苦しい、息が詰まりそうだ。
しかし私はバルザム教官よりも俄然冷静だった。
観客達は避難が始まっている、もうすぐ援軍も来るはずだ。
それに、まだ希望は捨てられない。今さら手遅れだなんて、思いたくない。
「いま、貴方はバルザム隊のメンバーだった人たちは、既に亡くなっていると言いましたね。
でもそれなら彼らを誘拐などわざわざする必要はなかった、違いますか?」
「何が言いたい……」
「失踪するだけなら、貴方一人いなくなるだけの方がよっぽど楽にできたはずです。
それをせず彼らを誘拐したのは、彼らに何らかの利用価値があったからでしょう?」
あの時迷いの森で、私一人が迷子になって助かってしまったのは、今でも夢に見る。
ただ、あの場では無力な私はどうすることもできなかった。
隊のみんなの失踪がバルザム教官によるものなのか、本当の神隠しなのか判断できなかった。
まだ出会って間もないアデク隊長に本当の事を話す事も出来なかった。
いくつものできなかった、やれなかったを繰り返して、その度に吐く程悔やんできた。
失ったもの、過ぎ去った時間は取り戻せない。
けれど今、目の前には最後のチャンスが口を広げている。
「彼らは生きている。帰してもらいますよ、どんな方法を使ってでも」
「ハッ、口先だけで理想が叶うと思ってるなら楽に生きてきたもんだ。
そう言うおべんちゃらがどれ程の罪なのか、教えてやる」
プライドの高いバルザム教官の性格的に、私を目の前にして逃げるはずがない。
あと少し時間を稼げば、助けが来るはずなのだけれど────
「終わりにしてやる。真相なんてどうでもいい、ここでお前との関係────を……」
しかしそこで、彼は言葉を詰まらせた。
いや、単に状況の詰みを悟ったからではない。
彼の目線は私の後ろ、その先の観客席の一番上に向けられていた。
「バルザム・パース、貴方程の勇者が、ここで終わるはずないわよね?」
「っ!!!?」
援軍かと期待したが、違う。
誰か予期せぬ女性の来訪者が私の背後、観客席にいる。
その声を聞いて、背中越しにも関わらず私の全身に鳥肌が立つのを感じだ。
しかし、理由は自分でも分からない。
その声は粘りつくようで、ともすれば慈愛に充ち溢れたような穏やかさなのに、私の本能の全てがその声を拒否する。
振り向こうとしても、その声の方向を見ることができない。
「貴様、なぜここに……」
「バルザム、久方ぶりの帰郷はどうかしら? その様子なら、きっと楽しめたのね」
「……………………」
そこには一人の少女が立っていた。
それはスピカちゃんやクレアよりも更に幼い、ドレスを着た少女だった。
「魔女がっ、白々しい。オレを始末しようって魂胆か?」
「始末を? なぜ? 貴方はよく、やってくれたわ。
おかげで私も、ようやく、ここに、立てたのだから」
およそ見た目とにはそぐわない甘ったるい声を上げて、彼女はおどけて見せる。
言葉そのものは否定しても、それを実行できるだけの力がある────
気配や言葉、一挙手一投足から感じる重圧は、それが原因だと気づいた。
「なら、何故ここに来た。貴様の出る幕ではないはずだ」
「さっき、いいことを考えたの。貴方の願いを叶えるの、ほら」
彼女が軽く手を振ると、薄い電気のようなものが、彼女の周りへと流れた。
「な、何をっ?」
その電気はアリーナを取り囲む観客席に波及して行く。
パニックになり逃げていた観客達の一部、逃げ遅れた人たちにその電気が当たってゆく。
「な、何だ!?」
「ぎゃっ……!」
するとそれに当たった彼らはその場にバタリと倒れ、動かなくなった。
「な、何を────や、止めてください!」
「貴様! 民間人に手を出すのか!?」
そしてそこにいた全ての観客が倒れて、アリーナは静まり返る。
