軍服の炸裂する槍は、尚も私を追い込んで行く。
「オラぁ! 楽しいなぁ猫の餓鬼!」
最悪の気分だった。
魔力がことごとく吸収されていく様は、私にとって絶望的だ。
霧を張って逃げようにも、空気中のそれさえ食べられてしまう。
「無駄だってわかんねぇのか!? バカな部下を持った主人が悔やまれるぜ!?」
「っ────!」
恐らくアデク隊長のような豪腕なら、無理矢理にでも迫る口の防御を突破できるのだろう。
ララさん程の魔力なら、吸収される魔力なども圧倒して、攻撃を叩き込めるに違いない。
リアレさんレベルのスピードなら、相手が捉えられない程の速さで、装甲の薄い場所を狙い撃ちできるはずだ。
でも私には、彼らのような強さは持ち合わせていない。
私に何かあるとすれば、きーさんが側にいてくれる事くらい────
「……………………」
〈ど、どうしたの……?〉
「前にもこんな事、ありませんでしたっけ?」
そう、あれは「威霊の峡間径」でのトラウマ。
精霊でも魔物でもない謎のバケモノ、“ねばねば”に襲われたときの状況に近い。
たしかあの“ねばねば”も魔力を吸収する生態だったけれど、変身したきーさんの攻撃は充分に効いていた。
精霊は魔力の塊なのでそう言う敵に触れるのは危険だけれど、きーさんの変身は物質そのものに体も置き換わるのだ。
事実、先ほどあの軍服は魔力は吸収しても、槍の攻撃自体は歯で防いでいた。
〈だからどうしたのさ! 防がれちゃうんじゃ意味ないだろ!〉
「ごもっとも。でも、それって触れなきゃいいってことになりませんかね?」
〈うーん、考えてることが分かってきたぞ……〉
一か八かの方法だ、それに私はもちろん、きーさんも危険に晒してしまう。
〈そんなの今さらだろ。やるならとことん、だよ〉
「ありがとう。もう少しだけ、付き合ってください────ねっ!」
私は槍にしたきーさんと共に、大きく後ろに飛び退いた。
「クソがっ! 逃がすかよ!」
軍服が切っ先のリーチを伸ばして迫ってくる。
しかしそれよりも早く、私は足裏から空気を噴射して移動し、その手を逃れた。
「ここまでは追って来れないですね」
軍服はというと、先ほど出した空気の魔力の残り香を食べていた。
私はその隙に充分に距離を取ると、きーさんを小さな指輪に変える。
「“ティール・ショット”!」
氷の弾丸を、バルザム教官に向かって一直線に飛ばす。
軍服はここぞとばかりにクチをあんぐりと開け、それを吸収しようとしていた。
「きーさん今ですっ、大岩に!」
「にっ!?」
弾丸と共に飛ばしたきーさんの指輪を、飲み込まれる直前に大岩に変身させる。
単純な質量が突然飛んできた軍服は一瞬怯んだ。
「くそがっ! 砕いてやる!」
自分が潰される前にその岩を破壊しようと、軍服は腕を槍へと変えた。
「一瞬だけ“精霊天衣”!」
きーさん扮する岩が崩される前に、私はきーさんと心を合わせた。
この程度の距離なら、精霊天衣で一体化する際に、距離を詰めることが出来る。
長時間は無理でも、きーさんに近づくくらいなら、今の体力ならば何とか可能だった。
「また下らねぇ目眩ましかっ!?」
しかし突然目の前に現れた私にも、軍服は今度は怯まずに反応してきた。
「ははっ! わざわざここまで刺されに来るとはよほど死にてぇらしいな!」
「“ウィステリアミスト”!」
“精霊天衣”を解いた私は、身体から普段目眩ましに使う霧を噴出する。
しかしやはり、その魔力は軍服によって、身体中から出現させたクチから吸収させられてしまう。
「効かねぇつってんだろ! しつけぇ!」
「分かってますよ、狙いはそれじゃあないですから────」
この軍服は、一見自由に振る舞っているようにえて、いくつか習性がある事を、私は掴んでいた。
まず、軍服は形や固さは変えられても、服本体より大きい面積には決して変わらない。
槍のように変質している部分も、実は身体のどこかの布面積を借用しているか、服の延性を利用しているだけだ。
そしてもうひとつ、軍服は自分の攻撃のために放たれた魔力は、
主人を護るための防御反応なのか、それは本人自身も逆らえないもののようだった。
「だからこそ、今貴方の正面はガラ空きなハズです」
「しまった!」
四方から出現した無数のクチは、必死に周りの霞を食べようとする。
私はそこに低い体勢のまま槍を構えると、そのまま軍服の腹部分に向かって、突き出した。
「────とでも言うと思ったかぁ!? クチなんざ喰らわねぇ分までだしゃいいんだよっ!」
「っ……!」
槍は難なく、軍服が新たに出現させたクチに、ガッチリと挟まれていた。
先ほどと変わらない展開だ。
「だと思いましたよ……」
ただし、先ほどと変わらないところもある。
それはこの軍服が私だけではなく、霧を食べるために、360°に意識を向けていることだ。
私は両手に魔力を込め、槍をもう一段強く握った。
「“マロー・スピン”!」
「グギっ────!?」
ゆっくりと、手元の槍を回転せる。
全体に意識を向けている軍服は、その分噛む力が弱まっていた。
「貴方が軍服の化身であるならば、その面積を減らします。
このまま巻き取ったら、貴方も身体の維持はできなくなりますよねっ……!」
「て、テメェ!」
軍服は槍から、魔力を吸収しようとする。
しかし今、槍を回転させているのは私の手から流れる魔力だ。
ドリルのような切っ先には、魔力は一切流れていない。
「ぐえぇっ!?」
「いっけえええっ─────!!」
なす統べなく叫ぶ軍服に構わず、私は槍を回転させる。
アデク隊長のように強くなくても、ララさんのように多くなくても、リアレさんのように早くなくても!
