「オエエっ……」
「うわっ、汚ねぇ! テメェ何しやがる!?」
慌てて飛び退いた【BJ】、しかしその後から続く巨大な
「あっ────」
「オエエッ」
人の吐く所なんて、よっぽどの事がなければ覗きたくもない。
でも、目の前で起きているそれは多分、よっぽどの事に含んでもいいような────
「なに、あれ……」
勘違いでも、見違いでもない。
目の前で嘔吐するライル君の口からは、吐瀉物の代わりに────黄金に輝く巨大な腕が延びていた!!
「な、なんじゃこりゃっ!? ぐおっ────!」
対応するまもなく、強烈な一撃を食らって大きく吹き飛ばされる【BJ】。
その隙を狙って、さらにライル君は数歩乗り出して猛追をした。
「オエッ! オエッ!」
「クソッ、ふざけやがって!」
ライル君がえずく度に、口から巨大な黄金の腕が現れてパンチを放つ。
動揺した【BJ】は強力な腕の膂力に押されて、グラグラと後退した。
「ぼええっ!」
「クソがっ! “
鋭い反発力の突きと化した【BJ】の左腕が、巨人の腕と真っ向からぶつかる。
ギリギリと金属が擦れるような高い音がこだまして、本来拳同士のぶつかり合いでは巻き起こらないはずの火花が、辺りを焦がす音がする。
「っ────っ!? かてぇっ!」
「ぐえっ!」
ぶつかり合う腕と腕、何秒かの瞬間の末、ついにライル君の発する黄金の腕が、巨大な質量で敵の拳を圧倒した。
「──────どわっ!」
吹き飛ばされた【BJ】は、壁に打ち付けられて激しく悶える。
「いっ──ぐそっ……」
フラフラと立ち上がろうとするも、血を僅かに口から吐いて膝を付く。
ライル君の黄金の腕に押されて、立ち上がることさえままならないらしい。
「おおぉ、おぉ腹空ぃいたぁぁっ……」
「だ、大丈夫……?」
「まだ、倒れられないよ……」
そういえばライル君は、能力を使うととてもお腹が空いてしまうと聞いた。
あの腕の巨人とライル君は一心同体のようだし、大きな体を動かすにはそれだけ栄養も必要なんだろうか。
「さ、最後だよ──オエエエエエエッ!」
「────────っっっ!!」
最後、とばかりに今までと比べ物にならない。
思わず呆然としてしまうほど巨大な両腕が口から出てきて、左右に開いた。
「ふ、ふ、ふ────」
巨大な影を前にした【BJ】、断末魔にも聞こえるその最後の言葉は、私にもなんとなく予想が出来た。
「ざけんなぁぁぁっ!」
パンッ────
土煙をあげて巨人の掌が敵を押し潰した。
思わず眼を背けていると、いつの間にか腕はライル君の口の中へ戻っていた。
「ぐぐぅ、もうダメ一歩も動けない……」
「大丈夫ライル君!? な、なんだったのあれ……」
倒れこむライル君を、今度は私がキャッチする。
さっきのが、ライル君の
あんな大きな生き物を体に飼っているなら、そりゃ燃費もよくないのも納得。
充分強いように思えたけれど、やっぱり実践で使うのは難しかったんだろうか。
「お疲れ様……」
「おねえさんに誉められた──ふへへ、うれしぃ……
頑張って能力、鍛えた甲斐があったよ……」
力いっぱい動き回った後、疲れて眠くなってしまった子供のように、ライル君はウトウトし始めた。
全く、いい笑顔ですこと。
「とりあえず皆のところに戻らなきゃ……」
「テメェら────よくも……」
