カケル達の家を発って約一時間後、シェリー達は例の山道に移動基地を走らせていた。下りに差しかかったのは、昼過ぎだ。
この先も村はなくなっているようだ。途中、遭遇したロボットの群れは、移動基地の武装機能で撃破した。
遠ざかっていくロボット達の残骸を、翡翠が窓から覗いていた。
「すごいよ、シェリー!強すぎて相手がロボットだって忘れちゃう。雨をよけるみたいに、一瞬でやっつけちゃうなんて」
「これでエネルギーがカツカツじゃなければ、文句ないわ。……ああして見ると、もったいない。リサイクル出来ないかしら」
「シェリーには、あれが敵じゃなくて素材に見えちゃうんだ?」
からからと笑う翡翠のジョークに、シェリーは思わず頷きそうになる。
この移動基地も、出来ることなら修繕したい。
やがて廃屋が見えてきた。看板の文字があと少し剥がれていたら、ここがかつて病院だったと判断し難かったかも知れない。
移動基地を停めて、二人と一匹は外に出た。屋内に入る。内部は、昼間の日差しが辛うじて視界を補助していた。
「出そう……なんか、寒くない?ここ……出るやつだぁ……!ひっ!」
シェリーにしがみついた翡翠は、道中でロボットに遭遇した時にも増して震えている。
「よく見て。蜘蛛の巣よ」
「翡翠は怖がり屋さんなのです。これで怖くないのです?」
モモカが電球に触れた途端、院内が瞬く間に明るくなった。
電気の灯った病院跡は、老朽化を除けば、今も機能していると聞いても頷けそうなくらいにはなった。
「給電してくれて有り難う、モモカ。探し物が捗るわ」
「さっそく注射剤を見付けるのです。手分けしたいところですが、翡翠は平気ですか?」
「怖くないもん。注射剤は絶対見付ける。怖くなんて……」
カサカサッ。
「ひゃぁぁぁぁぁああッ!!!!!」
翡翠がシェリーに抱きついた。
腰を抜かした彼女を支えて、シェリーは物音の正体を探る。
壁穴に入っていく小動物の尻尾が見えた。
* * * * * * *
ロボットや他の侵入者に出くわすリスクも視野に入れて、一同は手分けしない結論に至った。
院内は、武器やロボットも廃棄されている。戦争中、職員達が護身に使っていたのだろう。
ややあって、三人は資料庫の前に足を止めた。
「危機感ないね。いくら廃業したからって、こういう部屋は、物を破棄するか施錠するかしないと、悪用されるのに」
「お陰で、すぐに入れたわ。あ、これ。薬品管理ファイル」
シェリーは五冊あるそれらを抜き取って、例の注射剤のページを探し出すよう、翡翠達にも頼んだ。
通常、注射剤や点滴などの薬剤は、温度管理が徹底されている。おそらく八度以下の暗所を当たればいずれビンゴに行き着くが、手当り次第の捜索は、あまりに無謀だ。内部の見取り図を使うにしても、それらは患者や身内向けだろう。
「ない。ないっ……ない……」
薬品管理ファイルを調べて四冊目。
今日までにも何度もインターネットで見てきた注射剤は、未だ実在が確定しない。一同に焦りが現れ始める。それというのも、ここが廃屋になって随分と経つ。安全策もずさんな病院跡は、過去にも侵入者がいた可能性が否めない。カケルの情報を疑うのではないにしろ、とっくに持ち出されたあとということもある。
「こういう時ネガティブになるの、人間の良くない癖だ。大丈夫。カケルくんの友達の職場に、ちゃんと記録が残っていたもん。それが間違いならば新聞沙汰になってるよ」
「もちろんよ。どこかにある。もしかしたら管理ファイルにないだけで、案外、実物は簡単に見付かることだって……」
祈る思いで、シェリーと翡翠、モモカはページをめくっていく。
「もしかして、先に来た侵入者が、注射剤を見付けるために……」
「やだ、シェリー……怖いこと言わないで……」
次で最後のページだ。
残り物には福がある、と昔はよく言ったものだと思い出す。思い出しながら、シェリーは最後のページをめくる。
「…………」
そこには、五百年前の流行り病の特効薬が記録してあった。
「シェリー、翡翠、見て欲しいのです」
モモカが二人から離れた戸棚へ移動していた。
シェリーは、今にも崩れ落ちそうな翡翠を支えながら、モモカの視線の先を見る。薬品データファイルという文字が、目に飛び込んできた。
シェリー達が認識していた注射剤の学名は、俗称だった。各薬剤がより詳細に記された中に、それはあった。投与の対象、成分も、全ての情報が一致している。違っていたのは名称だけだ。
「いくら探しても見付からなかったはずだわ。有り難う、モモカ。翡翠も、ここまで一緒に来てくれて……」
「まだ早いよ。注射剤が見付かって、元気になってから、お礼楽しみにしてるね」
それから偶然の幸運が、シェリー達を薬品庫へ導いた。
資料庫に放置されていた看護師の制服だ。胸ポケットから覗いていたメモ帳に目を留めたシェリー達は、中を開いた。するとそこには、新人らしい看護師による覚え書きが、何ページにも亘っていた。上司からの指示をメモしている箇所もあった。彼は、あるいは彼女は、薬剤の搬入にも関わっていた。
「この注射剤、私達の探している品番に近い。同じ薬品庫に入っている気がしない?」
「もし違っても、内科の薬品庫は五階だわ」
一同は階段へ急ぐ。
息が切れるほどの道のりで、シェリー達は呼吸も乱さなかった。
気持ちが先走る。シェリーも翡翠も、そしてモモカも、注射剤の現物を見るまで落ち着かない。誰も口には出さないが、現物が使用可能であると確認するまで安心出来ない。
「良かった。シェリーも、緊張してる。そんな感じがする」
薬品庫の扉を前にした時、翡翠が口を開いた。
「生きたいと願うのは、本能だよ。私もそう。だから、一緒に生きよう。壊れかけの世界でも、今日までだって、楽しいことはあったと思う」
「ええ。……私も。翡翠とモモカの気持ちを無駄にしないためにも、諦めないわ」
扉のノブに手を伸ばす。
「え……」
薬品庫のドアノブが、回らない。
「シェリー、この蓋、もしかしたら……」
「モモカちゃん!」
翡翠がモモカの見付けた蓋を開く。ダイヤル式のドアロックが現れた。
「そんな……。シェリー、さっきのメモ!」
シェリーは資料庫から持ち出してきたメモ帳を開く。どのページにも暗証番号の覚書はない。
「書かなくても覚えられるほど、単純な番号ということ?」
「語呂合わせで覚えやすい可能性も考えられる。更衣室やナースセンターなら、メモが他にも……」
シェリーの思いつきに、翡翠達が頷く。薬品庫のセキュリティがこうだった以上、却って注射剤が持ち出されている可能性は減った。
三人は階段を駆け降りる。
ナースセンターの扉を開けた時、正面玄関のガラス扉が派手な音を立てながら、損壊した。
「明るいなぁ!電気点いてるじゃねぇか、人がいるのか?!」
「ッ……!!」
蒼白になった翡翠の口を押さえて、シェリーは待合室を覗く。
ロボットを連れた青年二人が、エントランスを見回している。
盗賊だ──…。