「翡翠さん、といったかしら。診せて下さる?」
「私のことは、お構いなく」
「痛々しくて、見ていられないわ。モモカの友達?さっきは手伝ってくれたんでしょう、お礼をさせて。困った時はお互い様です」
「じゃあ、お言葉に甘えて……」
シェリーは寝台を降りた。モモカの置いた上履きを履いて、戸棚へ向かう。
絶症がいつ治せるか、早く知りたい。両親との再会が待ち遠しくて、いても立ってもいられなくなる。あれから十数年経っているなら、彼らには多少の変化もありそうだ。そして、どう変わっても、娘の目覚めを今か今かと待ち続けていただろう。シェリーに会えば涙を流して喜び、元気になったら行こうと約束していた場所への計画を立てたりもして、まるで世界中の幸福を手に入れた微笑みを見せる彼らが目に浮かぶ。
明るい未来に思いを馳せながら、シェリーは翡翠の正面に座って、下ろしてきた薬箱を脇に置いた。
「まず、砂を拭き取るわね」
「いたっ!」
「少しの間、頑張って。放っておけば、あとあと面倒なことになる」
「うぅ……」
混入物を除く間、翡翠は顔を歪ませて、傷口から顔を背けていた。目には大粒の涙。
執念深く残った砂利をピンセットにつまむと、彼女の肩がこわばった。
「足は、良し。痛くしてごめんね。ガーゼは明日交換して、様子を見ましょう。どうしたらこんなひどい怪我……可愛い顔が台なし。転んだの?」
薬瓶を戻したシェリーは、翡翠の顎を持ち上げる。膝ほどひどくないにしても、これでは鏡も見られないだろう。よほど怪我に耐性がないのか、彼女は自ら手の甲をつねって、気をまぎらわせようとまでしている。
「はい、まぁ……そんな、可愛いなんて」
「照れなくていいのです、翡翠さん。シェリーは、相手を泣きやませるのが上手いのです」
「モモカ。余計なおしゃべりをしたら、翡翠さんが本当に泣くわ。せっかく耐えてくれているのに。でも、涙まで無理に我慢しないで」
湿らせたコットンで汚れを拭いて、液体絆創膏を塗っていく。乾くと人工皮膚になるそれは、肌への負担を最小限に抑えて傷口を塞ぐ。
「これで安心。モモカには何から聞かせてもらおうかな。お父さん達は今日、来られるの?もう身体も平気だし……あ、起きたあとのリハビリは不要という意味でのね──…私から会いに行ってサプライズしたら、どんなにびっくりさせるかしら」
救急箱を元の位置に上げながら、シェリーは続ける。
「冷凍睡眠の施術前、泣かせてばかりだったわ。それだけ愛してくれていたのに、本当、情けないほど薄情な娘だった。あの人達より先には、絶対に死なない。お父さんとお母さんを、世界一幸せな親にしてみせる。そんな大事なことに気付けた分には、病気になって、悪いことばかりじゃなかったわ」
「シェリー……」
「それに、お母さんの言ってた通り。十数年って、あっという間だったのね」
浮き足立つシェリーの視界に、翡翠の複雑な表情が触れた。
「シェリー、実は──…」
モモカの声は、まるで重い口を開く時の人間のそれだ。やはり翡翠の顔も晴れない。
* * * * * * *
「つまり、私は千年、眠っていたの?」
まだ夢を見ているのかと疑った。
シェリーがモモカに聞かされたのは、突拍子もない現状だった。悪い夢だと信じたいほど。
「千年続いた未知の戦争が、人々を絶滅の危機に追い込んだ……生存者は、戦前の六割。深刻な資源並びにエネルギー不足の影響で、生命維持装置も稼働出来なくなった、と。そして翡翠さんの怪我は、飢餓で切羽詰まった人達と、暴走状態のロボットから逃げていた時の……」
コンピューターのディスプレイに出ている日付が、モモカの話を証明していた。
「でも、そんなの……。っ、……もしかして……」
ある可能性が頭をよぎった。
コンピューターの不具合だ。
バグが時差を生んだとしたなら、同期しているモモカや生命維持装置が影響を受けていても、合点がいく。
「そうだ、通信。自宅に連絡すれば、分かることだわ」
シェリーは通信機から慣れ親しんだ番号に発信した。
「…………」
呼び出し音も、自動音声も流れなかった。
「翡翠さん」
「…………」
「今、西暦何年?」
翡翠が通信機をシェリーに向けた。市販では見たことのない機体の液晶に、コンピューターと同じ日付が出ている。
「それじゃあ、私は──…」
何のために戻ってきたのか。
目の前が真っ暗になった。シェリーを支えていた何かが崩れ落ちていく。