翌日、ハンスに結婚式のメニューを聞いた私は、ガックリと肩を落とした。
そうだよな、騎士団の家だもの。
伝統的な、格式だらけのお家だもの。
「伝統的に縁起の良いとされます食材を準備させていただき……」
伝統という言葉をハンスは何度繰り返したことか。
中身を開けば、ジャガイモ(子だくさんになるように?)ニンジン(健康になるように?)
結婚式だから、伝統と見た目を重んじるようで、私の顔は真顔になっていく。
「最後にケーキですが」
「ケーキ!?」
「坊ちゃまと奥様を象ったろうそく人形を頂点に掲げ!バタークリームをたっぷり使った、伝統的なジンジャー生地の素晴らしいケーキをご準備いたします!!」
「い、い、いやあああ!!!!」
私は、大絶叫して部屋を飛び出した。
私がこの
ショウガやスパイスをふんだんに入れたスポンジケーキを、ベタベタのバタークリームでコーティングした爆弾だ。
私はあれが嫌いで、嫌いで、大嫌い。
でもこの世界の人たちはお祝い事となると、このケーキを多用する。
部屋を飛び出した私は、なんてはしたないことをしてしまったのだろう、と反省する。
でも、だって、本当に嫌いなんだもの。
この世界は、冷蔵の技術が発達していないから、生ものを取り扱うことが少ないらしい。
そのため、転生前にあったお刺身なんてもってのほかだ。
また、すぐに果物も傷んでしまうため、できるだけ使わないもしくは火を通す。
イチゴのケーキと言えば、この世界ではイチゴジャムのケーキなのだ。
そんなの許せない!
いつかきっと、お刺身もケーキもできる世界を作ってやる!
動機は不純でいまいちかもしれないけど、まるで私は魔王のようなことを思うのだった。
「奥様~!!」
声をかけてくれたのはマリアさんである。
走ってくる様子を見て、きっとハンスから事情を聞いたのだろう。
いや、考えるまでもなく、きっと私の大絶叫が聞こえたのかも。
「奥様ぁ、何かあったんですか!?」
「え、いえ、その」
「ハンスが奥様の安否を確認しろって怒鳴り込んできました!」
あのハンスが怒鳴り込んでくる?
そ、そんなにビックリさせてしまったのだろうか。
私は騎士団長の妻になるのに、恥ずかしい。
「どうしたんですか?ゴキブリでも出ましたか?」
「いえ、そうではなくて」
ちなみにこの世界でもゴキブリはいます。
でも老舗旅館で育った私は、ゴキブリの駆除くらい、なんのその。
そこら辺のご令嬢と一緒にしてもらっては困る。
「いえ、その、結婚式のケーキがジンジャーケーキと聞いて、ショックを受けて」
「あら、嫌いなんですか、ケーキ」
「ジンジャーケーキは苦手なんです。あの香りとか、クリームとか」
「あらぁ、坊ちゃまと一緒ですねぇ」
ま、まさか、こんなところでルイと同じだなんて!
だってあのケーキは絶対にダメなのよ。
好きになれないの。
パーティーで出された時、1口食べてひっくり返ってしまった過去がある。
「あのケーキは癖が強いですもんねぇ。そうやって、夫婦の仲が深まるようにって意味らしいですよ。私の旦那は大好きだったんですけど、先に逝っちゃいました」
「え、マリアさん……?」
「あ、話してませんでしたねぇ。私の旦那は騎士団にいたんです。めっぽう強い斧使いだったんですよぉ。お酒も大好きで、ジンジャーケーキとお酒を一緒にってこともありました」
斧使い!?
