた頃の、洗練されたまなざしと、決意。
まさか、お兄様がこんな顔をできるなんて、思わなかった。
「……ハンス」
「はい、坊ちゃま」
「ユキ以外の駿馬を貸してやれ」
「承知いたしました。準備してまいります」
部屋を出て行くハンス。
私は驚いて、ルイに言った。
「ルイ!結婚式まで1週間くらいしかないんですよ!?間に合わないでしょう!?」
「分かっている」
「こ、国王の前で、兄がいないなんて、グラース家もウォーレンス家も恥をかきます!」
「分かっている。だから、俺がついて行く」
は?
私は、一瞬にして息ができなくなって、耳が遠のいたと思った。
聞き間違えか?
この家の主は何と言った?
「えっと、ルイ?あの、なんと?」
「俺がカリブスについて行くと言った」
「はぁあああ!?主役なしの結婚式にするつもりですか!?」
「俺がいればカリブスは絶対に間に合わせねばならんだろう」
「博打すぎます!!私には駄目って言った癖に!!」
「おま、論点をずらすな!お前は女だ、剣も扱えん奴が行くところではない!」
ずるい!
ルイはきっと目の前でお兄様が恋人と再会する、最高のシーンを見るはずだ。
私だってそれが見たいのに!
山岳に抱かれて、2人は見つめ合い、愛を誓うのよ!
「ああ!なんて素敵なの!?」
「妄想で会話するな、セシリア!!」
「妄想ではありません!未来の姿です!!」
私たちがこんな会話を繰り広げていたところ、兄が笑っていた。
いつもとは違う、笑いで、それはまるで本当の姿のような。
「セシリアが来たいなら、途中まで来させたらいいじゃないか」
「駄目に決まっているだろうが!」
「宿屋で荷物番をさせればいいじゃないか」
「駄目だ!!」
そんなことを言っていると、ハンスが戻ってきた。
ハンスはため息をつきつつ、地図を広げる。
「坊ちゃま、地図も準備させていただきました。ご確認ください」
「すまない、ハンス。助かる」
「はい。ではカリブス様、こちらをご覧ください」
こうして、彼らは地図を広げ、今後を話し合い始めるのであった。