私には小さい頃の記憶がない────
「ティナお嬢様、おはようございます」
ある朝起きると、私は知らない家で知らないおじさんに起こされた。
知らないお家に、知らない人たち。
私の人生という記憶は、その瞬間から始まっている。
「────おじさん、だれ?」
「私はこのお屋敷の執事でございます。さぁ、お着替えを」
言われるままに渡された服を着て、案内された部屋へ行って、父だという人物と母だという人物と朝食を食べたのを覚えている。
ここがどこかも思い出せない、自分の名前も思い出せない、周りの人に聞いても、ただ適当にかわされるだけ。
ただ自分の暮らすここが自分の居場所でないことは、確かに感じていた。
よく考えたら、もう13年も前の事なんだよね────
その日から私は、「ティナ・マイラー」として今日まで生きている。
※ ※ ※ ※ ※
多分記憶を無くしたってのは私の勘違いで、私は他の人より物心つくのが遅いだけだよって以前ルーナから聞いて、なるほどって思った。
そんな勘違いで距離を置いてしまった両親には申し訳ないけれど、私をこのお店で働かせてくれることを許してくれたカレンおねーちゃんには、とっても感謝してる。
図書館司書やカフェ・ドマンシーで働く生活は、忙しいけれど実りのあるものだ。
仕事場ではともかく────周りの人とも上手くやれているし、ここが私の居場所なんだって、初めて実感できた。
「あっ、もうこんな時間。私戻るね」
「分かった、そろそろ明かり消すゾ。今日もありがとな」
「うん、おやすみ」
カフェ・ドマンシーの奥にある、私たちの宿舎。
いつものようにルーナの部屋でお話をしていたら、つい遅くなってしまったことに気づく。
もうおねーちゃんとリタさんは、寝てしまっているだろうか。
私は部屋を出て、自分の部屋へ戻る前に水を一杯いただこうと一階へと降りる。
「………………ん?」
キッチンに降りたとき、お店の方から小さな話し声が聞こえてくるのに、私は気づいた。
お店はとっくに閉店していて、お客さんなんているわけがない。
他の3人も寝ているはずだから、こんな時間に誰かが話しているなんて考えられない。
だったら考えられるのは────
「泥……棒……?」
だとしたら大変だ、このお店にお金になるようなものがあるわけじゃないけれど、無くなって困るものはたくさんある。
一瞬誰かを呼んでこようかとも思ったけれど、もし間違いだったらと思うと、こんな夜遅くに迷惑をかけてしまうのも憚られた。
ここは私だけで確かめなきゃ────
厨房からそっと顔を覗かせると、小さい明かりが灯っているのが見えた。
誰かがお店のテーブルを使って、食事をしているようだ。
「少し、ウマくなったな。6年前より、よっぽど好きだ……」
「まぁ、ね。ずっとお店やってるから……」
私は会話している2人の姿を見て、思わず叫びそうになるほど驚いた。
「───────!!!!!!!!!!!?」
慌てて口元を押さえて、厨房に隠れる。
店内にいたのは、なんとおねーちゃんとアデクさんだった。
え、何で!? 何故なぜ!? どうしてっっ!?
「こないだ部下の昇進祝いでここに来た時の料理も、美味しかったよ。
あれ全部リタが作ったわけじゃ、ないんだろ?」
「……………………そうよ、半分は私が作った」
確か2人は犬猿の仲だったはずだ。
おねーちゃんはアデクさんと目が合うだけで殴りにかかったし、アデクさんもおねーちゃんを大泣きさせたんだった。
以前アデクさんはおねーちゃんに謝るって約束を私としてはくれたけれど、それもとっくに忘れたか反故にされたと思っていた。
最近は少し関係が改善したとも聞いていたけれど、まさか夜中コッソリ会ってご飯するまでになっていたなんて────!!
「いやー、驚きましたよね」
「───────!!!!!!!!!!!」
突然すぐ横の暗闇から声がして、私はまた叫びそうになる。
私1人だと思っていた厨房には、先客がいた。
いつからいたのか────ここでバイトをしている、エリアル・テイラーちゃんが、私と同じようにそこでしゃがんでいた。
「あ、叫ばないで、叫ばないで、落ち着いて」
「落ち着けるわけないでしょ……! なに考えてるの……!」
当然のようにそこにいたエリーちゃんだけれど、閉店後のお店に勝手に入ってコソコソしているなんて考えられない。
それに、ここに隠れている理由も分からなかった。
「な、何してるの……? 何で隠れてるの……?」
「そりゃあ、ティナ────ちゃんと同じですよ。
あの2人邪魔しちゃあ、イケないと思って」
「あぁ……」
そう言えば私も2人を見つけて、同じ理由でとっさに隠れてしまったんだった。
何だか今の2人に、下手に触れたら壊れてしまいそうな儚さを感じたからだ。
いつ暴発するか分からない、危険な爆弾とも言える。
「で、何でここにいるの……?
「色々事情がありまして、あまり聞かないでください。
一応リタさんには許可とってますから」
「えー」
まぁ、エリーちゃんに限って泥棒や悪いことをするとは思えないし、リタさんがいいって言うならいいか。
でもそれならリタさんもエリーちゃんも、2人がコッソリ会う事を、知ってたことになる。
たまたま覗いてしまったからいいけれど、なんだか仲間外れにされたみたいで癪だった。
「それより2人、いい雰囲気ですね」
「まぁ、そうだね……」
口喧嘩から始まったので忘れそうになるけれど、そう言えば2人は元々軍で同じ隊だった上に、アデクさんが引退するときも、一緒に森で暮らそうと約束していた間柄だった。
多分、男女の仲────にかなり近い関係だったんだと思う。
それが拗れてこうなってしまったので、ある意味あれが本来の2人の姿なのかも知れない。
「ごちそうさま、美味しかった。まぁ、85点だな」
「はぁ!?」
アデクさんの余計な一言に、おねーちゃんが喰ってかかった。
空気がピンと張りつめたのが、よく分かる。
正に一色触発、ちょうど一年前くらいの惨劇が、私の脳内にありありと蘇ってきた。
「あっ、また喧嘩になるっ……! 止めなきゃ……!」
「待ってください」
2人の前に出ようとすると、エリーちゃんが私の袖を掴んで制した。
多分もう少しで声が出ていたけれど、どうやらアデクさんもおねーちゃんも、こちらには気付かなかったみたいだ。
「な、何するの……! また2人が暴れたら、今度はお店が壊れちゃうよ!」
「2人ともいい大人なんですから、さすがに上手くやるでしょう。
まだなにも起きていないなら、放っておいていいのでは?」
「えぇ……」
エリーちゃんはそうは言うけれど、ここで住んでる私からしたら、最悪建物が崩壊するかもしれないのでそこまで他人事に出来ない。
「はーーーーーーっ……」
それでも少し冷静になって恐る恐る覗いてみると、おねーちゃんは聞いたこともないくらい深いため息をついていた。
「何だ?」
「変わらないわね、貴方は。ほんっっっっとに、昔っからそう!」