「えっ────」
まだ、意識があったんだ────
さっきグシャッとされたはずの【BJ】は、それでも立ち上がりこちらを睨み付けていた。
見るからに折れていそうな腕や足の骨。無事ではなさそうだけれど────
「まだ、やるの……? 今度は私も、相手になるよ」
「ちっ──ガキ2人と遊んでる暇はねぇわ。
ごっこ遊びならテメェらで永遠にやってろ」
「あっ……」
そういい捨てると彼は、バネのような魔力で廃屋を飛び越え、どこかへと行ってしまった。
「に、逃げちゃった……」
今から追いかけようか、でもそうしたところで追い付けるかも、勝てるかも分からない。
何よりこんな状態のライル君を放っておくわけには────
「おねえさん、あいつら、ソニアを狙おうとしてたん……だよね……」
「うん、そうだけど────」
「止め、ないと……」
そう言って、ライル君は手をついて立ち上がろうとする。
「そんな体で、ダメだよ! 私が追いかけるからライル君はここにいて!」
今のライル君は、元気なときと比べてかなり消耗しているように見えた。
最初会ったとき倒れていたくらいだ、それからパスタしか食べていないし長い時間誘拐もされていた。
これ以上使ったらもしかしたら、餓死もありえるんじゃ────
「追い付けないよ、あの人あれでもタフさが自慢の元軍人さんだったんだ」
「彼の事、どれくらい知ってるの……?」
「元々、ハムロレイ隊っていって、あの人たちは仲間だったんだ、オイラ。でもみんなの暴力がひどすぎて、解散になっちゃった。
いろんなところでみんなの悪い噂は聞いていたけど、目の前であんなことしてるのに見過ごせないよね……」
かつてライル君はララ隊やバルザム隊にも所属していたと、イスカたちは言ってた。
ハムロレイ隊も、色々なところを転々としたうちの一つだったんだろう。
「ありがとうおねえさん、パスタ美味しかったよ。
それにね、ここでやらなきゃ」
あ、ダメだ。私は直感的にそう思った。
彼はもう、何を言っても多分聴かない────
女の子みたいな可愛い顔して、眼だけが覚悟で燃えている。
「ここでやらなきゃ、男が廃る。でしょ────? オエエエエエエッ!」
「あっ────」
先程までとは比べ物にならない程長い長い嘔吐、しかし彼の口からはなにも出ていなかった。
その代わり、徐々に身体に沿って金色の線が流れていく。
腕や身体、足や首、口元に至るまで、血管のように波打つ金色の線が流れていった。
そして束ねた髪の色が、生え際から金色に染まってゆく。
「ら、ライル君……?」
「やれやれ、このアホが……」
その声は、さっきまでのライル君とは全くちがうものになっていた。
野太くて、力強くて、それでも喋っているのはライル君なのだから違和感がすごい。
「やれやれ、このアホが。そんな状態で普通呼び出すかね? アーホアーホ」
そう言って彼は自分の頬っぺたをギュウギュウとつねる。
「ま、応えた我も同罪なり」
「金の巨人……」
直感的に思った、さっきライル君の口から出てきた金の腕、今彼の身体を借りて喋っているのは、その持ち主だ。
「初めまして、だなそこのニンゲンよ」
「は、初めまして……? ライル、君……?」
喋りかけられて、ハッとする。ライル君でいいのかな?
そもそも、言葉、通じる────?