私は私に今出来る事の、最大値を!!
「気は済んだか」
「えっ……?」
声がした瞬間、高速回転させていたハズの槍は、あっさりと2本の腕に止められていた。
顔をあげるとバルザム教官が私を見下ろしている。
まさか、このタイミングで、眼を醒ましたのか────
「最悪だ、悪い夢を見ていたらしいな」
「っ!?」
マズい、ここでバルザム教官が眼を醒ますのは想定外だ。
例え彼がどれだけ不利な状態でも、その差は一瞬で埋められてしまうほど、私たちの実力差は離れている。
反射的に私は急いで後ろへ下がろうとして、そのまま足がもつれて地面へ転がった。
身体はとっくに限界を大きく越えている、もはや槍を持ち上げることすらままならない。
「ど、どうやって────身体の束縛はまだ続いているはずです……」
「オレがここで動けている意味を、先まで対峙していたた貴様なら分かるはずだが?」
見ると、先ほどまでそのからだの主導権を得ていた軍服は、クチからダランと舌を出したまま動かなくなっていた。
しかしまだ服にその特徴が残っているなら、
「まさか……」
軍服が千切れる直前、目を醒ましたバルザム教官は、瞬時に状況を把握し、あの軍服を支配下に置いたのだ。
そして軍服の外骨格によって無理矢理身体を動かし、私の攻撃を止めた。
だとすれば、絶望に拍車がかかる。
ただでさえ勝てる見込みの無いバルザム教官の実力に、あの厄介な軍服の能力が加わったのだ。
「まさかこのオレが、能力に目覚めるとは。思ったより気分は良くないな」
「でしょうね。多分、全身の骨が折れてますよ……」
先の軍服との戦いで、その本体であるバルザム教官の身体は、動く度にダメージを受けていた。
それでも尚眼を醒まし動くなら、彼は今、間違いなく命を懸けている。
そして同じように満身創痍である私は、彼の決意をバカバカしいと一笑に伏すことも出来なかった。
「オレも命を賭す覚悟はあるが、自殺志望ではない。
今すぐ拘束を解け、見逃してやる」
「出来ません」
きーさんには申し訳ないけれど、私は即座にそれを否定する。
それでは釣り合わない。少なくとも、私も含め誰も納得しない。
「やはり、オレの考えが気に食わんか? だからここで、食い止めようと?」
「バルザム教官の考えは、立派だと思います。
多分、方法はどうあれこの先、戦争で苦しむ人は少なくなるでしょう……」
バルザム教官の手によって、観客たちが殺されてしまったとして。
それが引き金となって戦争が終わって、何世代も過ぎて。
みんなが憎しみも忘れるほど人々が遠くに来れば、それは必要な犠牲だったと言われるかもしれない。
人は誰だって、多かれ少なかれ犠牲の上に成り立っているんだ。
私の産まれた国は戦争のない国だったけれど、それでも過去には沢山の血が流れたと聞いていた。
だから、今、どれだけ血が流れようとも。
未来に遠くにいる彼らが、子供たちが笑顔でいられる国になっているのなら。
それを、
今の私は、それを真っ向から否定する
「ならばなぜ邪魔をする!? 理解して尚命をとして阻む理由が、貴様にある訳か!」
「
私は立ち上がる。
もう、いつ失ってもおかしくない気を張り、バルザム教官を睨み付ける。
「そんな事のいわれが必要なら、後でゆっくり考えますよ……」
ここで私が戦う理由、それを答えるのは今の私じゃない。
一度止めると決めたのだ。動機も迷いも後悔も、今の私にはもう必要ない。
立って、目の前の人を止めて、その後に考えればいいことだ────
「くだらん。なにひとつ矜持の無い貴様が、
「がっ……」
起き上がった私は、バルザム教官に足を掬われた。
無様に地面に伏せた私は、そのまま顔面を蹴られて横たわる。
「うぅ……ぶっ……」
鼻の奥から血が、泡になって流れていった。
しかしそれも地面に垂れる間も許さず、腹に、顔に、胸に蹴りが何発も入れられる。
「ぶぁっ……ぐばっ…………」
もうバルザム教官の顔さえ良く見えない、口の中も嫌な味しかしない。
こんな時耳だけは何故か、彼の息づかいまで鮮明に拾う。
胸の奥から酸っぱい血が溢れて、2本の歯と一緒に吐き出した。
「最期になるな。まさかオレの手で殺すとは嫌な因果だ。哀れなヤツめ」
その瞬間見えた彼は、やはり私の眼など見てはいなかった。
彼の変装を見破って、大会の本戦まで残って、最高司令官の資格まで引っ提げて、少しはバルザム教官も私の話を聞いてくれるのではないかと、たかをくくっていたのだけれど。
しかし彼は私の交渉に応じるどころか、敵として私を認めた瞬間さえなかった。
よくよく思い出せば彼から出る怒りの言葉も、私以外の最高司令官に向けられたものだった。
「終わりだ」
鋭いものが心臓を貫く感覚はあるのに、最早痛みも感じない。
薄れそうな意識の中で、地面に私の血溜まりが広がるのが見える。
うすら寒いような風が背中を吹き抜け、私のまぶたの裏に見たことのない景色が映っていく。
もしかしてこれは、走馬灯というヤツだろうか。
こんな所が私の行き止まりだなんて、そんな────