「姉さんは、ショウとオレの恩人です。大事なことに、気付かせてくれました。お礼をさせて下さい」
「目当ての薬があるんすよね?オレらに勉強を教えるためにも、姉御は病気を克服しねぇと!」
ショウ達の申し出に他意は感じられなかった。
シェリー達は、彼らにこれまでの経緯を知らせた。薬品庫は見付かっている。おそらく目当ての注射剤はその中だが、ドアロックの暗証番号が解けないこと。…………
「そういうことなら、お任せ下さい」
「解けるの?」
「プロやってると、そういうことは朝飯前っすよ」
果たして、ショウ達の豪語は口だけではなかった。彼らは薬品庫に着くと、しばらく何かメモしたり相談したりを繰り返して、やがて複雑な数式が解けた時の顔を見せた。そして、見事にダイヤル式のドアロックを開けた。
薬品庫は、そこだけが当時の状態を維持していたようだった。厳重に管理されていただけに、どの薬剤も綺麗に残っている。
ただし、これだけの数から目当ての注射剤を探し出すのだと思うと、気が遠くなる。
それでもシェリー達が棚の物色を始めると、まもなくして、あっ、とショウが声を上げた。
「姉御!翡翠さん!探さなくていいかもっす」
ショウ曰く、薬剤は品番通りに並んでいないだけで、一定の法則に則った保管がされているらしい。それは彼が学生時分に趣味としていた手描きのパズルに近いらしく、彼はドアロックを解除した時の筆記用具を取り出すと、再びペンを走らせた。
「多分、悪用を防ぐために、従事者同士で共有していた情報っす。ここ、左から二番目の数字を二乗して品番桁で割ると、棚番号が出てきます。小数点は省きましょう。姉御達の注射剤は──…」
「すごい!ショウ」
「戦争を経験した病院は、どこも似たようなものですから。ショウやオレ達新米は、賊に入ると、こういうことも教えられます」
シェリーは、ショウの導き出したガラス戸棚に振り返る。するとそこには、確かにそれらしい注射剤が並んでいた。
「有り難う、ショウ。レンツォ。色々あったけれど、あなた達に逢えていなければ、ここまで辿り着けなかったと思う。でも、翡翠にしたことは忘れないで」
「重く受け止めていますよ。オレ達は、翡翠さんに一生癒えない心の傷を残していたかも知れません。組織を抜けたら、誰かの役に立てる人間になります。償っても足りませんが……」
「よし、姉御に弟子入りすっかァ!立派な科学者になって、まずは親父をいい医者に診せる!」
ショウの姿が、シェリーの中で、かつての自分自身に重なる。
手の施しようもなかったこの身体を救える注射剤は、もう目の前だ。あれを待って千年眠った。千年眠って、ただ一つと言って良かった生きる理由を失った。当時の決断が正しかったかと自問すれば、それは分からない。十年などあっと言う間だと言って笑った母はいない。一日だってお前を忘れない、と念を押してくれた父も。彼らは、どんな思いでこの世を去っていったのか。たとえ残り一ヶ月でも、彼らと過ごすべきだったのではないか。
「開けるぜ!」
ショウがレンツォに何か指示した。
カチャ。カシャ、カシャ。
しばらく戸棚の鍵穴を物色したレンツォが、今度はショウに何か指示する。すると、ショウが彼から曲がった針金を受け取って、それを指先で動かした。
カチャン。
キー…………
「開いた?!」
翡翠が目を見開いた。振り返ってきたショウは、得意げだ。
「こんなこと出来るなら、さっき入り口も壊さず済んだんじゃないの?」
「めんどくせーんだ。でも、注射剤は万が一割るといけねぇからな!」
青年達を追い越して、翡翠が戸棚に駆け寄った。シェリーも彼女のあとに続く。
「ショウ……」
「気にするな。……姉御」
「…………」
「さっきは熱くなって悪りぃ。親父の薬剤とは、別モンだ」
安堵した。だが、それなら彼の父親を救う薬はどこにあるのか。
そんなことを考えながら注射剤に手を伸ばした時、シェリーはもの凄まじい揺れを覚えた。
ゴォォォォォォォ…………
「何?!」
がらがらと何かが崩れ出していた。バキッ、ボキッ……と不穏な音が重なって、四人の足元がぐらつき出す。
「キャァアアアアアッ!!」
「翡翠っ!」
手近な柱に捕まって、シェリーは翡翠に腕を伸ばす。だが、彼女を捕まえ損ねた。
「倒壊だ!早くしねぇと、落ちる!」
「オレ、出口を見てきます!」
レンツォが薬品庫を出て行った。
シェリーが翡翠に追いついた時、視界が激しく上下した。
「ああっ!」
その時。──……
翡翠の指先に触れかけていた注射剤が消えた。忽然と、戸棚ごとだ。
「注射剤がっ……注射剤が消えちゃう!」
「翡翠っ」
倒壊は五階にまで及んでいた。
老朽化は、思いのほか進んでいたのだ。そこにとどめを刺したのが、さっきの合戦だ。銃や爆撃による損傷が、限界を早めたのだろう。
ガラガラガラガラ…………
足場が崩れた。壁はとっくに落ちたあとで、シェリー達のいる地点から、外の眺めが見下ろせた。
ぞっとして、シェリーは絶壁のような行き止まりから、数歩下がった。
「っ、……」
突然、翡翠が地面を蹴った。
彼女が、まるで空へ向かってジャンプしたかのように見えた。