まるでファンタジーの世界だな、と思ったけれど、この世界は本の中だった。
それくらい、当たり前なのかな。
でも私は、初めてマリアさんの家族の話を聞けて、嬉しいのか、哀しいのか、分からなくなる。
「マリアさん……」
「いつも出立の時は、ジンジャーケーキ食べて行きましたよぉ。だから死ぬ前はお腹出ちゃって。騎士団なのに恥ずかしかったですねぇ」
「素敵な、旦那様だったんですね……」
「はい!あの人以上に素敵な斧使いはいません。帰ってきたら、年も年だから、騎士団引退して、森仕事でもしようって言ってたんですけどねぇ。帰ってきませんでした」
だから、と言ってマリアさんは私の手を取った。
洗濯や洗い物で荒れた手が、とても温かい。
私は彼女の手がとても好きだ。
この人の作る料理や、様々なものが、命をつないでくれている。
「坊ちゃまとは、ずーっと仲良くしててください!ケーキはハンスと話し合って、違うケーキにしましょうねぇ。レモンとかオレンジにしましょうかねぇ」
爽やかケーキだわぁ、と言うマリアさんの声は、少しだけ震えて、すぐにいつも通りに戻った。
この家にいる人たちは、きっとみんな騎士団の関係者なのかもしれない。
ハンスも長年いるみたいだし、みんな、色々あるのよね。
「わ、私が、レモンのケーキを作るので……」
「あら、花嫁がケーキを?どうしましょう?でも坊ちゃまは嬉しいでしょうしねぇ?」
「い、妹も大好きなんです、私のレモンケーキ!だから、それにしませんか?ジンジャーケーキほど香りは出ませんけれど……」
「奥様がそう言うなら、ハンスに聞いてみますねぇ!」
微笑むマリアさんは優しかった。
こうして、私の結婚式のケーキはジンジャーケーキを回避できそうな感じである。
私は、早速騎士団から戻ったルイに報告した。
結婚式のケーキはジンジャーケーキからレモンケーキに変えていいですか、と。
するとルイは頭を抱えて悩み、唸りっている。
「伝統が……騎士団長の結婚式で、伝統が、崩れる……しかし、あのケーキは俺も嫌いだ!!翌日まで鼻がおかしくなる!!でも伝統が!!」
「ルイ、伝統はいつか崩れるものです。私たちが壊すか、私たちの孫が壊すか、もしかしたらお兄様が乱入して壊すかもしれません。諦めましょう」
兄のことを聞いた瞬間、ルイはいつもの冷静な顔に戻った。
招待客、しかも親族の中に兄がいるのを思い出し、現実を思い出したのかもしれない。
「そうだったな、諦めるか」
「潔いお姿も、騎士団長には必要かと」
「カリブスが来るなら、初めから無駄だったな、悩むこと自体」
「ふふ、ルイはお兄様をよくご存じですね」
「国王の目の前でだけ、恥をかきたくない……」
「同感です……」
私たちは、お兄様を大人しく席に座らせておくことができるだろうか?
難しいかもしれない。
でも、どうしようもない。
あの人は、そういう人だから。
「他の料理については、ハンスと話したのか?」
「はい、無難なものばかりかと……もしよければ、少し手を加えてもいいでしょうか?」
「構わんが、忙しくはないのか?」
「私は、そこまでは……むしろ、ハンスやマリアさんの方が大変だと思います」
そうだな、と言いながらルイはゆっくりとしたシャツに着替えていた。
背中に傷があるのは、戦争の傷らしい。
肌がきれいだから、少し目立っているのが可哀想だ。
でもこんな傷を受けても生きていたなんて、凄いことかもしれない。
「あの、ルイ」
「なんだ?」
「マリアさんから、ご主人は騎士団の斧使いだったと聞きました。もしかして、ハンスもご家族が騎士団ですか?ここの人は皆さん、ご家族が騎士団の関係者なのでしょう?」
「ハンスは、副団長だぞ?」
「え?」
よく、きこえなかった。
ハンスがなに、と?
「ハンスはああ見えて、騎士団の副団長だ。年を取ったから前線を離れているが、俺の補佐を常にしているじゃないか?ああ見えて、剣の腕はカリブスより上だったんだぞ?」
「あ、あ、あの、ハンスが??ハンスはただの、執事では……!?」
「そう見えるように、本人がしているんだ。お前の為にな。ハンスがいるから、お前をこの家に置いていても安心できるんだ」
以前、自分で老兵、と言っていたのを思い出した。
冗談というか、ただの比喩表現だと思って、本気にしていなかったのは事実。
うそ、本当に?
本当に、ハンスが?
「執事の格好なんかしなくていいと、何度も言ったんだがな。その方が溶け込めていい、だの言って。他に副団長候補もいないから、仕方がないが……」
「わ、私、副団長様を、執事だと思って!?毎日お願いばっかりして!?」
「こうなるから、やめろと言ったんだがな……」
私は、目の前がグルグル回っていくのを強く感じるのだった。