そこに残るのは、私とバルザム教官と、尚も穏やかに笑う少女だけだった。
「手を出す? それは誤解ね、大きな誤解。
「眠って……」
確かに、倒れた人たちの中から僅かに寝息が聞こえる。
意思がないので聞き取りづらいけれど、彼らはどうやら彼女の言う通り、眠っているだけのようだ。
「そう、ですか……」
ただそれが良かったと言える程、状況は好転していない。
彼女が、観客たちを気絶させた理由────
例えば目撃者を減らしたかったのなら、未だ街に放送され続けているプロマの機械を先に破壊するはずだ。
にも関わらずここにいる人たちを殺さず、逃がさず、留めておく理由は、多分私の想像する最悪中の最悪だ。
「あとそう、これね」
もう一度彼女が手を降ると、アリーナの天井がピンクのかかったバリアで覆われて行く。
アリーナのシェルター用装置だ────
本来この建物は、大会競技やイベント用の施設の他に、外部からの敵が攻めてきた時、人々を避難させるための緊急用シェルターの役割も持っている。
「少しここの設備を使ったわ、面白いものがあるのねこの国は」
「そんな……」
そしてバリアが完成し外からの干渉が不可能になった時、ここは完全な密室と化した。
私たちはあの少女の手によって、このアリーナへ閉じ込められてしまったのだ。
「貴様の意図が見え無い、目的を言えよルール・ネク。
「貴方の願いを叶える方法、と言ったでしょう?」
心底愉快だとでも言うように、ルールと呼ばれた少女は笑う。
「今しがた倒れた観客の人たち、彼らが死んでしまえば国にとっても大きな損害よ。
もちろん街はパニック、街の外で戦っている軍人さんたちも混乱するはずね」
急に氷を流したような声で彼女は言う。
確かにそうだ────軍の本拠地であるこの街で数千人規模での死傷者が出れば、街の北東、広野の向こうで戦っている軍隊の指揮や作戦にも影響が出る。
彼らにもこの街に家族がいて、友達がいて、残してきた仲間がいる。
プロマで中継をしているなら尚更、今この街でその規模の災害が起きるのは、国にとってもかなり不味い。
バルザム教官はその戦いの隙を突く形で王に接近するつもりだったようだけれど、あの女の子はその状況をさらに利用してきた。
ただそれは、多くの命のやり取りを盤面上で見ているようなものだ。
あんな小さな子どもが簡単に思い付いて、実行していい方法ではないはずだ。
「────なら貴様がここの人間を殺せばいい。貴様自身がそうしない理由は?」
「もちろん魔力が足りないから、私一人にそれは背負えないわ。
ここまで来るのに大半を割いてしまって、さらに今のは骨が折れるの」
「ふん、だからオレに丸投げすると?」
バルザム教官は心底不快そうに唾を吐く。
「舐めるなよ! オレにここの人間を殺してまわれと言いたいのか!?
オレが
「貴方、自分の目的を忘れたの?」
吸い込むようなルールの視線が、バルザム教官を捉える。
たった一言、それだけのはずなのに、彼は少女から眼が離せなくなっていた。
「貴方が何故愛する祖国を敵に回してまで、こうすることを選んだのか思い出してもみて?
私は今まで一度たりとも、強要はしなかったはずよ」
「──────っ……!」
彼のその絶句が暗に、ルールと呼ばれた少女の行動を肯定しているものだと、私は理解してしまった。
やっぱりバルザム教官の目的は、昔から変わってはいないのか。
「分かった。魔女の言葉に乗るのは癪だが、オレがここで終わらせてやるよ」
そう言って、バルザム教官はこちらを睨んだ。
彼の眼は鋭く射抜くようで、その実覚悟に染まっている。
「そこを退け、これでも貴様には情がある」
「出来ませんよ……」
ここで引くわけには勿論いかない。
私は再び、きーさんの槍を握り直した。