第50話

翌日、ハンスに結婚式のメニューを聞いた私は、ガックリと肩を落とした。

そうだよな、騎士団の家だもの。

伝統的な、格式だらけのお家だもの。


「伝統的に縁起の良いとされます食材を準備させていただき……」


伝統という言葉をハンスは何度繰り返したことか。

中身を開けば、ジャガイモ(子だくさんになるように?)ニンジン(健康になるように?)高級品高級品などなど、まるでおせち料理のような説明を延々と受ける。

結婚式だから、伝統と見た目を重んじるようで、私の顔は真顔になっていく。


「最後にケーキですが」

「ケーキ!?」

「坊ちゃまと奥様を象ったろうそく人形を頂点に掲げ!バタークリームをたっぷり使った、伝統的なジンジャー生地の素晴らしいケーキをご準備いたします!!」

「い、い、いやあああ!!!!」


私は、大絶叫して部屋を飛び出した。

私がこのこの転生した世界で最も嫌いなのがジンジャーケーキ!!

ショウガやスパイスをふんだんに入れたスポンジケーキを、ベタベタのバタークリームでコーティングした爆弾だ。

私はあれが嫌いで、嫌いで、大嫌い。

でもこの世界の人たちはお祝い事となると、このケーキを多用する。


部屋を飛び出した私は、なんてはしたないことをしてしまったのだろう、と反省する。

でも、だって、本当に嫌いなんだもの。

この世界は、冷蔵の技術が発達していないから、生ものを取り扱うことが少ないらしい。

そのため、転生前にあったお刺身なんてもってのほかだ。

また、すぐに果物も傷んでしまうため、できるだけ使わないもしくは火を通す。


イチゴのケーキと言えば、この世界ではイチゴジャムのケーキなのだ。

そんなの許せない!

いつかきっと、お刺身もケーキもできる世界を作ってやる!

動機は不純でいまいちかもしれないけど、まるで私は魔王のようなことを思うのだった。


「奥様~!!」


声をかけてくれたのはマリアさんである。

走ってくる様子を見て、きっとハンスから事情を聞いたのだろう。

いや、考えるまでもなく、きっと私の大絶叫が聞こえたのかも。


「奥様ぁ、何かあったんですか!?」

「え、いえ、その」

「ハンスが奥様の安否を確認しろって怒鳴り込んできました!」


あのハンスが怒鳴り込んでくる?

そ、そんなにビックリさせてしまったのだろうか。

私は騎士団長の妻になるのに、恥ずかしい。


「どうしたんですか?ゴキブリでも出ましたか?」

「いえ、そうではなくて」


ちなみにこの世界でもゴキブリはいます。

でも老舗旅館で育った私は、ゴキブリの駆除くらい、なんのその。

そこら辺のご令嬢と一緒にしてもらっては困る。


「いえ、その、結婚式のケーキがジンジャーケーキと聞いて、ショックを受けて」

「あら、嫌いなんですか、ケーキ」

「ジンジャーケーキは苦手なんです。あの香りとか、クリームとか」

「あらぁ、坊ちゃまと一緒ですねぇ」


ま、まさか、こんなところでルイと同じだなんて!

だってあのケーキは絶対にダメなのよ。

好きになれないの。

パーティーで出された時、1口食べてひっくり返ってしまった過去がある。


「あのケーキは癖が強いですもんねぇ。そうやって、夫婦の仲が深まるようにって意味らしいですよ。私の旦那は大好きだったんですけど、先に逝っちゃいました」

「え、マリアさん……?」

「あ、話してませんでしたねぇ。私の旦那は騎士団にいたんです。めっぽう強い斧使いだったんですよぉ。お酒も大好きで、ジンジャーケーキとお酒を一緒にってこともありました」


斧使い!?