「この姿でもまだ『ライル』と呼ぶかね」
「ライル君はライル君でしょう、なんて呼べばいいの……?」
「何とでも、ただそう呼ばれたことに驚いただけだ」
これが、軍の人たちが期待していたという完全体か────
「あっ、出てきて大丈夫なの!? ライル君は────さっきまでのライル君はすごくお腹空いてて……」
「安心しろ、餓死はせぬ。されど、平時ならば危険ゆえやらぬ行いではある。
終わった際には適当なパンの耳でも喰わせておくがよい────さて……」
彼は軽く踏み出すと、そのまま走り出す体勢に入った。
「一体、何するつもりなの……?」
「とってもいいこと、だ。付いてこい────」
瞬間、言い終わらないうちに、物凄い爆風が吹き荒れた。
周りの土埃が舞い、身体が吹き飛ばされる。
「きゃああっ!!」
そして眼を開くと、ライル君は消えてて────彼の向いていた方向には、廃屋の壁や塀を突き破って、一直線に穴が開いていた。
「付いてこいって、なにが……」
慌ててその方向に走ると、しばらく行ったところで風穴が途絶えていた。
そしてそこに倒れている2つの影────
「ライル君!! ライル君大丈夫!? と────【BJ】!?」
さっき逃げた【BJ】と、その上から覆い被さるように寝ていたライル君。
廃屋に囲まれた周りの静けさの中、完全に昇ってきた太陽が周りを照らす。
こうして、よく分からないまま異様に長い夜がようやく終わった。
※ ※ ※ ※ ※
動かなくなったライル君と【BJ】を運んで最初の建物近くまで戻ると、北の方向に向かって、何か大きな物が通ったような跡が出来ていた。
「これって……」
慌てて何かが去った跡を追いかけてみると、その先で3人が大の字で倒れていた。
「アイドルさん、やるじゃねぇか」
「こんなに頑張ったのは久しぶりよ。
喉ガラガラ、今日は仕事、休ませて……」
「2人ともお疲れ様、僕も疲れたよ。あはは」
心配して近寄ると、ロイドが手を降ってくれた。
なんか思ったより大変なことになってなかったみたい。
「みんな、大丈夫?」
「ほれっ」
「おわっ!? ナニコレ……」
ロイドから放り投げられたのは金属の箱だった。
中には何かポチャポチャと液体が入ってるみたいだけど────
「あー、それな。さっきの“ねばねば”が入ってんだよ。開けんなよ?」
「ぎゃっ!!」
私は驚いて箱をその場に落としてしまった。
慌てて飛び退いたけれど、どうやら落としたことで開きはしなかったらしい。
「よ、よく入れれたね……」
「要領はさっきと一緒。オレとイスカで気を引いてソニアが命令して封印。
大変だったんだぜ?」
「うん、ありがと……」
私が【BJ】にやられてる間に、3人は命がけて街を護ってくれたらしい。
すぐ先にはもう、人が住んでいる区画が見え始めていた。
「で、そっちは?」
「あ、そうだった! 敵は捕まえたんだけどライル君がなんか元気がなくて!」
さっきから意識を失って、グッタリとした青白い顔のライル君。
多分栄養が足りなくて動くこともままならないんだろう。
餓死はしない──ってライル君の中の
「とりあえず何か食わせねぇとな。奴らが備蓄しておいた食料も無さそうだし。
イスカ、何か持ってるか?」
「んー、ドライフルーツとお茶くらいならあるよ」
そう言ってイスカは大の字のまま、ポケットから紙に包んだフルーツを取り出した。
急いでお茶で溶いて飲ませてやる。
「一応飲んでるけど……だ、大丈夫かな?」
「飲んでんなら、すぐどうこうはねぇだろ。
急に沢山喰わせるのも良くないから、とりあえず今から病院連れてってやれ」
「そ、そっか。うんそうだよね……」
まだ病院はどこも開いていないけれど、中央病院なら対応してくれるかもしれない。
ライル君の肩を支えて立ち上がると、逆側からソニアが支えてくれた。
「いいの?」
「当たり前よ、ソニアのせいでこんなことになっちゃったんだもん」
何とか動けそうな私達を確認して、ロイドも立ち上がった。
「オレは捕まえたコイツら引き渡してくる。あと、これもどうにかしなきゃならねぇな……」
そう言いながら、憂鬱そうに金属の箱を持ち上げた。
「ロイドも怪我してるじゃん、病院行かないと……」
「いいよ、これくらい。背中焼けただけだし。
おいイスカ、お前も来るか? それとも病院行くか?」
しかし、イスカは返答しなかった。
というかさっきから眼を閉じたままピクリとも動かない。
「イスカ……?」
「おい、眼開けろよイスカ! おい!!」
珍しく動揺したロイドが肩を揺さぶるが、彼女は眼を開けなかった。
5人の中でいちばん無理をしていたのが、他ならぬイスカであるというのが分かったのは、それから少し後のことだった。