世界は回転する。
眩いいのちの輝きを受けて、誰かの人生が回っている。
真っ黒な通路のうえで、舞衣は鼻歌を奏でていた。八〇年代のダンスミュージックじみた縦ノリのメロディ。誰だって一度くらいは聞いたことがある『ゴーストバスターズ』の主題歌だった。
名作には名曲がつきものだと舞衣は思う。サントラで繰り返しきかなくたって、一度聴いたら耳から離れないリズムとメロディ。そして特徴的な歌詞。時折挟まる「ゴーストバスターズ!」の掛け声は、別の少女のものだった。
視線の先に、薄ら笑みを浮かべる少女の姿がうかぶ。行き止まりを背にして鼻歌に合いの手を入れる姿は、とても自分が追い詰められているとは思えない様子だった。
世界は回転する。輝かしいばかりの光を浴びて、誰かの人生は娯楽になる。
映画館でフィルムが回っていた時代は、とっくの昔に終わりを告げた。暗い映写室に並ぶのは、お化けサイズのプロジェクターばかり。映画は丸いフィルムケースじゃなく、対衝梱包されたHDDで届く。フィルムの代わりに回転するのは放熱ファンだけ。
でも、いくら機械を冷やしても観客の熱までは冷えない。舞衣はそう信じている。
「私、いよいよ退治されちゃうのかしら?」
少女がクスリと声を上げて笑った。真っ赤な着物の袖で口元を隠すが、その向こうの表情に恐怖の色はなかった。
舞衣は、相変わらず鼻歌を奏でながら少女へとにじり寄る。手に構えるのは、お手製の超小型のプロトンパックだ。とは言っても、映画に出てくるような小型核エンジンを積んだ、現代科学もびっくりの超兵器ではなく、手のひらサイズのボトルをワンプッシュすると、スプレー口から噴き出したミストが相手に耐えがたい苦痛を与えるというだけのもの。目の前の幽霊に対抗するための、舞衣の唯一の武器だった。
いつか対峙しなければならなかった。それが今日だった。これはきっと、出会った瞬間から決まっていたことだ。
映写窓の向こう、スクリーンの中で炎があがる。銀幕の向こう側はいつだって世界の危機に包まれている。貞子は動画投稿サイトデビューを果たし、海の向こうでは『ゴーストバスターズ』が女性隊員で一新されたりする。
イーサン・ハントはいつまでも盗まれたプルトニウムを追っているし、ジェームズ・ボンドもそろそろ何代目か分からない。
そうやってヒーローやヒロインたちが世界を救っても、スカイネットは相変わらずターミネーターを過去に送り続けるし、いい加減、若き日のシュワルツェネッガーがCGで描かれたりもする。
それでも、危機には立ち向かわなければならない。ハッピーエンドは世界を救った先にしか存在しない。ハッピーエンドが訪れさえすれば、ようやくジャッキー映画みたいに、敵味方入り乱れたニコニコ顔のNGシーン集を楽しむことができるのだ。
舞衣は、目の前の幽霊に対峙する。その背中をライオンの姿をした化身が優しく見守る。
――同じことは、二度起きないのだよ。
ありがとうアスラン――心の奥底でエールをくれたライオンに、彼女は敬意を払う。奇跡はたった一度しか起きない。そのたった一度を、目の前の少女に出会うということに使ってしまったなら、この先の困難は自分ひとりの力で乗り越えなければならない。それが大人になったということだと舞衣は思っていた。
等間隔に並んだ映写窓を横切るたびに、舞衣の横顔がスクリーンの照り返しで浮かんで、また消える。沢山の困難とハッピーエンドを横切って、幽霊を追い詰める。
「手が震えているわよ?」
そんな気も知らず、少女は笑顔で首をかしげた。舞衣は震えを抑えるように、両手でプロトンパックを構える。
「私、きっと手ごわいわよ。何せ一〇〇年は成仏できてないんだから」
「いくら何でもサバ読みすぎ」
舞衣はようやく笑みをこぼした。引きつったような不格好な笑い。それでいい。クライマックスの主人公は、いつだってふてぶてしく笑うのだ。
笑顔が身体の緊張を解く。カチカチになって動かなかった指に、しなやかさが戻る。
笑顔が身体の緊張を解く。
カチカチになって動かなかった指に、しなやかさが戻る。
世界は回転する。カメラも回転する。
目まぐるしかった日々も、未来へ転がり始める。
幽霊を目と鼻の先まで追いつめる。
その眼前にスプレー口をつきつける。
少女は笑みを絶やさない。
舞衣も笑みは絶やさない。
銃口を絞るように、指先に力が宿った。