まるでファンタジーの世界だな、と思ったけれど、この世界は本の中だった。

それくらい、当たり前なのかな。

でも私は、初めてマリアさんの家族の話を聞けて、嬉しいのか、哀しいのか、分からなくなる。


「マリアさん……」

「いつも出立の時は、ジンジャーケーキ食べて行きましたよぉ。だから死ぬ前はお腹出ちゃって。騎士団なのに恥ずかしかったですねぇ」

「素敵な、旦那様だったんですね……」

「はい!あの人以上に素敵な斧使いはいません。帰ってきたら、年も年だから、騎士団引退して、森仕事でもしようって言ってたんですけどねぇ。帰ってきませんでした」


だから、と言ってマリアさんは私の手を取った。

洗濯や洗い物で荒れた手が、とても温かい。

私は彼女の手がとても好きだ。

この人の作る料理や、様々なものが、命をつないでくれている。


「坊ちゃまとは、ずーっと仲良くしててください!ケーキはハンスと話し合って、違うケーキにしましょうねぇ。レモンとかオレンジにしましょうかねぇ」


爽やかケーキだわぁ、と言うマリアさんの声は、少しだけ震えて、すぐにいつも通りに戻った。

この家にいる人たちは、きっとみんな騎士団の関係者なのかもしれない。

ハンスも長年いるみたいだし、みんな、色々あるのよね。


「わ、私が、レモンのケーキを作るので……」

「あら、花嫁がケーキを?どうしましょう?でも坊ちゃまは嬉しいでしょうしねぇ?」

「い、妹も大好きなんです、私のレモンケーキ!だから、それにしませんか?ジンジャーケーキほど香りは出ませんけれど……」

「奥様がそう言うなら、ハンスに聞いてみますねぇ!」


微笑むマリアさんは優しかった。

こうして、私の結婚式のケーキはジンジャーケーキを回避できそうな感じである。


私は、早速騎士団から戻ったルイに報告した。

結婚式のケーキはジンジャーケーキからレモンケーキに変えていいですか、と。

するとルイは頭を抱えて悩み、唸りっている。


「伝統が……騎士団長の結婚式で、伝統が、崩れる……しかし、あのケーキは俺も嫌いだ!!翌日まで鼻がおかしくなる!!でも伝統が!!」

「ルイ、伝統はいつか崩れるものです。私たちが壊すか、私たちの孫が壊すか、もしかしたらお兄様が乱入して壊すかもしれません。諦めましょう」


兄のことを聞いた瞬間、ルイはいつもの冷静な顔に戻った。

招待客、しかも親族の中に兄がいるのを思い出し、現実を思い出したのかもしれない。


「そうだったな、諦めるか」

「潔いお姿も、騎士団長には必要かと」

「カリブスが来るなら、初めから無駄だったな、悩むこと自体」

「ふふ、ルイはお兄様をよくご存じですね」

「国王の目の前でだけ、恥をかきたくない……」

「同感です……」


私たちは、お兄様を大人しく席に座らせておくことができるだろうか?

難しいかもしれない。

でも、どうしようもない。

あの人は、そういう人だから。


「他の料理については、ハンスと話したのか?」

「はい、無難なものばかりかと……もしよければ、少し手を加えてもいいでしょうか?」

「構わんが、忙しくはないのか?」

「私は、そこまでは……むしろ、ハンスやマリアさんの方が大変だと思います」


そうだな、と言いながらルイはゆっくりとしたシャツに着替えていた。

背中に傷があるのは、戦争の傷らしい。

肌がきれいだから、少し目立っているのが可哀想だ。

でもこんな傷を受けても生きていたなんて、凄いことかもしれない。


「あの、ルイ」

「なんだ?」

「マリアさんから、ご主人は騎士団の斧使いだったと聞きました。もしかして、ハンスもご家族が騎士団ですか?ここの人は皆さん、ご家族が騎士団の関係者なのでしょう?」

「ハンスは、副団長だぞ?」

「え?」


よく、きこえなかった。

ハンスがなに、と?


「ハンスはああ見えて、騎士団の副団長だ。年を取ったから前線を離れているが、俺の補佐を常にしているじゃないか?ああ見えて、剣の腕はカリブスより上だったんだぞ?」

「あ、あ、あの、ハンスが??ハンスはただの、執事では……!?」

「そう見えるように、本人がしているんだ。お前の為にな。ハンスがいるから、お前をこの家に置いていても安心できるんだ」


以前、自分で老兵、と言っていたのを思い出した。

冗談というか、ただの比喩表現だと思って、本気にしていなかったのは事実。

うそ、本当に?

本当に、ハンスが?


「執事の格好なんかしなくていいと、何度も言ったんだがな。その方が溶け込めていい、だの言って。他に副団長候補もいないから、仕方がないが……」

「わ、私、副団長様を、執事だと思って!?毎日お願いばっかりして!?」

「こうなるから、やめろと言ったんだがな……」


私は、目の前がグルグル回っていくのを強く感じるのだった。