かつてエネルギーの源泉だった植物や死骸、廃棄物の数々は、ある時期から、ほとんど無価値なガラクタになった。資源を食い荒らす生き物でもうろついているのではないか、と勘繰るほどには。
「マシーン本体、生命維持管理装置のバッテリー残量が、十五パーセントを下回りました。至急、交換が必要です。また、半導体の一部に損傷が検出されました。代替のコイルを──…」
カチ。
スピーカーをミュートして、モモカはコンピューターを抜け出した。無線を経由して、端末に移る。この一見、何の変哲もないパンダのぬいぐるみは、ここ千年で、モモカの第二の肉体になった。
移動基地の出入り口扉を開ける。
外は、果てしなく広がる荒野だ。
人々が戦争に明け暮れた結果だ。彼らはほんの僅かな資源を補うために、莫大な武力を行使して、相互に首を締め続けた。
このところ、主人の眠る生命維持装置のメンテナンスシステムが、由々しき事態を警告している。
「生命維持装置の稼働が、限界に達しようとしているのです。あんなにしつこく聞かされなくても、目覚めを延ばし続けたモモカ本人が、一番分かっているのです……」
だが彼女を起こすには、絶望的に準備不足だ。せめて助けとなる人間がいてくれればいいが──…。
「いやァァアアアッッ!!」
突然、モモカの聴覚機能が少女の声を拾った。
* * * * * *
「はぁっ、はぁっ、ん……はぁっ、……」
カチカチ。カチッ……。
泣き喚きたいほどの恐怖に急き立てられながら、引き金を引く。だが弾切れした銃は無慈悲にも、翡翠を見捨てた。
「動いて!動いて、動いて、一発でも!私を助けて!」
麻痺した足は、いつ壊れてもおかしくない。息を切らして渇いた喉は、今にきっと、かまいたちに噛みちぎられる。
死にものぐるいで走り続けても、血眼になった村人達は、翡翠という獲物に一切の忖度もしない。
「すましやがって!可愛らしい化けの皮を剥いでやる……!」
「夫も私も子供達も!先週から雑草で食いしのいでいるんだよ!育ち盛りの子供がな!!それを知らんぷりして、そんなものもひとり占めする人でなしっ……貴様、ろくな死に方しないぞ!!」
カチッ。カチッ、カチッ。
「はっ……ハァッ、ぁ、ハァッ!……何でよっ、はぁ、何で……!」
狙撃には自信があった。それというのも昔、翡翠には多くの家庭教師達が付いていて、彼らの中には銃や体術の達人もいた。翡翠も護身に必要な授業をひと通り受けていたのだ。
授業は役に立たなかった。肝心な時、翡翠は全ての弾を外した。一度でも命中すれば時間を稼げたのに、人間相手に本領発揮は無理だったのだ。彼らに捕まれば、やっと手に入れた干し肉どころか、自分の身も危うくなるのに。
ウィィィィン……ウィィィィン──…
ところで、翡翠はロボットからも逃げていた。
組織や限られた人間のみ所有しているロボットは、度々、管理元不明の個体が出没する。彼らは人間を襲う。今まさに翡翠を追っているのが、その類のロボットだ。
何故、こんな目に遭うのか。自分は前世でどんな悪行を働いたのだろう。…………
どたん!
石ころにつま先を引っかけて、翡翠は顎と膝を地面に打ちつけた。
「ガキ、覚悟しろ!」
「いや……いや……」
傷口がじんじんと痛む。抉れた皮膚から滲み出す血が、膝を汚す砂に染みていくのが分かる。怪我の程度を確かめたいが、見れば痛みが増すのは目に見えている。
翡翠はよろよろと腰を上げる。道を這う格好で、地面を蹴った。
幼い時分は、文字通りこんな風に這いつくばっても生きるために必死になる自分の姿を、想像もしていなかった。
何をどう間違えれば、ここまで落ちぶれるのか。両親を恨むのは筋違いだが、十代前半まで並外れて恵まれていた分、貧乏くじを引かされたとしか思えない。
「私が何したの……はぁっ、はぁっ、許して……もうやだ……やだぁぁっ……」
ウィィィィン……ガシャン!ガシャン。ひゅっ。
「ひっ!」
翡翠より拳ひとつ分ほど背丈の低いロボットが、不気味に銀歯を覗かせて、両腕を前に伸ばした。筒状の手首の先はない。そう見えたのは一瞬で、空洞から突き出た長い長い手が、翡翠の二つに結った黒髪の先に掴みかかった。
その時、両者の間を光の壁が立ちはだかった。
バチッ!
翡翠から血の気が引いた。
ロボットが弾き飛ばされたのだ。電気ショックを受けたようだ。まかり間違えば、翡翠がこの壁に触れていたかも知れないし、それでなくてもあれに捕まるところだった。
村人達が追いついてきた。だが、電気バリアは翡翠を守って、半球体を維持している。
キュウルルル!クルル!
体勢を持ち直したロボットは、進行方向を真逆に変えた。つまり翡翠を追跡していた村人達に振り向いたそれは、捕らえられなくなった獲物から、狙いを別に定めたのだ。
「おい、こっち見てないか?」
「ちょっ、待て……待て!来るな……!」
「お前の獲物はあの娘だ、やめろ……来るな……何だお前、わぁああアアッ……っっ」
「私達が何をしたって?!命だけは……は、話そう……持ち主は?!勘弁してーーー!!」
ロボットに追われる村人達が、遠ざかっていく。
つと、翡翠は足元にいる小さな何かが視界に触れて、飛びのいた。
「ひぇっ!」
「ああっ、ごめんなさいです」
足元から、拍子抜けするほど愛らしい声がした。
条件反射的に身を固くした翡翠とは逆に、今しがたの声の主は、後方の箱型の建物の段差に飛び乗った。翡翠と彼女の目線の高さが等しくなった。
「初めましてです。モモカは、モモカといいます。ここはモモカのご主人様が眠っている移動基地で、モモカは、彼女の生命維持システムを支えるための資源、並びにエネルギーを集める人工知能なのです。本体は中のコンピューターなのですが、この通り端末に意識を移せば、外にも出られるのです」
「ロボットじゃ、ないの……ですか?」
「人間はロボットを危険と認識しているのですね。ご心配は無用です。モモカはあなたに危害を加えられませんです。さっきのバリアは、移動基地の自己防衛システムが作動したものなのです。あなたが助かって、運が良かったです。モモカにとっても」
「あなたに……モモカさんに、とっても……?」
「どうかお気軽にお呼び下さいです。人間が親しみを込める時のような呼び方で、です」
「モモカ、ちゃん……。あ、私は、翡翠です。よろしく」
確かに、モモカから悪意は感じない。それに彼女は、他のロボット達に比べて何か違う。知能も精巧に作り込まれている感じがある。
「翡翠さんですね?付いてきて下さいませんか?です。お怪我もされているようなのです、手当しないと大変なのです」
人工知能と分かっていても、こうも優しい言葉をかけられたのは、久し振りだ。
翡翠は、どう労えば人間は落ち着くのか習得しているらしいモモカの対応に目尻が熱くなるのを感じながら、彼女のあとを付いていく。